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【キャンディーズ】キャンディーズが「22才の別れ」を唱ったわけは、「いつか解散」の暗示だった!

(つづき)

この中で、キャンディーズが、このカーニバルを準備してきて、どうしてもこのフォークソングは歌おうと決意して挑んだものが、

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これも彼女らに秘められ結成の密約を理解すれば分かる。

1973年9月1日のデビューからちょうど丸2年

1975年の8月26日

のコンサートである。

解散予定は

1976年8月末日。


つまり、残りはあと1年。1年しかないのだ。この段階では、彼女ら3人はそう考えていたに違いない。

この時、

ランさんは、数え年21才(満20才)
ミキさんは、数え年20才(満19才)
スーさんは、満19才。


だから、

あと1年

残り1年を前に、それとなくファンたちに、いまの自分たちの思いを暗示した。俺はそう思う。


22才の別れの歌詞はこんなものだ。

あなたに「さようなら」って言えるのは
きょうだけ
あしたになってまたあなたの
温かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう
そんな気がして
わたしには鏡に映った
あなたの姿を見つけられずに
わたしの目の前にあった
幸せにすがりついてしまった

わたしの誕生日22本
ロウソクをたて
ひとつひとつがみんな君の
人生だねって言って
17本目からは一緒に火をつけたのが
昨日のことのように
今はただ5年の月日が
長すぎた春といえるだけです
あなたの知らないところへ
嫁いでゆくわたにとって

ひとつだけこんなわたしの
わがまま聞いてくれるなら
あなたはあなたのままで
変わらずにいてください そのままで 
そのままで そのままで そのままで



どうだろうか?
これほどキャンディーズの人生とぴったりの曲はなかったのではなかろうか?

17才で3人一緒に東京音楽学院で学び、18才でデビューし、21才ごろに解散する。

そして、現実に1年オーバーしてしまった

1977年7月17日

の10000万人コンサートで

普通の女子に戻りたい」といって、「自由になりたい」=「あなたの知らない所」へ嫁ぐと宣言した。

そして、実際に解散になったのは、

1978年4月4日

ほぼ5年後。4年半である。

この時、

数え年で、ランさんは22才、ミキさんは21才、スーさんは21才。

つまり、キャンディーズは22才の別れだった


だから、そのど真ん中の1975年で、

みなさんと「いつかさようならします」って言えるのは
今日だけです。
明日になれば、またキャンディーズに戻ります。
あなた方、ファンのみなさまの温かい声援に触れると
言えなくなってしまいます。
そんな気がして、今日のこの幸せにすがりつきました。
キャンディーズの目の前にあった幸せにすがってしまいました。

わたしたちキャンディーズの誕生日1973年9月1日に
22本のロウソクを立てました。
ひとつひとつがみんなキャンディーズの
人生だねって言って
17才から3人でいっしょに東京音楽学院で
キャンディーズを結成したのが
昨日のことのように
いまはただすでに5年の月日が
長すぎた春といえるだけです。
1976年8月末には
あなたの知らないところへ
嫁いでいく私たちキャンディーズにとって

ひとつだけこんなキャンディーズの
わがままを聞いてくれるなら
ファンの皆さんはずっと私たちキャンディーズのファンのままで
変わらずにいてください


と言ったように聞こえるのだ。

俺には、こう聞こえるのだ。俺の妄想、単なる考えすぎかも知れない。

キャンディーズが、このチャンスにそれとなく、自分たちの活動はもう残り少なく、後1年ですと言いたかった。しかし、会社との建前があるから、面と向かってそんなことをいえば大問題になる。だから、それとなく、ほのめかすしかなかった。

