みなさん、こんにちは。
寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。今日も元気にキャンディーズでいってみよう。
まあ、今回も俺の個人的キャンディーズ妄想の続きですゾ。
普通の人にはくだらん話にしか見えないから、ぜひお引取をお願い申す。
今回もミキさんの話を書くのは、それなりの理由がある。しかし、それは後々にして、まずは、昨日までの続きをメモしておこう。
昨日まで、本当につい最近まで、俺自身がまったく気が付きもしないことだった。
そんなことがあったのか?
と、あまりにありえないことだったので、俺自身が半信半疑だったわけだ。
しかしながら、いろいろ調べたり、時系列や状況を分析すればするほど、かなりリアリティのある話だと思えてきたというわけだ。
まず昨日までの話の展開をメモしておこう。以下のものだった。
昨日までの俺の理解では、ラッキーチャンスを逃したのは俺自身のせいだったと考えた。
子供の頃の幼少で、ピアノやオルガンから野球やサッカーへ、
中高で、合唱や声楽から野球やサッカーへ、
大学で、そのサッカーから物理へ
大学院で、関東から関西へ
社会人になって、日本からユタへ
変わったことにあると考えたわけだ。これで、ミキさんとの出会うチャンスがなくなった。こう考えた。
しかし、昨日、よくよくもっと思い出してみた所、面白いことを思い出した。
まだ、理科大理工サッカー部で現役でサッカーをやっていた1年の頃、時間が有り余っていた。
その頃、クラスメートやサッカー部の1年先輩に連れられて都内の女子大の学園祭に行ったことを思い出したのだ。
確か、白百合女子大、日大芸術学部の学園祭には行ったことを思い出した。そして、1年先輩のTさんの同級生のコネで、武蔵野音大のピアノ科の女性陣と鎌倉へ合コンハイキングにいったことを思い出したのだ。
そして、先輩の同級生の幹事のピアノ科の1歳年上の女性に非常に気に入られたんだ。交際を申し込まれたんだ。
しかし、俺は好みじゃなかったから、はじめに丁重にサッカーが忙しいのでとお断りした。
こんなことを突如クリアに思い出してしまったんだな。さすがに名前までは思い出せないが、姿かたちまではっきりイメージできるところまで思い出した。
つい最近まで、ベールの霧の向こうの世界だったんですナ。
これもキャンディーズのおかげ。
そうやって、俺のその当時の出来事を見た場合、キャンディーズのミキさんたちの動向を分析しなおせば、俺とミキさんの出会いがもし邪魔されたとすれば、こいつらのせいだったというやつが分かったわけだ。
結論からいうと、それがマネージャーの大里洋吉
と松崎澄夫さんだ。
キャンディーズのマネージャーが、最初スーさんで1年間あまりヒットしなかった時代、
スーだけ歌手デビューし、ランとミキ、お前らは事務員になれ。
と脅迫したわけだ。
それで、それだけはやめてください。3年間ががんばります
と彼女らは泣いて手紙を書いて社長に直訴して、なんとか活動再開。
そして、今度は、リーダーシップのある、精神的にタフなランさんが、センターで再デビューしたわけだ。
そして、「年下の男の子」でメジャーヒット。ここから、伝説のキャンディーズに行く。
この時、俺は、文字通りその「年下の男の子」だったわけだ。
キャンディーズは、コンサートで山梨甲府へも来ていた。
俺は、その頃はサッカー三昧でとてもじゃないが休日遊ぶような余裕がなかった。
そして、キャンディーズは
1974年9月1日のメジャー・デビューをして、1976年の夏には解散予定だった。
それが、解散できなかった。
それが、マネージャーの大里か松崎か、あるいは、両方から、継続を強要されたからだ。
それを描いたのが、NHKのこのドラマ。
当時のマネージャーは解散は許さなかった。
それで、俺が朝永振一郎の講演を聞きに行く予定にしていた。
1977年7月19日ー21日の「科学と私」
の直前の、日比谷公会堂の伝説のコンサート
1977年7月17日の突然の解散宣言をする形でしか、キャンディーズは解散できなくなったというわけだ。
そして、それからまだ解散できずに、半年延長し、
1978年4月4日の後楽園球場のファイナルコンサートまで継続させられてしまった。
もし、予定通り、3年間の活動で、
1976年7月17日に解散宣言し、1976年9月ごろ「普通の女の子に戻りたい」で戻ったとしたらどうだっただろうか?
あるいは、マネージャーの言ったように、ランさんとミキさんは事務員になって、デビュー1年後1975年に解散したとしたら?
おそらく、ミキさんは家庭の背景からすれば、音大に入学したのではなかろうか?
途中から大学へ行くわけだから、東京芸大は難しいかもしれない。だから私立の音大に入っただろう。
そうすると、日大芸術学部とか、武蔵野音大とか、東京音楽大学とか、国立音楽大学とかに入っただろう。
あるいは、声楽教授の娘だから、白百合女子大とか、お嬢さん大学へ入ったかもしれない。
いずれにせよ、大学へ入って、ピアノ科か声楽科のようなところへ入学したと思う。
それが、1975年か、1976年か、1977年あたりに音大生になっていただろう。
もし1976年に武蔵野音大のピアノ科に編入して入ったとしたら?
