今週のファクト
日本橋三井ホールのFreedom Fight


クライマックストーク
神を尊び 国を愛し世のため社会奉仕し 恩にきせない事
誠実を愛し講義を行え

この最後のクライマックストークで神社庁と伊勢神宮の宗教法人の話が出たが、希さんはまだご存じないようだが、いまの神社庁と宮内庁の状況を知らなければならないだろう。
なぜ小さな神社がどんどん消えていくのか?
なぜ伊勢神宮が宗教法人なのか?
というと、この基本は終戦後の米GHQによるWGIP(戦争自虐史観計画)のせいである。
しかし、それを国内で実施する部隊として、在日朝鮮人ソン・テチャクこと池田大作を基礎にした創価学会のせいなのである。
カソリックの総本山の1つのフランスでは、創価学会はテロ組織と同じ宗教カルトとして認定されている。
にもかかわらず、日本国内では、ソン・テチャクが創価学会を乗っ取り私物化した。
これが起点になり、
それから政治における公明党を作りだし、
さらに創価大学を作り出し、
そこから弁護士を作り、政治家を作り出し、国家公務員を作り出し、
国会議員や地方議員を当選させ、
反日反神道の流れを作り出したのである。
この結果、いまや宮内庁の国家公務員の主流が創価学会の手に落ち、神社庁のトップ官僚にも創価学会のエリートがついた。
中国共産党の習近平は創価大学へ留学していたといわれている。
つまり、ソン・テチャクは中国共産党ともコネがあったわけだ。
そんな創価学会が、電通を乗っ取り、キリンビールを乗っ取り、アディダス日本を乗っ取り、そして、日本の与党を自公政権として乗っ取った。
その結果が、私が「東朝鮮国」といういまの我が国の状況なんだナ。
創価学会が宮内庁にいる。なぜなら、いまの皇后陛下雅子様の小和田家は創価学会なのである。いうまでもなく、雅子様の父親は創価学会信者で池田大作と懇意であったのである。
つまり、神道の神主の最高位である明仁天皇(元浩宮)の妻が創価学会系のお妃だったのである。
こんな状況で、神社を守ることなどできるはずがない。
だから、彼ら創価学会系の日蓮宗の人たちは、必死で古神道や神道など日本人の先行宗教を他の宗教の1つの単なる宗教と無理やりみなしたいのである。
ところで、最後のHeaveneseアレンジの「君が代」も好きだが、その最初と最後の英語歌詞の中にMajestyということばが出てくる。
しかしこれは、日英の文化ギャップの起こる原因の1つの典型をみているようで、あまり俺は好きではない言葉である。
どういうことかというと、日本語には英語に翻訳できない概念がたくさんあるが、それを一度英語に訳すとその途端に英語脳の意味に変化してしまうからだ。相手の英語脳はそれで納得するのだが、それは英語の意味を自覚しただけで、我々日本人がそれに含めたかった意味は失われているのである。
こういうふうな場合、言っている日本脳と聞いている英語脳の双方で納得してそれぞれに合点がいって頷くことができるが、同時にお互いに別の意味を頭に浮かべ、実際にはまったく理解し合えていないのである。
日本人は、天皇の呼び方→陛下→Majestyと考えるが、外人は、Majesty→King, Emperorに対する呼び方と考えるのである。
天皇→Eemprorと考えるが、外人はEmperor→King of KIngs→dictator(独裁者)と考えてしまうのである。
他にも卑近な例は、日本人は、相手を大事に思うこと→愛→Loveと考えるから、I love youというと、「あなたを大事な人だと感じています」という意味で伝えるが、それを聞く外人は、Love→make a sexと受け取るため、「こいつは俺とセックスしたいんだな」と受け取るというような、誤解が常に生まれるわけだ。
だから、本当に伝えたい文脈が理解できるように、同じ内容をいくつかの表現で言わないと、外人には伝えたいことの真意は伝わらないのである。
こういう誤解が日常茶飯事起きている。だから、英米人と日本人は異星人とみたほうが良いと俺が言う理由である。
本当に理解し合えるということはない。あくまでコミュニケーションあるいは性的交渉できるだけのことにすぎない。
(い)もうひとつついでに先週のHeaveneseライブもメモしておこう。
先週は時間がなく、昨日これも見たのである。

