キャンディーズ ・ 22才の別れ('75.8.26LIVE)
みなさん、こんにちは。
昨日これをメモしようと思ったが、今日にした。
今年になりずっと歌の練習の一貫として私も歌っている、あの名曲「22才の別れ」。
この「22才の別れ」を生み出した、風のメンバーであった大久保一久さんが死去された。享年71歳。
私はここずっと毎日のように歌の練習としてこれを歌い、いまや完全に歌詞を覚えた。
最近になって、すこしナチュラルビブラートを入れることができるようになってきたところ。
昨日もいつもいく講演でこれを歌った。
いまのところレパートリーは、
千の風になって、22才の別れ、若者たち、I belivein in Music(キャンディーズ版)、君が代(1番のみ)
の5曲。
「22才の別れ」のようなこういう青春時代の名曲というものは、おそらくそういう時代と合わないと決して生まれないものだと思う。
あの時代、1960年代から1970年代、あの時代の青春のうねりの中のさまざまの歴史的流れ、そういう中からこそ、こういう名曲が誕生したのだと思う。
だから、作者本人自体も成功した後に同じような曲を作ろうとしても作れないというようなものだったと思う。
いわば、その時代が彼らに書かせた、作らせた。
そんな感じだったのではなかろうか?
キャンディーズとて同じだっただろう。あの時代があったればこそ、キャンディーズが誕生できた。その前でもその後でも二度と同じようなものが生まれなかった。
事実、その後数多くのキャンディーズもどきが誕生したが、オリジナルのレベルに二度と達するものはなかった。
最近、ABBAが復活したようだが、それも同様だと思う。あの時代のABBAとは決して違うと思う。
またこれからウェストサイドストーリーのリメークが公開というが、あの時代を懐かしんだところで、二度とあの時代には戻れないのだから、オリジナルのようにはいかないだろう。
日本でヤンキー映画が隆盛でもそれもそうだろう。あの時代に戻ることはできない。なぜならもうそういうものはいないし、過去の遺物。
この意味では、現役最高のときに完全燃焼するまで頑張って、突然の解散宣言で潔くきっぱり止めたキャンディーズの3人のやり方こそ、永遠のキャンディーズを生み出したものだと言えるのかも知れない。
だから、こうしていつまでも最高の若さあふれるキャンディーズの歌声を聴くことができる。
ところで、俺はいつも奥さんから、
”若い頃の”伊勢正三にそっくりだ!
と言われている。
ちなみに、若い頃には、長渕剛の若い頃
に似ているとか、中村雅俊の若い頃
に似ているとか、明石家さんまの若い頃
に似ているとよく言われたものだ。
俺は絶対”若い頃”の俺
のほうがいいと思っているんですがネ。
伊勢正三さん、大久保一久さん、永遠の名曲をどうもありがとうございました。
大久保一久さんのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。