みなさん、こんにちは。
寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。今日も無事覚めたから、元気にキャンディーズで行ってみよう。
陰謀系は別のサイトでしばらくはお願い。いまは地震電磁波は出ていない。
1週間ほど塩を断ち、かつ処方された薬の効果が出たのか、今日から昔のような平常血圧に戻った。体調も良好。顔もここ最近のYouTube動画のような俺のぼってりした中年男風ではなくなった。このブログの写真のような感じになってきた。顔がすびた。やはり高血圧になると、顔がむくんでいたのかも知れない。まったく気づかなかった。
さて、今日はキャンディーズが表のメディアでは、ほとんど唱ったことがない、フォークソングのカバー。それもキャンディーズ風のコーラスのものがYouTubeに2つ残されている。これをメモしておこう。
なぜなら、私のこれまでのキャンディーズ研究によれば、
彼女らは、コンサートのライブで、そうしたカバーソングに託して、
表立っては語ることの許されない、いまの彼女らの「気持ち」を、ファンの前で唱ったようにみえるからだ。
いわば、ファンへの暗号メッセージのようなものだったと思う。
キャンディーズは1973年9月1日に結成され、1978年4月4日に解散した。
しかし、1973年の結成時に、会社渡辺プロダクション、そのプロデューサー松崎澄夫氏およびマネージャー大里氏とキャンディーズの3人との間で、
3年間で解散
という密約が結ばれていた。とにかく、「この3年間は3人で頑張る」という約束だった。
つまり、当初の彼女らの予定では、
キャンディーズは1973年9月1日に結成され、1976年9月に解散
の予定だったと思う。そのはずだった。
この時系列を念頭に置かないと、彼女らのライブ・コンサートやカーニバルでの彼女らの行動や挙動の意味を理解できない。
逆に、これを頭に入れると、彼女らが、
なぜ、いまこの歌を唄うのか?
なぜ、この歌を選んだのか?
それが見事に理解可能になるのだ。
だからこそ、彼女らのオリジナルのカバーソングや、表では決して歌われなかった新曲などに、彼女らの思いの丈が乗せられたのだと考えられる。
(あ)1974年12月24日のクリスマスイブ。白いコンサート
ちょうど結成1年目ほどしたこの頃、このクリスマスイブの初ライブ・コンサートを行った。
そこで、キャンディーズは、はしだのりひこさんの名曲「風」を唱った。
LP(CD)ではランちゃんリードヴォーカルですが、これは3人のコーラスバージョンです。'74年Xマスイヴの「白いコンサート」最終曲。静かな曲なのに、観客のマナーの悪さが残念です。 ・オリジナル:「はしだのりひこと シューベルツ」のヒット曲
なぜ、この1974年の12月24日にこの歌を選んだのか?
キャンディーズは、その頃までに、
あなたに夢中、なみだ草
そよ風のくちづけ、桜草のかなしみ
危い土曜日、青春の真ん中
なみだの季節、迷える羊
を出していた。しかし大ヒットせず、鳴かず飛ばず状態。一説では、渡辺プロから、
スーちゃん1人を独立させて、ミキちゃんとランちゃんは、会社の事務員になれという路線が提案された。
そこで、3人が直訴し、最初の予定通り、3人でやらせてくれと社長に哀願したのだ。
これが、このクリスマス前のこの年の状況だった。
この風の歌詞を見ると、ちょうどこの状況にぴったりだと分かる。
人はだれもただひとり旅に出て
人はだれもふるさとを振り返る
ちょっぴりさみしくて振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ
人はだれも人生につまずいて
人はだれも夢やぶれ振り返る
プラタナスの枯れ葉舞う冬の道で
プラタナスの散る音に振り返る
帰っておいでよと振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ
人はだれも恋した切なさに
人はだれも耐えきれず振り返る
何かを求めて振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ
振り返らずただ一人一歩ずつ
振り返らず泣かないで歩くんだ
ちょうど、東京音楽学院で数年の準備して、希望に満ちてキャンディーズとしてメジャーデビューしたが、1年まったく売れず、「夢やぶれた」状態で、しかもすぐ解散されられそうになった。
しかし、ファンに対して、自分たちの夢を捨てず、後ろに戻るのではなく、ただこれから一歩ずつやっていくんだというキャンディーズの新たなる決意表明なのである。
当時のファンも、いまのYouTubeをアップした人も、だれもそういうことを理解できなかった。
俺にはそう見える。
俺が、キャンディーズに惹かれるのは、彼女らのこうした生き様にある。
すべての行動に、秘められた意図がある。それをこうして発見するたびに感銘を受けるのだ。
ファンは単に美人で若い新鮮な女子コーラスアイドルの歌としか受け取らない。だから、背景のファンの声援が邪魔に聞こえる。
しかし、白いコンサートはそうして売れない中で、ピンチにある中でも、こうして聞きに来てくれる熱烈な若い男子たちに対して、コンサートの最後の曲として、自分たちキャンディーズの今後の継続と努力の
決意表明
としてこのライブにおいて「風」が歌われたのだ。
そして、翌年
年下の男の子
で大ヒットし、オリコン3位入賞。いよいよメジャー世界に躍り出た。
つまり、彼女たちの決意とその努力が実ったのである。
ところで、この時、初めて、それまでのセンターのスーさんからランさんへのシフトが起こった。これ以来、ずっとランさんがセンターの時代が続く。それが大成功の秘訣だった。
実はこれは意外なことだったかも知れない。が、あまりこれまで分析されたことはない。言われたこともないようだ。
最近、私がキャンディーズにハマって、奥さんに初期の「あなたに夢中」を聞かせて、最初のCDをあげ、それを奥さんが聴きながら唄うようになった。
そうして、6曲を聴きながら一緒に歌いながら、通勤するようになった。
すると、わかったことは、スーさんのキーは高すぎて声が出ないというのだ。しかし、ランさんだとキーがピッタリでうまく歌える。
つまり、ソプラノのスー、メゾソプラノのラン、アルトのミキで、
我が国の大半の人には、ランさんだと男女歌える。スーさんだとソプラノ女子だけが歌える。ミキさんだと男子のキーになって男子が歌える。
こういう事情だった。だから、スーさんがセンターだとメゾソプラノまでキーを落とせば、最初から大ヒット出来たに違いない。実際、彼女ら3人はどの音階でも歌える訓練ができていた。
当時の渡辺プロはそういう面ではかなり甘かったのかもしれない。
(つづく)