みなさん、こんにちは。
寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。今日も元気にキャンディーズで行ってみよう。
昨日、キャンディーズの1977年7月17日の突然解散宣言のコンサートには行けたはずだということをメモした。これだ。
この中で、当時俺は将来物理学者になるか、サッカーの道を続けるべきか、まだかなり迷っていて、いわゆる時間延長状態だった。モラトリアムというやつだ。
とにかく、どっちへも踏ん切りがつかなかった。
だから、サッカーも本気でやっていたし、物理も興味を持ち始めていた。
しかし、1年時成績はギリギリ2年に進級できたというレベルだった。
当時の理科大理工は40〜50%が1年留年した。2年留年もザラ。3年留年なんていう同級生もいた。
ずっと1年の単位を取り続ける。それに失敗したら退学だ。
そんな時期の話だ。
これもキャンディーズのおかげで非常にクリアに思い出せるようになったんですナ。
昨日それをメモして、今日に至るまでに、ふと、あの東部野田線の運河駅前対岸にある大学まで、野田線の野田駅の方から線路わきの小道を自転車で通っていたことを思い出した。
あの道端の緑の草のイメージまで思い出した。草が覆い茂っていたんだナア。はっきり思い出した。
45年前の記憶だ。
まったくちょっと前までまったく覚えていなかったことだ。思い出せなかった。やはり頭のどこかか、頭の外のどこかにそういう記憶が残っていたのだろう。そこにアクセスできるようになった。
そして、ついさっき、昨日は思い出せなかった、朝永振一郎先生への質問内容を思い出したんだナ。
俺が朝永振一郎に聞きたかったこと、ずっと考えに考えてこれだけは聞きたいと思ったことだ。
とにかく、その頃の俺は、山梨の高校サッカー代表ベスト11に選ばれた道に戻るべきか、それとも、理論物理学者のようになる道を選ぶべきか、迷いに迷っていたわけだ。
俺はこう聞きたかったんだ!
「先生、質問よろしいでしょうか?」
「僕はずっとサッカーをやってきたんですが、僕がこれから理論物理学者になることは可能でしょうか?」
これを思い出した。
昨日までは、俺はこう聞きたかったんじゃないかと思っていたんだ。
「先生、質問よろしいでしょうか?」
「ディラックの量子力学の最後の章に「無限大の困難」という章がありますが、それをどう考えでしょうか?」
昨日その頃に買ったディラックの教科書を見たら、俺がディラックの英語の教科書を買った日付があった。これだ。
ドナ・サマーのサイン
これを買ったのは、11月8日。秋学期の頃だ。
つまり、俺はまだ7月にはディラックを読んでいなかった。
なぜなら、俺が量子力学を真面目に勉強し始めたのは、このディラックの英語の教科書を買ってからだったからだ。
だから、朝永振一郎先生
にディラックの教科書の質問をするはずがない。
俺は、朝永先生にサッカー選手が物理学者に転向可能かどうか聞こうとしたんだ。これを思い出した。
ところが、昨日の妄想メモのように、あえなく質問のチャンスが消えた。(そして、なんと朝永先生はその翌年に亡くなってしまわれた。)
だから、合宿から帰った後、俺は、休暇中の1ヶ月を当てて、それまでサッカー選手から理論物理学者になれるかどうかを自分で確かめようと物理学者の自伝を買い集めて、1日2冊のペースで読み始めたのだ。
たしかこの1ヶ月で100冊程度の古今東西の作家の代表作1冊と物理学者の自伝や伝記を読んだのだ。
このときまで、俺は、サッカーと天体観測と顕微鏡観察と白黒写真現像くらいの本しか読んだことがなかった。
小説といえば、小学校5,6年の同級生の読者家の少年と親友になった時、その彼の影響で初めて図書館なる場所へ行って、お前がその棚段を読むなら、俺はこっちの棚段を読むといって、ジュール・ベルヌの空想科学小説の棚段を全部1冊ずつ読んでいったことくらいだ。
