みなさん、こんにちは。
寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。今日も元気にキャンディーズで行ってみよう。というところだが、ミキさんの話のところで、彼女の父親が、バリトンのレジェンドだったということをメモしてきた。
前にメモした、以下のメモで、彼女の父親、藤村晃一さんの話をついでにメモした。
彼女の父こそ、「ベル・カント唱法」の名手、バリトン歌手だったというわけだ。
むろん、昨年暮れまで私はそんなことは一度も聞いたことも読んだこともなかった。
一方、私の声は、正真正銘のバリトン。歌手ではないが、天性の美声の方だった。
だから、サッカーで私がグランドでプレー中に「コーチング」すると、グランド全体に私だけの声がこだました。そういう感じだったのだ。
ところで、サッカーのコーチングとは、次のようなことを言う。
サッカーには鉄則がある。
「後ろの声は神の声」
というものだ。
自分より後ろのポジションにいる選手の方がより広く前を見ているわけだから、前にいる選手は後ろの選手の言う指示に従え。
こういう鉄則のことだ。
一般に、弱いチームほど、自信がないから、声が出ない。強いチームほど、威勢よく相手を威嚇するような声出しを行う。
徳島のサッカー選手はほとんど黙ってサッカーをする。外国と比べたら日本人の選手の方が黙ってプレーするのだ。
それではいかんというのが、コーチング。
声出しの指図。お互いに試合中喧嘩するくらいの大声で、呼び合う、会話しながらプレーするのだ。
これが日本人には性質上出来ない。
ところが、私は最初に野球をやってはじまったせいか、これができた。野球は選手間の距離が離れている。外野と内野、外野とキャッチャー。こういう間で大声で声出さないと意思疎通ができない。
だから、1年生で入部した瞬間から、外野からホーム、あるいは、グランドのこっちの端から向こうの端まで声出して届かせるという発声練習をした。
これが、私の地声を非常に発達させたのだ。
しかも声質が、バリトンの美声に近かった。だから、声楽出身の音楽のバリトンの先生に目をつけられたのだ。
私の声は、ここ阿南に来てから、もうほとんど大声を出していなかった。だから、息子の入学式や卒業式で校歌や国歌を歌う場合でも、ほとんどいい声が出なかったのだ。途中でかすれてしまう。
それで、もうあのバリトンの声は二度と出ないと思っていたわけだ。
ところが、2014年のブラジルワールドカップの初戦、レシフェで行われたコートジボワール戦の君が代斉唱。
その時に、奇跡が起こった。
それが、これだった。
ついに、奇跡的に私のバリトンの声が、グランド全体に響き渡ったのだ。そして、それが国内のテレビ報道でも流された。
私は、ちょうど選手が歌っている側から見れば、正面左の角の真ん中あたりにいたのだ。左隣にもうひとり声の出る青年がいた。
私は、このとき、後に武内宿禰の妻になる女性から、ブラジル国旗の入ったタオルをもらっていた。それを頭の上に広げて、少し斜め上を見ながら、上半身を反り返るような形で歌ったのだ。
あの野球の黒い制服の応援団が歌う格好だ。とにかく大声で歌おうと、そう思っていたのだ。
我々は、正面側の右の角だったために、長方形の角のところ、前にいる選手たちを撮影するカメラ陣の比較的すぐ後ろに立っていたわけだ。
ブラジルのテレビ局が前を左右に歩きながら撮っていた。
そこで、先にコートジボワールの国歌が歌われ、次に君が代になった。
そのとき、普通なら、最初の1小節を繰り返して、「きみがよは〜」と歌う場面を、ブラジルの楽団は知らなかったようで、最初からそのまま行ってしまった。
それで、最初に歌い出したのは、コートジボワール側のゴール裏にいた、あの青いビニール袋の日本人サポーターの集団だった。だから、マイクから離れていたから大きな音にはならなかった。
それで、「千代に八千代に〜」から、我々が突然の大声で彼らの左斜め前から、聞こえ始めたわけだ。
それに本田圭佑が興奮してこっちを見つめるのだ。
それが、我が国で放映されたテレビでも出たわけだ。
ところが、そのYouTubeがだいぶ前に削除されてしまった。
そう思っていたら、なんと韓国のYouTubeにそれがアップされていたのだ。というわけで、唯一私のバリトンの声が録音されているのがこれだ。
奥さんが、日本でテレビで聞いていたら、ちゃんとどこから私が歌い出したか聞き取れたのだ。
ここで、本田圭佑が私の声をだれだと思ったと思う。こっちに気づく。
この会場の後ろの声は、我々の手前のマイクが拾っているので、我々の声がベースのように録音されたのだ。
集団の集合音だから、みんな同じようになると思うだろう。なんとおめでたいやつだと思うかもしれない。
もしそう思うなら、次の試合のコロンビア戦の君が代斉唱と比べたら良い。
たしかに集合音で似ているが、私のバリトンの中低音の響きは存在しない。なぜなら、私はコロンビア戦の前に帰国したからだ。
背景音の中のベースのように美声が聞こえる部分、それがレシフェの俺の声だ。私の声を一番良く知る妻は、ちゃんと聞き取ったのだ。
とにかく、人生でこれほど大きく、しかもスカーーと空に抜けるように歌えたのはこれが最初で最後だった。
レシフェのグランドは、非常に郊外の田舎にあった。だから、周りはあまり音のない非常に静かな場所だった。
だから、我々が歌うと、それが街中に響き渡るというような場所だったと思う。
とにかく、会場は物音しないと、シーーーンと向こうの声が聞こえるような場所だったのだ。
だから、私と隣の青年の声が響き渡った。とくに俺の声。
そして、歌い終わって、周りを見たら、俺たちの周りに群衆がいて、スマホで録画撮りまくっていたんだナ。
スマホをみんながこっちに向けていたんだ。
それほど、我々の歌声は彼らにとって印象的だったというわけだ。
その中にこいつがいた。マシアス。ちょうど私の右。
その近くにこいつのママがいた。
えらく感動してくれたんだよな。
そして、後ろを見たら、上の方にブラジル人の小学生たちが陣取っていて、こっちみて、話しかけてきた。
グッジョブ!
と良いねサインをしてきやがった。生意気なブラジルの子供らだなと思ったが、こっちも笑顔で、サンキューといったわけだ。
さて、おそらく、もう1つの俺の声は、あの武内宿禰との対談の中で、このブラジルW杯の君が代の話をし始めたときに、いきなりなんの知らせもなく、歌い始めたわけだ。
それがきっと最初の方のどこかに入っていると思う。
100%ではないが、60%くらいのパワーで歌ったと思う。その講演後の直会の終わりに、あるゴスペルの女性グループが、君が代をお返しに歌ってくれた。
おそらく、俺のバリトンの声がどんなものか解るのは、この2つしかない。
そのうち、「
千の風にのって」を、あの中林の海で歌おうかと余興を思っているが、下手にあそこに今近づくと、海の藻屑に消えそうだ。
ジョーダンは吉本。
ミキさん、俺にお父さんのベルカント唱法を教えてくれ。