ここに、キャンディーズのこの3人の精神性の高さと知性を見るのだ。俺は、これに感銘を受ける。


こうして、ここからキャンディーズは、怒涛の全国ツアーを計画し、1年で200回公演に出かけていく。

こうやって、1年後の1976年夏休み最後に解散したかった。

しかし、おそらく会社に説得されて、この年の1976年の年末の紅白に出る。

そして、さらに4年目1977年に入る。

こうして、ついに当初の計画がおじゃんになったおかげで、

1977年7月17日

あの解散宣言の日が訪れた。


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こうしてみると、なぜキャンディーズが解散したか、それは、トラブルでも、金の問題でも、仲間割れでも、不仲のせいでもなんでもない。

当初の計画だったと彼女たちがいったそのままだった。彼女らは一貫していた。

しかし、会社は最初は、まあ、3年やろうよ、頑張ろうよといって密約したが、売れなかった1年目の頃はもう解散しろと言い出し、彼女らがそれだけはだめと懇願し、逆に売れだしメジャーになりドル箱路線になった途端に、その約束(契約)を反故にして、もっとやれと言い出した。

この会社の方針転換、つまり、金儲けという【大人の都合】で約束(契約)を変えられることに我慢ならなかった。

キャンディーズは3年契約と思っていたところ、渡辺プロは口約束だと思っていた。

この認識のズレが、彼女たちを1年半苦しめたのだ。

ここに、ミキさんが「変な大人になるより、純粋なままでいたい」といった意味がある。つまり、「金儲け」のためなら何でもやるような大人になるより、普通の女の子でいたい。儚い青春の1ページの活動で終わりたい。そういうことだったのだ。




前にメモしたように、この3人にとり、3年間学制上何も問題なく、ぴったりハマったのは、リーダーのランさんだけだった。


ミキさんは音楽一家から出る羽目になり、スーさんは学業高校生活を無にした。ランさんだけが、すべて順調だった。

彼女らはおそらくこの問題を早く解消したかった。だから、3年と区切ったのである。それが1年、2年、。。。と長引けば長引くほど、それぞれの家族が犠牲になる。

事実、スーさんは家庭が犠牲になった感がある。実弟が病気に倒れた。ミキさんは、家庭の遺産の声楽やピアノを捨てなければならなかった。ランさんは、この点でも家庭から支援された。しかしながら、そのランさんですら、せっかく入った日大芸術学部の大学生活は犠牲にせざるを得なかったに違いない。

彼女らは青春の1ページとして、一種のクラブ活動のような感じで行った。なぜなら、彼らの家庭は非常に恵まれた幸せな中流家庭で、お金の問題があるわけではなかった。

だから、キャンディーズの活動は金が目的ではなかった。もし金が目的だったら、解散などするはずがない。できる限り、居座るだろう。キャンディーズは活動が終われば、各家庭に戻ればぞれで問題なかった。家事手伝い。花嫁修業が職業の時代である。

しかし、会社の方は高度成長期でビッグビジネスにしたかった。だから、ドル箱が出てきたら、それをできる限り維持したい。そういうことだったわけだ。そこで、「大人の事情」に固執したのだろう。企業としてはそれは当然の路線。

この大きなギャップの解消には、会社の人達に言ったところでわかってもらえない。

だったら、ファンこそすべて、10000人のファンの証人の前で、突然の解散宣言でいうしかない。

こうして、解散宣言になったのだ。

ここにも、彼女たちの純粋さ、一途さ、素直さ、一貫性がある。俺が惹かれるのがこれだ。

この素直さ、純粋さが歌に出ているわけだ。

ふざけるときは純粋に徹底的にふざける。
笑うときは徹底的に笑い転げる。
真面目なときは徹底的に真面目にやる。
唄うときは世界最高の歌を目指す。


こうして、これを表のテレビのコメディーでも暗示した。


ラン助「くやしい〜〜」
スー吉「ラン、泣かないで。私たちには時間がないのよ。」
ミキ子「そうよ、ラン。世界のキャンディーズになるまで

というネタだ。






ほんとこの3人は素晴らしい女性たちだった。



キャンディーズは永遠です!


弥栄!






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by kikidoblog3 | 2021-03-20 15:11 | キャンディーズ

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