いまとなって、面白いのは、その段のそばに、岡潔の何かの本があって、それを読んだのだ。全部忘れたが、一箇所だけ完全に頭に記憶した部分があった。その本がどれだったかいまだにわからない。手に持っている本のどこにもそれが書いてない。
しかし、その本には、岡潔が、人類を類別化したものがきれいに箇条書きで書いてあったのだ。たしかこんなふうなものだ。
第1級。日本人。第2級。中国人。第3級。西洋人。第4級。発展途上国人。第5級。動物。
俺は、「へ〜〜こんな事があるのか?」と思いつつ、ひどく驚いた。この岡潔っていう人は変な人だなと思って、名前とその人類類別化だけは記憶したのだ。
そして、岡潔を読み始めたのは、比較的最近ここ10年ほどだと思う。
しかし、今回の本で書いたことを結果的に見れば、俺はこの岡潔の言ったことを証明したようなものなのだ。岡が正しかった。
とにかく、俺はスポーツしかやっていなかった。だから、小説というのは一度も読んだことがなかったのだ。学校の現代国語の中でしか読んだことがなかった。
そんな本を読まない俺を見かねて、親父がいつも「和基はマンガでも良いから文字を読め」と言って忠告してくれたんだな。だから、マンガはよく読んでいた。
だから、朝永にあった後、とにかく、サッカーから物理へ転向できるかどうかだけを知りたかったんだ。朝永に答えてもらえなかった。そして、自伝を読むと、二人だけ明確に答えている人物がいた。
レフ・ダビドビッチ・ランダウ
長岡半太郎
この2人だ。
特にランダウ先生の自伝か伝記に、俺と同じようなことをランダウに聞いたロシア人の若者がいたんだ。そいつはこう聞いた。
「僕は25歳を過ぎていますが、僕はいまから理論物理学者になりたんですがなれるでしょうか?」
ランダウは、
「それはいつでも可能だよ。今自分はもう50歳を過ぎているのに、新しい物理を学んでいる。」
たしかこんなふうな会話が残っていた。
また、長岡半太郎も人間本人の努力次第で決まるというような答えだった。
これで、俺は自信を持って、
「今からでも遅くない!俺の努力次第だ」
そう思って、理論物理学者を目ざす決心をしたわけだ。
それから、45年。
それが今の俺だ。
ところで、今思えば、どうしてランダウと長岡半太郎がそういう答え方をしたのだろうか?
その時の彼らの本の中にあった理由は思い出せないが、きっとこうだろうという大きな原因を比較的最近気づいたのだった。
彼らの時代のスーパースターはだれだ?
長岡半太郎の西洋のライバルは?
ランダウの先生は誰だ?
両者共通だったって知っている?
そうだ。それがニールス・ボーアだ。

原子の太陽系モデル。前期量子論の発見者だ。
長岡半太郎は、原子の土星モデルを提唱し、西洋世界に衝撃を与えたのだ。長岡の原子模型というやつだ。
アジアの極東にこんな頭のいいやつがいるのかって驚かせたわけだ。これが雛形になって、長岡が土星なら、俺は太陽系だということになって、ボーアの原子模型ができたのだ。
ボーアには師匠にラザフォオードがついていた。結局、その差が勝負を分けたのだ。
ラザフォードは原子核を発見した男だ。だから、原子が土星のようではないことをよく知っていたのだ。原子核は拡がっていない。ずっと小さい。原子は太陽系のようにすかすかだと知っておったんじゃ。
このニールス・ボーア、たしか双子だった。双子の弟がいた。たしか双子だったと思う。天才双子兄弟。
今調べたら、双子じゃなかった。ニールスが2歳上の兄だった。すまん。
そいつが、ハンス・ボーアだった。ハンスじゃなかった。ハラルドだった。すまん。
兄のニールス・ボーアと弟のハラルド・ボーアは、サッカーのデンマークユース代表になれるほどうまかった!
