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【キャンディーズ】「奥多摩キャンプ場の3天使の出会い」キャンディーズの伝説→俺「どんだけ華やいだキャンプ場だったんだろうナア!」

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みなさん、こんにちは。

寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズ。今日も元気にキャンディーズで行ってみよう。だから興味ない人はスルーしてチョ。



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伝説によるとキャンディーズの3人は、あるキャンプ場で出会ったという。これについてウィキペディア等にはあまり詳しくないが、ネットでいろいろ見たところ、こんなものがあった。



それは、昭和44年(1969年)の夏だった。場所は、奥多摩のキャンプ場。3人の女子中学生が、夏休みを利用してキャンプに来ていた。見知らぬ者同士の3人は、同世代ということもあって、キャンプ場で仲良しになった。

3人とも歌が好きで、同じ夢を持っていた。少女達の夢は、歌手になること。
3人の少女とは、中学1年生の田中好子、中学2年生の藤村美樹、中学3年生の伊藤蘭。

この偶然の出会いが、人生を決める出会いになろうとは、3人の誰1人として予知していなかったであろう。
3人が出会うきっかけは、こんな、神様が仕組んだとしか考えられないほど、、、偶然かつ運命的なものだったんですね。
はい、今回は、キラキラキャンディーズキラキラを取り上げますぞグッド!多くを語ればキリがないので、要点だけねグッド!

シングル盤の画像と、5枚組LPキラキラキャンディーズ 1676日キラキラの画像を交えながら、おおくりします。

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運命的な出会いをした3人は、連絡を取り合い、レッスンを受けにキラキラ東京音楽学院キラキラに通うことにした。そして、当学院のキラキラスクールメイツの一員として、ステージに立つこととなる。

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1972年、3人にビッグチャンスが訪れた。
NHKが、新しい歌番組のキラキラマスコットガールキラキラを探していた時、
フレッシュな3人に白羽の矢が立ったのだ。
番組に出るにあたって、「名無しではまずい」と言われた。
で、番組のプロデューサーがキラキラ食べてしまいたいほど可愛い3人キラキラだからと、
キャンディーズと命名された、というわけだグッド!


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こうして、1972年の4月、キラキラキャンディーズキラキラのグループ名で、
NHK「歌謡グランド・ショー」にてテレビデビューとなった。

幸運はまだ続いた。
NHKとの縁により、1972年の第23回紅白歌合戦に、スクールメイツとしてステージに上がったのだが、
3人だけ特別な衣装を与えられるという厚遇。
キャンディーズという可愛い3人娘がいるぞという情報が飛び交うようになり、
1973年の4月7日から、あの8時だョ!全員集合にマスコット兼アシスタントタレントとしてレギュラー出演。
これは、僕も覚えていますわ。


そして、ついに1973年の9月1日に、あなたに夢中でレコードデビュー

(作詞:山上路夫、作曲:森田公一)
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キラキラ
ここに、ロマンチストのラン
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ちょっぴりセンチなスー
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ちょっとボーイッシュなミキ
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歌手としてのキャンディーズが誕生。
奥多摩のキャンプ場での出会いと誓いから、実に4年越しの夢実現となったわけですグッド!

キャンディーズって、トントン拍子でデビューしたと思われがちだけれど、実は、こんなにも下積みが長かったんですよ。
では、続きはまたね。

この人、実によく調べているナア。

さて、今回なぜこんなのをメモしたかというと、最初の奥多摩のキャンプ場で3人が出会ったという場面。

この状況を思い出そうということだ。


実は昨年末からキャンディーズのことをメモしたり、曲を毎日毎日聞いていたら、1970年代の遠い昔のことをどういうわけかふと思い出すようになった。

ここ阿南に来てからこの25年。まったくその当時のことは思い返すこともなく、まったく忘れていた。

だから、思い出そうにも45年前のはるか遠い過去のことは

まったく記憶にございません

状態だった。

ところが、それが最近はよく思い出せるようになったのである。

そうすると、キャンディーズが活躍していた1970年代前半から後半、我々が小中高の生徒だった時代、我が国がどういう感じだったか、それを非常にはっきりと見えるようになってきたのである。

もっとも、いまは高齢者に仲間入りの歳だから、いつそれが失われるかも知れない。脳梗塞、脳溢血、記憶障害、痴呆などいつくるかわからない。

そういうわけで、できる限り、その当時のことで思い出したことがあればメモしておこうと考えている昨今というわけですナ。


1970年代、思い出せば、我が国の学校制度の中では、小学校には林間学校があったし、中学校にも林間学校、高校には林間学校があった。特に、入学したすぐに新入生同士の親睦を図る意味で、林間学校がかならずあった。それ以外に夏休みに各クラスで山へキャンプに行くとか、そういうことが頻繁に行われていた。

むろん、私が育った山梨県だったからだ。山があっても山梨県。周りに海はない。だから、キャンプと言えば林間で行う。

ここ徳島の阿南なら、キャンプ場は海である。だから、幼稚園、小学校、中学校、高校とすべてで海へ出向いてキャンプする。そういうのは、臨海学校というようだ。

まあ、今もこの伝統は続いているだろう。


そして、1970年代、私の記憶では、スキーブームだった。実際、バスはスキーを後ろに乗せ満杯だったし、電車はスキー客で満杯。荷物置きにはたくさんの大きなリュックサックが置かれその下にはスキーがぶら下がっていた。だから、冬のシーズンでは、我々山梨から長野のスキー場へ近場は日帰り、遠くは1泊2日でスキーして帰る。こんなことをやっていた。

