みなさん、こんにちは。
寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。寝ても無事覚めたから、今日もキャンディーズ。キャンディーズでいってみよう。
最近は、日月はHeavenese。それ以外はキャンディーズ。たまに地震予知。そんな話題しか書いていないが、俺はそれでいいと思う。
他の人がいまどき得意げに語ることは、俺は10数年前からすでにずっとメモしてきたことで、すべて知っていること。驚くことがない。
わかい人はYouTubeでいかに生活費を簡単に稼ぐかそれだけが目的だろう。別に否定はしない。
さて、キャンディーズを語って来て、はや3ヶ月。だいぶ、よくわかってきた。
キャンディーズ現象
当時の流行語だったが、当時の日本人にはこのほんとうの意味がわからなかったと思う。彼ら当時のマスコミには、
若い男子がたった3人の若い女の子のキャンディーズを追っかける現象
そうとしかみえなかった。単に今のマスゴミ同様、社会の表象的現象を見るだけで、そういうものの本質を捉える力はなかった。むろん、今もない。だから、マスゴミ、ダマスゴミ、フェイクメディアなどと呼ばれるわけだ。
これまで拙ブログでメモしてきたように、若者ほど本質的ななにかに惹かれるものだ。理屈ではない。言葉ではない。なぜかわからないが、なぜか惹かれるのだ。
なぜなら、その当時は斬新すぎてそれを語るために必要な言葉や概念が生まれていないからだ。
一方、頭で考える人間、前頭葉で考える人間、理屈で考える人間、いわゆる「大人」は、言葉や概念がないと理解不可能。
だから、普通の当時の大人にはさまざまに自分なりの理屈をつけて納得できるだけのことだ。あるいは、理解できないから「困った奴らだ」と否定する。無視する。
「キャンディーズなんてなんてことないよ」っていう具合だ。
この我が国で1970年代に起こった、つまり、キャンディーズが1972〜3年にデビューして1978年4月4日の突然の解散までに起こった、このキャンディーズ現象。
これと同じように、「〜〜〜現象」と呼ばれたグループはあったのか?
実は世界に目を向ければあったのだ。
それが、1960年代に世界を席巻した
「ビートルズ現象」
だった。
ビートルズのファンは、男女さまざまだったが、ビートルズが来るまで空港に前の日から寝泊まりし、押し合いへし合いの状態で待った。
ビートルズは英国リバプールで発祥した。それから、ロンドン、そして元大英帝国の植民地だった英語圏の国々、アメリカ、オーストラリア、そして欧州各国など、さまざま国々を周り、ついに我が国にもやってきた。
1969年6月29日から7月3日の間来日。
コンサートは東京武道館で6月30日から7月2日の3日間行われた。
ビートルズは戦後、世界が米英支配になり、英語支配の時代になった世界に生まれた。だから、自然に英語のグループは全世界で聴けるから、世界クラスになったわけだ。
だから、母国英国からすれば、カナダ、アメリカ、ニュージランド、オーストラリアは一地方でしかない。つまり、一種の英語圏における「地方公演」のようなものだ。
英語圏の国々にとっての中央都市、それがイギリスだ。元宗主国の大人気のグループ。それがわざわざ自分の国へ来てくれたのだ。絶対に見に行くだろう。
この状況はキャンディーズが中央の東京で生まれ、それが各地方へ講演に行ったのとよく似ている。戦後の日本人にとって、日本が世界だった。だから、我が国の宗主国に対応する東京で生まれたキャンディーズをひと目みたいと地方の若者たちが思ったのだ。
一方、我が国の場合、1945年に終戦し、大都市は粉々に打ち砕かれ焼かれた。瓦礫の山の都市に変わった。東京はほぼ完全に消失した。
それから10年。
1955年。このたったの10年で日本は復興への兆しを掴んだ。特に東京の復興は早かった。
その東京では、この年の1月13日に伊藤蘭が生まれた。伊藤蘭が生まれるちょうど1年前の1954年には、後の大作詞家になる森雪之丞が生まれた。
翌年の1956年の1月15日に藤村美樹が福島に生まれ、4月8日に田中好子が東京下町に生まれた。戦後の我が国の6334制では、早生まれの藤村美樹は学年が1つ上になった。
そして、1957年には10月13日にこの俺が山梨県甲府市に生まれた。ここで生まれていなければ、今こうしてこれをメモすることもなかった。
それから、キャンディーズとしてデビューするまで、10数年。17年ほどである。
