「あいつと私」
みなさん、こんにちは。
元東京都知事の石原慎太郎さんがご逝去された。享年89歳。
「NO」と言える日本
といえば、石原慎太郎さん。
石原裕次郎さん
の兄。
他にソニーの盛田昭夫さん。
これは1989年に出た。ちょうど我が国がバブル全盛期。
私はまだユタ大に留学中。この本が出たことは1990年帰国後に知ったと思う。
その頃は、その次の本が出た。
まだ我が国はバブル全盛期の好景気に沸いていた。
その威勢を借りて、Jリーグが発足向けて始動した頃だった。
それから10年後。
今度は宣戦布告が出た。
すると、その直後の宮沢喜一政権で、我が国のバブルがついに弾けた。
怒涛の銀行破綻で大半が倒産の危機。
ここから、「空白の10年」。「空白の20年」。「空白の平成の30年」と相成った。
ということは、ひょっとしたら、「石原慎太郎がノーといったばかりに日本が潰された」という様相を呈する。
ソニーの盛田のあとには、「アメリカのソニー」ことスティーブ・ジョブズのアップルが登場した。
いかにして我が国の半導体産業を乗っ取り手中に収めるか?
今眺めれば、勝った方は、
米国、英国、イスラエル、韓国、台湾、中国、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、スウェーデン、。。。
負け組は、日本。
というわけで、アメリカが率先して最初に韓国とイスラエルを育成し、それから中国を育成し、それから台湾を育成し、日本つぶしを計ったように見えるから不思議だ。
実際、金の流れを見ればそれが大筋で正しいことが分かる。
日本が戦後ずっと買い続けてきた米国債の巨額の大半はアメリカ人のために使われるのではなく、米大企業や投資家に周り、その金が、イスラエルや韓国に回った。
「白人は真綿で包むように攻めてくる」
とよく言われるが、そのとおりの展開になった観がある。
だから、中国人や朝鮮人は、表向きイエスマンを演じながら、裏でノーマンを貫く。
これが、前から後ろからの前川喜平
が有名にした言葉
面従腹背
の精神というものであるらしい。
ところで、私の記憶では、「太陽の季節」のあとの裕次郎映画に「あいつと私」という映画があった。
ちょうど、これから大学紛争に入る頃の日本社会を描いている。
この中の場面で、裕次郎演じる主人公の同級生の親友に、横浜の湾岸ヤクザの親分の息子がいた。
「ゆうちゃん」「よっちゃん」の仲だ。
これは、「しんちゃん」「じゅんちゃん」の仲をモチーフにしたように見えるものだったと思う。
むろん、小泉純一郎と石原慎太郎の盟友ぶりのことである。
我々東京周辺の関東の人間には、横浜や湘南の神奈川のことはわからない。ましてや西日本の神戸のことはわからない。
近代日本で一番早く開国したのが横浜あたり。
いつも日本の主役級。伝統が違う。
この石原慎太郎さんが、最後に危惧したのが、尖閣諸島。
それと、三国人問題。
つまり、今我々が言う「特ア」の中国、韓国(南朝鮮)、北朝鮮のこと。
いまやこれが現実のものになった。
この意味では、石原慎太郎が正しかった。
しかし、いつしか、日本そのものが、「東朝鮮」化していたわけだ。
俺には、石原慎太郎がこれに気づかなかったのが不思議でならない。
親友の純ちゃんの祖父は入れ墨大臣。日本人だったかも知れないが、父は鹿児島の朝鮮部落出身の鮫島だった。
同和でも、在日でも、だれでも首相になれる国。
北朝鮮系カルト創価学会でも皇后陛下になれる国。
帰化人でも帰化申請したらすぐに日本人になれる国。
在日でも国会議員にもなれる国。
こんな国はこの世界で日本において存在しない。
「自由の国」日本!
「自由の国」アメリカなんかより遥かに自由だ。
他にこれ以上何を望むのかね?
まあ、とにかく、石原慎太郎さんのご冥福をお祈りいたします。
お疲れさまでした。
我が国をあちらの世界からお守りください。
弥栄!