兄がフォワード、弟がゴールキーパー。弟から兄へのフィード。それで点をとる。シンプルな攻撃。ところが、ふたりとも怪我して脱落。
そして、兄は物理学者へ、弟は数学者になった。兄は物理学を変革、弟は数学を変革したのだ。
兄は原子を解明。弟は数学の概周期関数を解明した。準周期系の基礎論だ。
この弟のハラルド・ボーアとアメリカの早熟の天才児ノーバート・ウィーナーが極めて仲が良かった。そして、ウィーナーもこの理論を勉強し始めた。
そして、そこからウィーナー積分が登場したのだ。そして、ウィーナー過程が誕生した。つまり、現代確率論がここで生まれたのだ。
このウィーナーが、レヴィに手ほどきして、レヴィ過程が生まれた。ウィーナーーレヴィ過程だ。いまの大半の数学者はこれで飯食っている。
つまり、ハラルドとウィーナーがいなければ、現代数学がなかった。当然、ネルソンー保江は存在しない。
そして、このハラルドはニールスの2歳下の弟だ。
ニールスは、原子内の電子の軌道を一種の高周波振動のように捉えたわけだ。モードからモードへ時々刻々と移り変わるイメージ。
それが、ボーアの理論につながる。
ドイツのゲッチンゲン大のマックス・ボルンが出てくる。
ボルンはウィーナーと仲が良かった。ボルンはウィーナーを招待してウィーナーに事ある度に、自分のところの若手に手ほどきさせたのだ。たびたび数物講演会を行なった。
そこの若手にハイゼンベルク

とパウリ
がいた。自分はゲッチンゲンの物理のボス。助手がヨルダンだ。
数学のボスがあの伝説、フェリックス・クライン。
その下に伝説のデービッド・ヒルベルトがいた。
そのヒルベルトの助手がジョン・フォン・ノイマンだった。
ある時、ハイゼンべルクたちの前にウィーナーがやってきた。
ウィーナーがぶち上げた。
「以上をもって、複雑にランダム変動する音響のパワースペクトルには、作用時間と周波数との間には、ある種の不確定性原理が成り立つことが厳密に証明されたのです」
これが、いっきにハイゼンベルクの頭に火をつけた。彼は夏、湖にこもる。
普通の伝記では、フェイフィーバー、スギ花粉症を避けるためだと書いてある。しかし、俺はそうは思わない。一人切りになりたかった。アイデアに集中するために。最近までの俺と同じだ。論文をまめあげたかったのだ。
そして、不確定性原理の発見をするわけだ。量子力学の発見。このロジックの最初の電子の軌道を周波数に分解するというアイデアだった。
これこそ、オリジナルはアメリカのノーバート・ウィーナーから来たものだったのだ。
そして、その指導者だったボーアのいるコペンハーゲンが世界の物理の中心に変わっていった。なぜなら、ニールスとハラルドがいたからだ。理論物理で必要なのは、物理と数学。この両方の革命児がいた。
そこへ、ボルン、ハイゼンベルク、ランダウ、シュレーディンガー、
仁科芳雄、
。。。と世界中から留学したのだ。
だれが仁科芳雄をボーアのところへ送り込んだ。いうまでもなく、長岡半太郎だ。
世界の中心の物理学者と数学者の2人が、サッカーのデンマーク代表クラスのサッカー選手だったのだ。
だから、ランダウと長岡半太郎はこういうことを絶対に聞き知っていたはずなのなのだ。
したがって、当時まだなにも知らなかった僕が、朝永振一郎先生に向かって
「僕はサッカー選手だったんですが、いまから僕が理論物理学者になれるでしょうか?」
と聞けば、どう答えただろうか?その時は答えてもらえなかった。
しかし、その質問を聞けば、
「はい!もちろんです」
この一言だったはずだ。俺はそう思う。
だから、本当は、俺はそのセミナーに出る必要はなかった。
キャンディーズの突然解散宣言コンサートへ行って、ミキさんに会うべきだった。
そして、ミキさんにこういうべきだったのだ!
「ミキさん、あなたが普通の女の子になったら、僕のお嫁さんになってください。
いま僕はサッカー選手ですが、これから理論物理学者になります。
それまで、待っていてください。」
ミキさんなら、きっと待っていてくれただろう。
あるいは、こんな事を言いそうなやつは5万といたから、無視されただろうなあ。
向こうからすれば、俺は特別じゃない。
初な人と思われて終わりだったのかもしれない。
しかし、天はそうはしてくれなかった。
だが、天はもっと粋なことをしてくれた。
ミキさんの分魂のような妻をくれた。
ミキさんと瓜二つのミキさんよりも6歳若いいまの奥さんをお与えになったというわけだ。
人間万事塞翁が馬
万事めでたし。これで良かったんだと思う。