だから、我が国では、キャンディーズが誕生した1973年は、まだ1945年の瓦礫の東京から28年ほどしか経っていない。
東京五輪は1964年。だから、戦後20年。
大阪万博は1970年。だから、戦後25年しか経っていない。
世界がビートルズ旋風、ビートルズ台風という「ビートルズ現象」のさなかにあり、だれも我が国が戦後いち早く復興するだろうとは思っていなかった時代だ。日本国内で何が起きていたかなんて、世界のだれも注目する時代ではなかった。
今とは違う。ネットもなければ、ディジタルもない。マイクロソフトとアップルのパソコンが生まれたの1980年代。ネットが生まれたのは1990年代。ウィンドーズやグーグルは1995年。YouTubeは2000年代。
ビートルズの時代、キャンディーズの時代は、アナログカメラの時代。ポータブルラジオの時代。せいぜい最先端でラジカセの時代だった。ニコンの一眼レフカメラやコニカのハンディーカメラを首に下げ、ラジカセ持ってコンサートへ行く。あるいは双眼鏡。これが当時の全キャン連の一番ハイテクの若者の出で立ちだった。
だから、キャンディーズが日本のシュープリームスどころか、日本のビートルズだったとしても、世界の誰も見向きもしなかったわけだ。それも不思議はない。情報が届かなかった。
しかし、43年後の今は違う。海外の多くのキャンディーズファンが誕生し、もう存在しないこと、時代が早すぎたことに対して涙して嘆いている。俺はそう思う。
しかし、まだ映像に残る。海外の人々はそれらを毎日見聞きし、今の時代にない新鮮で純粋な日本のキャンディーズの音楽を楽しんでいるのである。いまやそれは全世界に広がったと思う。コメント氏を見る限り。
そんなわけで、キャンディーズとビートルズを対比すると非常に絶妙に対応がつく。しかも好対照だから、実に面白い。それを一応メモしておこう。こんな感じだ。これは昨日作ったものだ。
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ビートルズvsキャンディーズ
グループ ビートルズ キャンディーズ
時代 1960年代 1970年代
国 英国 日本
人種 英白人 日本人
言語 英語 日本語
都市 リバプール 東京
性別 男子 女子
人数 4人 3人
開始年齢 20代前半 10代後半
メンバー ジョン・レノン22 伊藤蘭18
ポール・マッカートニー20 藤村美樹17
ジョージ・ハリソン19 田中好子17
リンゴ・スター22
デビュー年 1962.10.5 1973.9.1
誕生場所 教会のガーデンパーティー 渡辺プロの東京音楽学院
ジャンル グループサウンド アイドルコーラス・グループ
演奏 自分たち MMP&スペクトラム
活動期 7年半 4年半
解散日 1970.4.10 1978.4.4
ファン層 世界の若者 日本の若者
ファンクラブ ビートルズファン 全キャン連・キャンディーズカンパニー
おっかけ層 女子 男子
認知度 全世界 全日本
日本最終公演 武道館 後楽園球場
開催年 1966.6.30-7.2 1978.4.4
活動メディア 音楽 音楽
レコード レコード
コンサート コンサート
テレビ音楽番組 テレビバラエティ・音楽番組・ラジオ・深夜放送
映画 ミュージカル
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ほぼ全てが絶妙に対応がつく。
要するに、戦後、第二次世界大戦の勝利国イギリスとその敗戦国の我が国日本とを比べた場合、イギリス本国の方がダメージが少なく、戦後すぐに復興できた。一方、我が国は致命的なダメージ受けたが、それがイギリスの10年遅れで出来た。
この差が、イギリスで1960年代にリバプールにビートルズが生まれ、日本で1970年代にキャンディーズが生まれた理由と考えられる。
ビートルズもキャンディーズもともに戦後復興の象徴だった。
ついでにいえば、アメリカは戦勝国で無傷だった。だから、戦後すぐもとに戻り、すぐにエルビス・プレスリーが登場できた。プレスリー現象だ。
もしあの時代、ネットがあれば、キャンディーズはそのままで世界のキャンディーズになっただろう。いまなら即世界だった。それほど素晴らしかったのだ。
むろん、こういうことは復興間もないまだドサクサ時代を生きていた当時の日本人や当時の子どもだった我々には理解できなかった。まだ時代が早すぎた。
ビートルズは永遠です!
これと同じ意味で、