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【キャンディーズ】「ラン、ミキ、スーが自分の子どもの頃を語る」オールナイトニッポン1976年9月11日 Pt.2→俺「やはり俺の分析通りだった!?」

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みなさん、こんにちは。

寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。今日も元気にキャンディーズで行ってみよう。キャンディーズに興味ない人は時間の無駄だからスルーでよろしく。


先日、Heaveneseの話の中で、キャンディーズのミキさんのことをメモしていた。これである。



そこで、せっかくだから、ミキさんの部分だけを再掲して分離しておこう。

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ところで、ミキさんのお父さん「藤村晃一」さんは我が国を代表する歴史的なバリトンの声楽家だった(これについてはまた別にメモしようと思っているが)

昔、私が中学時代、その中学校の声楽出身の音楽の先生から、「お前はきれいなバリトンだから合唱部に入れ」と勧められたものだが、結局音楽へは行かなかった。だから、俺の声はバリトン。ミキさんの父君と同じだったようだ。

だから、もし私がサッカーではなく、中学から声楽をやっていれば(小学校では合唱もやらされた)、バリトンの道を目指したはずで、そうなると、いま現在の大半の有名な声楽家がミキさんのお父さんに師事されていることからみても、ミキさんの父君の指導を受けに行ったはずである。

そうなると、そのころキャンディーズのメンバーだったミキさんと会った可能性はあるナア。残念。人生は二度ない。

ところで、ついでにメモしておくと、ミキさんの父上は、1920年生まれ。当時日本には、東京音楽学校しかなかった。これが後に東京芸大の音楽部門になっていった。この時、イタリア人のオペラ歌手の


ディナ・ノータルジャコモ
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と福沢アクリヴィ

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の2人がミキさんの父上の先生だったようだ。この福沢アクリヴィさんは、なんと福沢諭吉のお孫さんの嫁だった。


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ここでミキさんの父上が習ったのが、今や常識のイタリアオペラの「腹式呼吸法」=「ベルカント唱法」という技だった。当時の日本人で、これができたのはほとんどいなかった。だから、ミキさんの父上は重宝がられたと思われる。

ミキさんの自然な発生で大きな声を出せるのは、この父上の影響があったと思う。そして、おそらく私の想像では、この唱法をミキさんから、それを真似する形で、ランさんとスーさんも身につけたのだろうと思う。

157cmの身長であれほど大きな声で自然に歌えるというのは、やはりイタリアオペラの手法があったと思われるわけですナ。

このベルカント唱法の名手、藤村晃一先生から唱法や合唱を学んだ方々が、のちの我が国の声楽家や合唱隊の基礎を作っていったようだ。

つまり、藤村美樹さんは我が国のレジェンドの音楽家の家系だった。そしてお母様はピアノの先生。つまり、音大出。

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残念ながら、藤村美樹さんのお父上の写真は見つからなかった。お弟子さんたちの声楽家のものは結構あった。


美樹さんがこの父上のことを話したものはこれまで知らなかったのだが、たまたま1976年のかなり初期のラジオ番組で父との関係を話したものが見つかったので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。






この1976年9月11日のラジオでは、スーさんが大変な高校時代を語り、ミキさんが父との関係を語り、ランさんが自分のことを語った。

スーさんは、すでにキャンディーズにデビューしていたために、また一番年下だったから、まだ高校在学中で、卒業するまでの単位数や出席時間が足りず、それをクリアするまで大変だったという話が出る。それを涙流しながら語る。ほんと孤独で大変だったんだな。

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ここでスーさんがいつも孤独で学校へ通いながら、いつも聞いていた歌が話される。それが、

ガロの学生街の喫茶店


ミキさんは、父と母が有名な声楽家、父は大学教授、母がピアノの先生だったために、プロの両親の前ではプレッシャーを感じて真面目に声楽もピアノもレッスン受けなかった。兄が声楽家でその兄といっしょに唱った程度だったと語る。

だから、キャンディーズに入った。しかし、今思えば、ピアノを真面目に母から教えてもらうべきだったと語る。また、歌手になったいまは声楽家の父から腹式呼吸法を学んでいる最中だとある。

