みなさん、こんにちは。
いよいよ明日で2011年3月11日からちょうど10年目。
あれから10年。
この時に亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。黙祷。合掌。RIP.
これについての当時までに、その当時の最新のネット情報から地震の原因をまとめたものがこれだった。
現代科学の手法に基づく地震予知、なぜこの人工地震が起こされたか、などなどがつぶさにまとめられた。はっきりいって、もう二度とこういう本は書けないと思う。やっぱりいまより10才若かった。
巨大津波地震のその前日まで、2年以上私は当時アラスカ・ガコナにある米海軍施設のHAARPモニターを観測し続け、やっとその何ヶ月か前に、大地震ほど地震によって起こる電磁波のゆらぎ(これを地震電磁波と呼んだ)から、おおよその大地震の起こる場所を特定できるという確信をえたところだった。
そうして、当時、世界の陰謀系ネットでは、クライストチャーチ大地震の後、
今度はどうやら我が国で大地震が来そうだという情報を得て、毎日毎日HAARPモニターに釘付けになっていた。
この頃には、アラスカHAARPの観測機の並びの配置から、
その4箇所の観測所とちょうど垂直の位置関係にあるのが我が日本であり、偶然にも日本の方面に起こる地震電磁波なら、予測できるという確信を得たのだった。
そして、ついに
2011年3月10日
がやってきた。
この時、最初に別の記事をメモしていて遅くなったのだが、我が国方面で発生した非常に大きな地震電磁波がアラスカのHAARPモニターに捕らえたれた。そこで、それをメモしたのだった。
そして翌日の
2011年3月11日
あの地震が起こった。
ここ阿南にも津波警報が出され、避難勧告が入った。だから、すぐに貴重品をもって町内の公民館へ避難した。そしてそこにあった大型の平面テレビでテレビ局のヘリコプターが撮影した映像から、地震の被害地域の津波をずっとリアルタイムで見ていたのだ。
ほんと涙が流れた。
我々には、巨大津波が自動車や人々を飲み込む姿がつぶさに見えたのである。
「そっちから大津波が行っているぞ!逃げろ!」
「ああ、そっちへ行っちゃ駄目だ!あ〜〜あ、津波に捕まった!」
橋の上で動けなくなった自動車やダンプ。あるいて避難するが波に飲み込まれていく老人たち。
日本のテレビ局のヘリは撮影するだけで、だれも助けようとしなかった。撮影より人命でしょ。
この日、私の長男は大学卒業したばかりの頃で、その報告に私の実家の山梨の両親にその報告に行き、東京から夜行バスで帰るところだった。ちょうどバスに乗って帰ってくる最中に地震が起こった。だから、幸いなことに震災の騒動に巻き込まれずに済んだ。
この日から、HAARPモニター観察から震災の原因探しが始まった。また、大津波が関東や福島を遅い、福島第一原発の冷却装置が異常をきたしたので、福島原発の冷却装置や内部モニターの情報に集中していった。
私は地震の予知同様に、福島原発の爆発を予想し、その崩壊の危機を論じた。
これが最悪の事態になると、ソ連の「チェルノブイリ原発事故」
のようになるというわけである。この場合は「死の町チェルノブイリ」となってしまった。
そして、3日後の
2011年3月14日
福島第一原発が崩壊した。
そしてこの日から、ネットで見ることができる首都圏のガイガーカウンターやその他の放射線モニターを見つけて、そういうものから、首都圏の放射能に対する安全を観察したのだった。
そして、2年ほどこの東日本の大津波大地震や福島第一原子力発電所の問題を観察し続け、その都度、最適な避難場所や最適解を見つけようと努力した。
特に、放射能を電磁波で消す手法やさまざまの科学技術を探索した。
こうして、この頃、この拙ブログ1の閲覧者は、数字の上では、国民の4人に1人。3000万人を超すことになった。
というわけで、この時期は、自分の研究や家庭のことは二の次。とにかく四六時中、ネットに張り付いてずっとブログにメモしていた。たぶん睡眠時間5時間程度。
2年ほどして一段落したころ、ヒカルランドから手紙が来て、本執筆の依頼が来た。そうやって出来たのが、最初の本であった。
今思えば、ほんと悲しい出来事だった。俺としてできることは助けにいくことではなかっため、できる限りネットでいろいろな情報を集めてまとめ、それを提供するということしかできなかったわけだ。
まったく非力であった。
しかしながら、物事は灯台下暗し。現場に入れば、逆に視野が狭まり見えなくなることも多い。離れた遠くから、神の目で見ることからより正確な情報を知ることができる。そういう面もある。
だから、俺としては、あくまでほぼ24時間体制でネットにはりついていたわけだ。研究は二の次。
いまや10年前の思い出となった。
そして、この震災のすぐ後に、乳がんで闘病していたキャンディーズのスーこと田中好子さんがご逝去された。
その頃はまったく知らなかったが、ほんと惜しい人を失ったんだと思う。ご冥福をお祈りします。