この最後がこの人の話題。近江聖人こと中江藤樹の歴史。

五事を正す
これが戦前までの我が国の「道徳」の基になっていく。





この中江藤樹がみなのために作った池に門人の憩いのために2匹の鯉を放った。すると、翌日にはその二匹の鯉が盗まれた。また藤樹が二匹の鯉を放った。次の日も二匹の鯉が盗まれた。次の日に鯉を狙いに来た盗人を見つけた門人が盗人に言った。





中江藤樹のことば
いま我が国へ来る外国人が一様に驚くことは、どこへ荷物を置いても盗まれないことである。
財布やスマホを落としても落とし主のもとへ戻る。
20世紀の中頃には、我々日本人は、21世紀は世界中に犯罪者いない理想の世界になっている未来社会を思い描いた。
しかし現実には、正反対で、21世紀の現代の世界はハリウッドSFが描くような犯罪者のうごめく世界になってしまったのである。
にもかかわらず、我が国だけはガラパゴス化し、そうではなかった。
その原因の1つが、この江戸時代の中江藤樹に始まった、陽明学的な日本人の道徳思想である。
これが戦前まで我が国の学校で教えられてきた。
曲がりなりにも我々の世代は、かなりGHQのWGIPのせいで紆余曲折した道徳の教科書だったはずだが、それを学んだのである。
ところが、いまや道徳の時間なんていうものはない。
なぜなら、中国共産党や反日韓国北朝鮮の手下になった日本共産党や韓国北朝鮮の手下の日教組が、戦前の教育に対する歴史戦を行ってきたからだ。
今一度、日本人自らが自分の心を洗濯していただきたく候。
これが、石井希尚さんの主張である。
帰化人や創価学会に乗っ取られたマスゴミは、こういうのを「単なるいい話」とか「深イイ話」とかいってちゃかして、明日になれば忘れるようにすることが目的である。
だから、せっかくの教訓も若者の心に残らない。
その成果が、最近の残虐な殺人事件やリンチ事件に見ることができる。
同じことは西洋世界にも言える。
今のユダヤ人は、昔のアウシュビッツの頃のユダヤ人とは異なる。
同様に、白人種も昔の白人種とか異なる。
彼らの宗教の最大の難点は何か?
というと、ファティマ第三の予言の本当の内容と言われるものだが、実は
死後の世界に地獄が実在する
という事実にあるという。
これを知った小児性愛が伝統になっていたローマカトリックの教皇は失神してしまったという。
西洋人は死後の世界の実在と地獄の実在を知らず、良い方の天国しか存在しないことが問題なのである。
だから、西洋世界やアラブ世界などもこういうこ外国版「道徳」を学校で教えるべきだろう。さもなくば、教会の中でしか良い教訓話を知ることがなく、いまの世界人類のような邪悪な存在になってしまう。
いまやイルミコープのせいで、地球人は地球のガンどころか、太陽系のガンになってしまったわけですナ。
むろん、ユダヤ人の世界観には地獄の概念はない。あくまで彼らのジョークのネタにすぎない。
さて、最後の地獄の実在については、結局、信じる信じないはあなたのマスク次第、じゃなかった、おむつ次第、じゃなかった、おつむ次第というやつだが、希さんのサンデークライマックストークは実にためになる。
今朝の三枚おろしの武田鉄矢氏同様に、毎週毎週同じ時刻に別の話をするというのは、かなり大変だろう。
この大変さはちょっとでもやってみれば分かる。
ぜひ頑張って欲しいと思う。
弥栄!