つまり、ミキさんは有名なレジェンドの声楽家の父、藤村晃一さんから声楽の腹式呼吸を学んだのだ。

ランさんは、自分の性格や詩を紹介する。キャンディーズの年長リーダーとして人前で話す機会が多いが、実は話が苦手。その代わりに作詞や詩集を書くのが好きだと言う話が語られる。しかし、作る詩がどういうわけか悲しい詩になってしまうという話が出る。

そして、タイトルのない詩の朗読をする。そして、自分の好きな歌を紹介する。

青い影


この頃の俺は、ちょうどサッカーの全盛期、山梨県の進学校、甲府南高校サッカー部の主将で頑張っていた。



(う)高校生の頃、1975〜1976年


一気に飛んで、私が高校生でサッカー選手の全盛期の頃。

甲府南高校の伝説の時代


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17歳
(あの3歳頃の顔とは似ても似つかないが、
第二次成長期に我が家の兄弟はみなぐっと自然に鼻が高くなり、
丸顔から面長になり、少年の顔、そして青年の顔へ
と成長したのである。)

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一番右が私


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右から2番めが私


韮崎高校と通算1勝1敗。高校総体県予選3位。




この時期に、キャンディーズはこんなラジオ番組やっていたんですナ。まったく記憶にない。記憶にございません。


というわけで、私が

ここでミキさんの父上が習ったのが、今や常識のイタリアオペラの「腹式呼吸法」=「ベルカント唱法」という技だった。当時の日本人で、これができたのはほとんどいなかった。だから、ミキさんの父上は重宝がられたと思われる。

ミキさんの自然な発生で大きな声を出せるのは、この父上の影響があったと思う。そして、おそらく私の想像では、この唱法をミキさんから、それを真似する形で、ランさんとスーさんも身につけたのだろうと思う。

とメモしたことは事実だったというわけだ。ミキさんが声楽家の両親から歌の唄い方を学び、それをランさんとスーさんにも教えたのである。だから、157cmの小柄な3人が、声楽家のように大声で自然に唄うことができるようになっていったのである。

それが、最後のファイナルでランさん、ミキさん、スーさんが次のように言った意味だったのだ。


ランさん
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「わたしたちは、よく大人の人に言われました。君たちは『なんて馬鹿なんだ』。
こんな良い時に馬鹿騒ぎをして、こんなにまでしてキャンディーズをやめることはないじゃないか。
でも、わたしたちは馬鹿じゃありません。そうじゃないから、解散を決めました。
わたしたちはよく知っています。キャンディーズはすばらしいです。
キャンディーズは最高だっていうことを、わたしたち一番良く知っているつもりです。
わたしたち三人はすべてをキャンディーズにかけてきました。
MMPの皆さん、スタッフの皆さん、そして全国のたくさんのファンの皆さんが、
わたしたちを最高のものに作りあげてくださったんです。
だから、だからこそ、わたしたちは最高のまま解散したいと思います。」



ミキさん
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「たしかに見る人から見れば、身勝手な少女趣味的な、発想だと思います。
でも、あたしたちは、少女でも、子どもでも、幼稚でも、構いません。
子どもの時から始めたキャンディーズです。
最初の決心を、ずっっと貫き、貫き通そうと、決めていました。
変な大人になるより、変な大人になるより、純真な子供の気持ちで、純真に、終わりたかった。
そしてあたしたちは、そうやって、努力もしてきました。
いま、それが、すべて、すべてできたように思います。
力強い、皆さんのたくさんの支援があったから、キャンディーズは、
あたしたちのキャンディーズは、純真なまま、いまこの瞬間に終わります。

あたしたちは、キャンディーズの一員であったことに対して、すごく誇りを持っています。
本当にありがとうございました。」


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スーさん
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「最後に、わたしたちの、夢で、夢であった、この場所、この後楽園球場で、
ステージ、最後のステージをみなさんといっしょにこのステージで精一杯歌ったこと、
本当にうれしく思います。
そして、このフィナーレを本当に素晴らしいものにしてくださった、主催者の皆さん、
後援協賛のみなさん、後楽園のみなさん、大勢の関係者の皆さん、そして何よりも、
渡辺プロダクションのみなさん、本当に長い間ありがとうございました。」



ほんとに4年半睡眠時間や自由時間を削って、ファンのために頑張ったんだね。
ありがとう。頭が下がります。




キャンディーズは永遠です!




弥栄!





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by kikidoblog3 | 2021-03-10 10:41 | キャンディーズ

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