みなさん、こんにちは。
さて、まずは訂正及び修正から。私の読者からご注意が入った。
先日、以下のものをメモした。
この中で、私はそれとなく、話のつまとして、
「聞けば、彼女はブラジルのサンボの世界チャンピン。サンバではない。
サンボといえば、ブラジルの原住民の武道。たしかアントニオ猪木もそれで育った。ブラジルには、サンバとサンボという似た名前のダンスと武道がある。」
とメモしていた。
しかしながら、これは真っ赤なウソ。真っ赤な間違いだった。
俺はすっかり、サンボとカポエラを混同していたんですナ。すいません。
サンボは、ロシアの武道だった。
武道というよりは、マーシャルアーツ。
どうやら、私はロシアのサンボをシステマと混同し、ブラジルのカポエラをサンボと混同したようだ。
すみません。ここに謹んで訂正いたします。
だとすれば、濱田尚里さんはなおさらすごい。さすがに陸上自衛官。
ところで、昨日の柔道団体戦はかなり歴史的意味を持っているのかもしれないですナ。
我が国の柔道は、1964年東京五輪ではじめて国際デビューした。それ以来、柔道がJudoに変化していった。
1964年の柔道の無差別級では、オランダのヘーシンクが日本人選手に勝利した。

それで一気にヨーロッパ人のJudo人気に火が付いたのだった。
それから57年
それが今である。
この間、数多くの日本人武道家が海外に呼ばれて、柔道を伝授していった。そして蘭、英、仏、独、ロ、中国、韓国、ブラジル、モンゴル、豪州、。。。と様々の国々へ柔道が伝達され、それに応じて、それぞれの国でオランダJudo、イギリスJudo、フランスJudo、ロシアJudo、チャイナJudo、コリアJudo、ブラジルキューバJudo、モンゴルJudo、オーストラリアJudo、。。。というように、それぞれのJudoへと変化した。
我が国の選手自身も、純粋の日本人選手から混血選手のハーフ選手の日本人代表も現れるような時代へと変化したわけだ。
今回は、ウルフ・アロン選手。

彼がそうしたハーフ選手だった。
そのアロン選手の作文が話題になっている。が、その中にも見事に柔道からJudoへの変化が描かれている。これである。
かけた技が引き技のような場合、相手が上に出る。
それが、結果的に技をかけた方が裏技をかけられたかのように見える場面が多々ある。そういう場合に、柔道ではただしく主従関係を判別するが、Judoでは"雰囲気”で主従関係を判断する。だから、主従関係が逆転する事が多い。
今大会でも、それでかなりの選手が涙をのんだ。我が国代表では、向選手や芳田選手がそうだった。団体戦のアロン選手もそうだったと言えるかもしれない。
そうした中、原点回帰で、本来の柔道に限りなく戻そうという努力をしてきたのが、日本柔道だったと言えるかもしれない。かなりこの努力は成就したと言えるかもしれない。それがメダル数に反映した。
しかしながら、審判団が外人だ。かなりこの努力は虚しかったと言えるかもしれない。また、次回はフランスパリ大会。かなりまたルールがフランスよりになるかもしれない。
だいたいリネール選手のフランス相撲Judoが世界最強を続けられるというのが不思議ですナ。相手を押し出しか押しつぶし3回で反則勝ち。何一つ技らしい技がかけられない。
また、きれいに投げたのに、受け身しないで、回転してうつ伏せに落ちたら、技なしとか。これが畳の上でなければ大怪我だろ。それに対して、畳の上の膝ついた技からのでんぐり返しでIPPONとか、ジョーダンですか。こんなの路上では擦り傷にしかならない。
もう少し柔道のマーシャルアーツとしての側面を強調したルール改正すべきだろうと思う。