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【キャンディーズ】「キャンディーズはランのためのものだった!?」→俺「すべてがランのためになっていた」「一番犠牲になったのがスー」

みなさん、こんにちは。

さて、寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。今日も元気にキャンディーズで行ってみよう。できるうちに。

以下は俺個人の推測に過ぎない。だから、この見方に同調できない人もいるはずだ。だから、そういう可能性のある人はスルーでよろしく。



最近わかってきたのは、やはりキャンディーズはその3人の年齢構成が彼ら自身に結構障害になったんだと思う。

デビュー当時の1973年の実年齢では、

ラン18>ミキ17>スー17

だったが、ランとミキはともに1月生まれの早生まれというやつで、学年で言えば、

ランは大学1年生、ミキはちょうど高3、スーは高2在学だったと思う。

しかし3人の見た目は小柄で細身で可愛らしかったから、13〜14才の扱いをされた。それがNHKのあのアシスタント。




結局、これがNHKのプロデューサーの目を引いて別の歌謡番組でアシスタントデビューする。



しかし、少女のようなイメージを売り出したかった。だから、子供服のような超ミニの衣装をあてがった。

イメージが決まれば、ナベプロは本当は3人各様に上手だった歌を素人っぽさを出して歌のメジャーデビューした。それが「あなたに夢中」だったように見える。

そのデビューの時、3人とナベプロのプロデューサーやマネージャーとの間で「密約」ができ、

「とにかく3年間はこの3人でやる」

ということになったらしい。だから、「1973年から1976年までやって解散」。これが最初の約束だった。

この約束もランさんにとってはちょうどよかったように見える。すでに大学1年生だったから、3年経てばちょうど大学卒業になる。

ミキさんはすでに高卒だったが、大学進学ではなく、キャンディーズを選んだから、それに一種の花嫁修業と考えて集中して取り組み、3年後は家事手伝いのように家庭に戻ればよかった。

ところが、一番可哀想だったのが、スーさんだ。スーさんは、ちょうど高3在学中で、高校中退してはいけないということで、規定の取得時間をクリアするまで、寒い冬休みの間とかたった一人で学校の校舎の中で授業や講義を受けなければならなかった。友達もいない寂しい卒業を行わなければならなかった。

【キャンディーズ】「キャンディーズはランのためのものだった!?」→俺「すべてがランのためになっていた」「一番犠牲になったのがスー」_a0386130_11330224.png



おそらく、この事実はほとんど知らされていなかったのではないだろうか?むろん、俺は全く知らなかった。


ランとミキさんは我が国の戦後の6334制にうまくハマった感じでキャンディーズ活動ができたのに対し、まだタレントのための学校など存在しない時代に大スターに若くしてついたために、そのしわ寄せがスーさんに偏ったのだと思う。

テレビでドリフターズの学校教室のコントをしていたが、実際には、ランさんとミキさんは既卒だったが、スーさんは学校へ戻って授業を受けなければならなかった。それもたった1人で。これをラジオの深夜放送で、涙流らに語った。

この一人だけの女子高生の姿がだいぶ前から見た記憶があったのだが、その頃はどうしていつも一人なのか不思議だった。それが、上のMP3Tubeの昔のラジオの深夜放送で明らかになったわけですナ。

この意味では、スーさんにとってのキャンディーズ、いろいろ良いこともあったが、つらいこともあった。この感覚がランさんとスーさんとでは全く違うはずである。

同様に、ミキさんは本来なら、音楽大学へ行って、音楽を勉強するはずだったと思う。両親ともに声楽家。兄も声楽家。父は大学で声楽教授。母はピアノの先生。しかも父はレジェンドのバリトン歌手。キャンディーズに入ってタレントになるという家系ではなかった。

それがたまたまクラブ活動やお稽古ごとの一種として受けたナベプロの東京音楽学院に合格し、スクールメイツの候補になったばかりに、キャンディーズのメンバーになった。そうなると、家の音楽一家の勉強はできない。

結局、ミキさんは音楽家やピアノの先生になる道を諦めて、捨てた。本当はピアノの先生やピアニストになるべきだったから、歌で行く予定はなかったにちがいない。だから、最終的には、主婦の道を選んだ。


そんなわけで、言い方を変えれば、

キャンディーズはランさんのためのものだった

と言えると思う。

これはキャンディーズの年長さんがランさんだったとか、ランさんが一番しっかりしていたとか、そういうことではない。

キャンディーズというチームの編成で一番スムースにメンバーに慣れてその活動を行うことにより失うものがないというような状況はランさんだけだったという意味である。

ミキさんとスーさんは、キャンディーズでいるために多くの犠牲を払わなければならなかった。
特にスーさんは一番寂しい思いを余儀なくされたのである。
結局、後年これがダメージになって、早世に結びついたんじゃないかと俺は推測する。


そこでもともとのこの原因を生み出した一番の悪はだれだったかというと、

NHK

である。NHKの都合でキャンディーズを作り上げた。それもご都合主義という安易な気持ちで作った。

だから、キャンディーズの命名の逸話に、子どもが一番馴染みあるものという程度で思いついたのが、アメ、キャンディーだったと自慢げにNHKの番組プロデューサーが言っていた。そういう感じだった。