その可能性はかなり高かった。
すると、その頃の俺は、1976年に入学したから、まだサッカーやっていて、比較的自由だった。
きっと先輩の音大生の同級生との合コンにいっしょに来たかもしれない。
あるいは、当時ランさんは日大芸術学部の学生だったから、ミキさんもそこに入ったかもしれない。
そうしたら、学園祭でウロウロしていたかもしれない。
そこで、当然、元キャンディーズの女子大生がいるとなれば、人気者だろう。しかも
こんな顔の女子大生が学園祭でいる。ぜったいに俺の目にもとまるだろう。釘付けになるだろうナア。
というわけで、もし最高の相性同士なら、話し始めたりしたらお互いに一目惚れしたかもしれない。いまの俺の妻とそうだったように。
つまり、もしキャンディーズが彼らの最初の計画通り、キャンディーズの活動をきっちり3年頑張って、きれいに解散し、ミキさん、ランさん、スーさんがそのまま大学へ入れば良かったわけだ。
この可能性があった。おそらく、3人はそれをしたかったのだ。
実際、スーさんは止めたら何をするのかと聞かれて、「とにかくいろいろ勉強したいです」と答えた。
1977年に予定通り解散したら、たぶん、スーさんも大学へ行って、演劇部に入っただろう。
ここで、彼らの人生もまた変わったのだ。たぶん、狂った。狂わされた。
その張本人が、あのマネージャーの2人のせいだ。
大里と松崎
ほんとこいつらに出会ったら、俺の右ボレーシュートを顔面か腹に一発食らわしたいな!
こいつらはひょっとしたら、この時期からアーティストやミュージシャンを脅迫する奴らだったのかもしれないですナ。
脅して仕事させるタイプのやつだ。
三浦春馬だって脅されていたのかもしれないしナ。
さて、もし俺がここでミキさんと出会ったらぜったいに結婚まで行っただろう。
なぜなら、我が家の当時の家業は、宝石製造業だ。しかも父が当時は山梨の地場産業の業界のボスだった。いまの英雅堂のようなものだ。実際、英雅堂の社長の志村さんとは、並んで販売していたんだからナ。
思い出した所、レストラン・ダイヤモンドで、会ったことがある。
こういう宝石業界のような商売は、派手な方が良い。ネームバリューがあった方げ売れるわけだ。
だから、息子の妻が、元キャンディーズのミキさんという方が、親父としては嬉しいだろう。
ミキさんが、店にいる。店に来てくれるだけで、客は喜んで来るわけだ。まあ、そういう業界だ。
あまり大スターになっていなかったとしても、もと芸能人の奥さんというだけでもこういう業界では価値がある。
だから、我が家の親からすれば、阿南のニコラ・テスラの電気技師の娘よりは、音大声楽家父の娘の元キャンディーズの方が良いと思っただろう。
絶対に結婚を反対をする理由はない。
しかし、歴史はこっちへは進まなかった。
今回、これを知ってしまったというわけだ。
おなじ分魂の全く似たような女性二人がいて、相性がありえないほど良い相性。
それが、1人は都内の声楽家の娘で元キャンディーズ、もう一人は、阿南のレジェンドで阿南のニコラ・テスラのような電気技師の娘。
俺自身は、どっちに出会っても良かった。片方に出逢えば、一目惚れし、一気に恋愛し結婚までいく。そういう運命の女性だ。
ところが、最近まで、俺は後者の方だけしか知らなかった。それで良かったと満足していたわけだ。
しかしながら、実は驚くべきことにもう1つの可能性があったわけだ。
そして、キャンディーズの解散1年延長にあったことを知ったわけだ。
それを強要したのが、マネージャーの大里と松崎のアミューズコンビ。
キャンディーズは、もうひとりいた。4人目の白鳥さんだ。
別にキャンディーズのサイドは白鳥さんでも良かったと思う。
ここで、ミキさんをなんで選んだ? いや〜〜、痛い。
とまあ、こんなふうに最近は、最初にキャンディーズを分析し始めたときとは、まったく別の驚きの視点で見るようになったというわけだ。
もしミキさんが3年のキャンディーズ活動で解散し、都内の私立音大生になっていたら、きっと俺との出会いの確率が相当に高まったと思うわけだ。
出会ったら最後、一気に結婚まで行くタイプ。
すると、俺の家の宝石業は俺が継いだだろう。そうすれば、廃業する理由はなかった。俺は地元でサッカーしながら、家業を行い、その看板の奥さんが、元キャンディーズのミキさんということになったに違いない。
しかし、歴史は逆へ行った。
ミキさんは、キャンディーズを1年半延長し、解散。大学へ行けなかった。俺は、物理へ転向し、必死だった。
その間に、親父が脳梗塞で半身不随になり、俺が物理へ転向し、家業を継がなかったために、我が家の家業は廃業になってしまった。
そして、一生懸命勉強や研究し、結局ユタへ行った。そこで、もう1つの分魂の阿南のニコラ・テスラの娘の今の妻と出会った。
出会ったら最後、一気に結婚まで行く二人だ。そのとおりになった。
そして、いま阿南に住むようになった。
はたしてどっちが良かったのか?
まさに分水嶺だ。
2つの道の世界だ。分かれ道。
後者に行ったのは、俺のせいだと言えるが、前者を消したのは、あのマネージャーの2人だ。
ところで、なぜ今になってこんなことをわざわざメモするのか?
それは、またいずれ。今回の本の内容とも関係するのだ。
キャンディーズは永遠です!
我が父の功績は永遠です!