だから、私は中学時代、野球部からサッカー部に転部した時、サッカー部の監督がスキーは冬場の練習になるから一緒に行こうとよく長野の栂池高原に行ってスキーをした。

時には、乗鞍の白馬とか、そういうところで新雪を滑らされた。一番記憶に残っているのは、乗鞍のオーストリースキー教室に入ったことだ。そこで1週間みっちり鍛えられた。最後の日は、みんなでスキーを担いでてっぺんまで登山し、最後に頂上から最大斜度30〜40度の斜面の新雪を潜った切り株を避けながら滑り降りろという最終試験だった。

この時の緊張感はなかったが、中学時代の良い思い出になった。実際、スキーはサッカー選手には冬場の最高の筋トレになった。私のドリブルが相手に挑むスタイルではなく、先に最後のシュートまでのドリブルコースを頭に描いてから相手選手間を突破するスラロームスタイルになったのは、おそらくこの中学生時代のスキー経験が影響したと思う。


逆に、夏場の夏休みには、みな山の高原にキャンプに行ったり、日帰りで楽しんだ。山のキャンプの定番といえば、キャンプファイヤーと肝試しだろう。

昼間のうちに肝試しのコースを下見し、いろんな準備を行い、夕方はキャンプファイヤーと夕食、そして真夜中に起き出して、肝試しをする。

確かこんなスタイルのキャンプだった。まさに青春の1ページだったと思う。


しかし、大学から大学院、そして結婚、そしてここ阿南に来て子育てに集中した間の35年ほどの間に、1970年代のことは全く思い出せない状態になっていたのだ。

それが、こうして時々、その頃の状況が蘇るようになった。毎日毎日YouTubeでキャンディーズの曲を聞き、その頃のキャンディーズの映像を見ていると、ふと自分のその頃の体験や経験を思い出す。それも映像として明確に蘇る。

それまでいくら思い出そうとしてもおぼろげでしかなく、霧の向こうの映像というような薄ぼんやりとしたものだった。実に不思議だ。

別に自分の昔のアルバム写真を見直したとかそういうことを一切したわけでもないのにだ。



というようなわけで、いまの俺にとってキャンディーズの青春時代を語るということは、俺自身の青春を語ること、思い出す行為でもあったというわけだ。


さて、そういう状況の1970年代前半の我が国で、キャンディーズは奥多摩のキャンプ場へキャンプに行った。

まだ我が国には今のような若い女の子を人さらいするような他の国から侵入してきた不遜な輩も少なかった。まったく安全だった。年に1人殺人事件が起これば大ニュースになった時代だ。

そこで、3人がキャンプにいた。

こんな綺麗で可愛く歌が上手で、まるで天使のような3人がキャンプ場を歩いていた。

この場を想像するだけで楽しくなる。

いったいその奥多摩のキャンプ場はどんだけ

どんだけ〜〜

華やいだことだろう。まさに天国のようなキャンプ場だったのではなかろうか?

きっとそこに偶然に居合わせた男児たちは心底ときめいたはずだ。

ひょっとしたら、次の年も3人が来るかも知れないと思ってまた同じ場所に行ったかも知れないだろうナ。俺ならそうしただろう。そして、いなくて残念だったとかナ。


そんな3人が、いつの間にか、NHKのテレビに現れた!

そのキャンプ上で3人に会った男の子たちは、

あの3人だ〜〜〜!!

って絶対になったんだと思う。


実に楽しかったんだろうナア。絶対ファンになる。



というようなわけで、

1969年代まで大学の青春は学園紛争。デモだった。

それが、1970年の大阪万国博で目が世界に開かれた。

そして、1972年に学園紛争は浅間山事件で終焉。

そして、一気にキャンプブーム、スキーブーム。

そして、ついに3人が出会い、1974年に歌手デビュー。アイドル革命を起こす。そして、高度成長期に突入。


なんとも古き良き時代だった。


そんな古き良き時代がまた来るだろうか?


とはいうものの、ここ徳島あたりはその40数年前からほとんど変化していない。この家もその頃に建てられたものだ。

いわゆる鉄筋コンクリート2階建て工法。

この辺の景色もまったく基本的には変わっていない。せいぜい住む人が世代交代しただけだ。


40数年まえの日亜化学は、従業員数十人。25年前で従業員200人程度。白色蛍光灯の発光塗料を作っていた。

25年前に中村修二が青色発光ダイオードの実用化成功し、いまや従業員は数千人レベルの大企業になった。

せいぜいその程度の変化だろうナ。


まあ、そんなわけで、キャンディーズバンザイ。寝ても覚めてもキャンディーズ、キャンディーズでいたら、昔の我が国のことをかなり思い出せるようになった。

記憶喪失状態からちょっと回復したようだ。ほんとありがたい。


ありがとう、キャンディーズ! キャンディーズは永遠です!




弥栄!





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by kikidoblog3 | 2021-02-27 12:12 | キャンディーズ

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