俺の分析では、この時のアシスタントは要らなかったと思う。
NHKのアシスタントとしてのキャンディーズの最初の仕事は肉体労働。舞台係。椅子運びや机運び。
これって、単なるバイトでしょ。まあ、下積み時代のいい経験にはなるだろうが、スーさんが学業犠牲にしてまでやる仕事ではなかった。

だから、本当は、スーさんが無事普通に高校を卒業するのを待ってからキャンディーズを編成しても良かったわけだ。
たぶん、そうすべきだったと思う。
スーさんが早熟で見た目が上の2人に追いついていたから、見た目では3人が同年齢に見えた。
それだけのこと。スーさんはまだ現役の高校生だった。

だから、ランさんとミキさんが、相手にする男子が大学生や高校生の場合、自分も高校生なのに、大学生の立場を演じてランとミキに同調しなければならなかった。しかも、その裏で自分は一人で高校へ行って、一人で勉強しなきゃいけなかったんだから、この自己矛盾は並大抵のものではなかったと思う。

ところが、3年で解散の計画が、1年半も伸びてしまった。この1年半の伸びは相当にダメージになったと思う。自分たちの当初の計画がおじゃんだ。

たぶん、ミキさんは高卒のままだったから、大学進学とかそういう自分の家庭に合うように学歴をキャッチアップすることを思い描いていたんだろうと思う。

スーさんは、実際に習い事をしたいと言っていた。高校をやっとのことで卒業しただけで、実質的には高校の勉強はほとんどする時間がなかった。高卒といっても名ばかりのようなものだった。勉強したい。免許取りたい。これがスーさんの予定だった。

ランさんは、都内の一流中学で演劇部をやり、都内の一流進学高校に入り、そこを見事卒業し、日大芸術学部の大学生だった。だから、キャンディーズの活動は、大学のクラブ活動のようなものだった。軽音楽部に入部したようなものだ。そして、その活動が評価されたら、その後の進路や就職先が決まる。そういう状況だった。だから、キャンディーズにすべてをかけて集中できた。

おそらく、彼ら3人の中には、この学校や進路の問題が、くすぶっていた可能性はある。すべてがうまくいったラン。家族を捨てざるを得なかったミキ。学業を捨てなければならなかったスー。こういう状況は確実にあったと思う。

しかしながら、個性やパーソナリティーとして、この3人は非常にウマがあい、仲が良かった。これほど仲の良い3人はいなかったにちがいない。

たぶん、ミキさんは頭がよいから、そういうランさんとスーさんの立場上の違いの中で、双方の調整役、調停役をやったのだろうと思う。

こういうことをほとんどまったく何も知らずに利用しまくったのが、タモリ、所ジージ、鶴光、つボイノリオ、自切俳人、。。。などのオールナイトニッポンの日本放送ラジオのやつらであった。


ところが、キャンディーズの3人は、誰隔てすること無く、だれにも親切で優しく、そして明るく振る舞った。だれに対して文句を言うわけでもなかった。

そして、解散の最後の最後にも、誰にも文句を言わず、

「私たちは幸せでした」

と言って去った。

なかなかできることではないと思うぞ。
俺なんぞにはできん。俺なんかは、きっと散々悪態ついて、大坂なおみとか、錦織圭とか、ジョコビッチのように、ラケットぶん投げるとか、マイクへし折るとか、サッカーゴールぶっ倒すとか、そんな悪態でもつきそうだ。

だから、キャンディーズに対してポジティブな面しか記憶になかったランさん、いい思い出しかなかったランさんは、昨年に42年ぶりに復活した。それが出来たわけだ。ミキさんはどうか。たぶん、家族への犠牲を払ったミキさんの復活はないだろうナア。


ほんとスーさんは良い子だったんだなあと思う。親御さんがきっとやさしくやさしくお育てになられた結果。ほんと美しく気品があって性格の良い女性だった。

むろん、ランさん、ミキさんもそうだ。

ランさんは、すべてが上手く順調に進んで何の問題も感じること無く、すくすく育って、性格の良い、ガンバリ屋さんの良い女性になった。

ミキさんは、声楽家の両親と4人兄妹の恵まれた家庭の中で末っ子としてすくすくと育った。だから、実に素直で可愛らしいお茶目な女性に育った。

こんな3人が出会った。これは奇跡だろう。

だから、3人には厳しい面もあったが、我が国の学生運動終結後の停滞した若者社会に活気を呼び戻し、ただしい方向へいざなうための役目、それを全うできたのである。

この意味では、キャンディーズは我が国の歌謡界というレベルを遥かに超えて、日本史的な意味で極めて重要なグループだったと思うわけである。それが俺を引きつけた。


やはりキャンディーズ現象だ。キャンディーズを研究すれば、何かが分かる。


キャンディーズは永遠です!



弥栄!





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by kikidoblog3 | 2021-03-15 13:17 | キャンディーズ

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