みなさん、こんにちは。
寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。キャンディーズで行ってみよう。
と書いていたが、ひょっとしたら、寝ても覚めない場合もあり得るから、今度からは、
寝ても覚めたからキャンディーズ、キャンディーズ。キャンディーズで行ってみよう。
と書くべきかもナ。
さて、今回は、ますますキャンディーズの過去の秘蔵映像というか、秘蔵録音が当時の若者により、YouTubeにアップされているようだ。
特に、キャンディーズは、テレビのバラエティーのイメージ払拭のために、ライブ・コンサートでまったく違うことを行った。
それが、1975年から始まった。カーニバルである。
そういうものがアップされているので、いくつかメモしておこう。残念ながら、Google YouTube当局の縛りで、エキサイトブログでは、1記事一個しか動画を貼り付けられない。そこで、他はリンクしか出来ない。場合によってはそれもできない。その点は了解を。
(あ)ウィキの情報では、キャンディーズがコンサートを開始し始めたのは、以下の時期である。もっともこれには記載されていないコンサートも数多いので、余り信用はできない。しかし、時期を知るには参考にはなるだろう。
(い)
このコンサートがこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=K6a7_CtJhKQ
(う)キャンディーズ 1976 3 29日劇キャンディーズショー
最初の1975年の10000人カーニバルを東京で行ってから、この日劇キャンディーズショーで初めてコンサート以外に、ミュージカルを行い始めた。
前半がミュージカルで、後半でオンテージというものである。あるいはその逆。
このミュージカルは、バラエティー番組の「青春」ものの延長のようなものだった。
しかしながら、すべてオリジナルで、この寸劇ミュージカルの中でさまざまの新しい曲目が生まれた。
その作詞演出の代表が、先日メモした森雪之丞氏だったようだ。他にも当時の新進気鋭の若手の劇団員たちが協力した。
中にはすでにお亡くなりの人もいる。
この青春劇の素晴らしさは、表のメディアに伝わることはなかった。
しかし、一度このキャンディーズの青春ミュージカルを見たら、その素晴らしさに惚れ込んでしまった当時の若者男子が多い。
そして、これでランさんが言っているように、ここから、1日午前午後の2回。1年で100箇所を廻るという荒行が始まった。
だから、1976年だけで200回の公演を行った計算になる。
はたして普通の大人がこれをこなせるか?
20才〜21才のU23のユースでなければ不可能だったと思う。
とにかく、キャンディーズは、まるで甲子園球児が1球に青春のすべてを託すように、1曲1曲にすべてをかけた。
甲子園球児やサッカー選手権の若者たちの何に魅力を感じるかと言えば、そこに
青春のすべてを掛けている姿
だろう。言い換えれば、
純粋さ
にある。
キャンディーズがあれほど若い男子や男子ばかりか女子にもファンが多かったのは、掛け値無しでこの青春をぶつけてくる生き様にあったと思う。
キャンディーズは、解散(引退ではない。引退とはもうできなくなってやめること)した時の最後のメッセージでそれを告げたのだ。
青春のすべて、たった3年間というもっとも青春の真っ只中に人生をかけた。自分たちの能力、持っているもの、努力、すべてを出そうと頑張ったのだ。
これは、たった3年の部活生活のすべてを掛けて戦う、高校球児やサッカー選手たちや他のスポーツ選手たちと同じものだろう。
だから、ファイナルコンサートが終わったり、解散宣言で号泣したのだ。球児が号泣するように。
この純粋さ、これがキャンディーズが世界中の誰よりも素晴らしかった理由であると俺は思う。
これに今見ても感動し、涙を流すのである。
(え)
- 1976年(昭和51年)10月11日: 『キャンディーズ10000人カーニバル Vol.2』開催(蔵前国技館 / 13500人)
が、以下のもの。
https://www.youtube.com/watch?v=sXzDW1fyHG8
キャンディーズは、コンサート活動で、その時々の自分たちの気持ちを代弁する詩を選んで、歌詞をよく吟味して唱ったようだ。
ランさんとミキさんが20、1才のときには、スーさんは19、20才だったが、
フォークソングの名曲「22歳の別れ」を唱った。
https://www.youtube.com/watch?v=IFpDIxyqagc
(お)キャンディーズが、結成最初に会社やプロデューサーと約束した
3年間は3人で頑張る
の時期は、1973年9月1日頃だから、それから3年経過した、1976年9月1日頃には、
これからどうしようか
という相談が3人の間にあったはずだ。
しかし、解散に踏み切れず、1976年末の2回めのNHK紅白に出場。
それからも、以前と変わらず、日本全国へミュージカルコンサートを行った。
そして、ついにあの
1977年7月17日の解散宣言
https://www.youtube.com/watch?v=T_YWl2NYxW0&t=82s

に行き着くというわけだ。
そしてそれから、最後のファイナルカーニバルまで、解散を前提に、日本全国にコンサートに出る。
そして、最後のファイナルカーニバルを成功させるために、妻恋合宿所で音楽合宿を行った。
そして、最後の慈善コンサートで模擬練習をして、最後のファイナルカーニバルを行った。
https://www.youtube.com/watch?v=z21Z4J2oyDE

(か)キャンディーズの偉業
というわけで、キャンディーズの行った偉業の数々は真似できるものではない。
二度とこんなグループは出てこないし、時代がそれを許さないだろう。
キャンディーズは1970年代の我が国だからこそ生まれ、我が国だからこそ出来たのである。
キャンディーズは
(1)テレビ活動
バラエティ、コメディー、音楽番組
(2)ラジオ活動
ラジオ音楽番組、深夜放送、オールナイトニッポン、NHKFM
(3)コンサート活動
10000万人コンサート、カーニバル、ミュージカル
地方公演
(4)レコード活動
シングルレコード、LP,レコード
(5)作曲作詞活動
藤村美樹さんが一番キャンディーズの曲を作曲作詞
伊藤蘭さんがその次
田中好子さんがその次
ファイナルには彼女らのオリジナル作品がたくさんある。
(6)ファンクラブの活動
全国キャンディーズ連盟(全キャン連)、キャンディーズカンパニー
野外ピクニックツアー(朝霧高原ツアー)
などなど、信じられないほど多くの活動を行った。それも、当初の3年から4年半に延長した間に。
よく身体を誰も壊さなかったものである。
確かに、メンバーの体調が思わしくない時や顔色の悪い時、痩せている時がある。
いずれにせよ、青春のすべてをこのキャンディーズ活動にかけた。少しでも上達しよう、うまくなろうと思って努力した。
その生き様、純粋さが、キャンディーズの歌声に残る。言葉に残されたのだ。
それにいま我々が感動するというわけですナ。
キャンディーズに乾杯!