みなさん、こんにちは。
スペインワールドカップと言えば、イタリアのロッシ。彗星の如く現れ、あっという間に本命をなぎ倒して優勝をさらった。
あのロッシ選手がご逝去された。享年64才。
優勝候補の筆頭だったブラジル、このブラジルはイタリア戦で予想外の敗退。
この試合で、ジーコ率いる黄金のカルテットのブラジルが、ロッシのハットトリックで粉砕された。
神様ジーコは優勝できない神話が誕生する。
私の当時の印象では、とにかく俊足。足が速かった。一瞬で相手より前に行くスピード。
それと、小さな恋のメロディーのあの男の子のような目がぱっちりの顔。あるいは、アラン・ドロンのような顔だった。
細身で優男。
なのに、猛烈なスピードでGKと一対一になる。
しかしいつしかW杯の輝きが失われ、知らないうちに引退していた。晩年のロッシのプレーを見たことがあったが、まったくスピードも衰えていた。
ところで、この1982年の大会は黄金期だったのかもしれない。
ブラジルのジーコ
アルゼンチンのマラドーナ
西ドイツのルンメニゲやベッケンバウワー
フランスのプラティニ
その後世界のスーパースターになっていった選手達が集まった大会だった。
また、スペインはいまのように強くはなかった。
スペインが強くなるのは、この次の大会を目指していたオランダのヨハン・クライフが登場し、そのクライフが引退後にスペインのバルセロナの監督になるまでまたねばならなかった。
当時までのスペインとアルゼンチンのサッカーは、スペインの闘牛士サッカーであった。ドリブルサッカー。
ボールを持った選手は仲間に絶対ボールをパスせず、とにかく1人でドリブル突破しシュートを狙う。その繰り返し。
そして、ヨーロッパの選手にタックルされると、汚いプレーするなと真っ赤になって激昂し平常心を失い、相手を殴って退場。
そういう気質をうまく利用されて数的優位を失い、敗退を繰り返す。
アルゼンチンサッカーをヨーロッパ型に変えたのは、後に清水エスパルスに来たアルディレスとケンペスの時代のメノッティ監督である。アルゼンチンのオシム。
また、まだユーゴスラビアが存在し、そこにはストイコビッチがいた。オシムの監督の下にである。
そういう強豪のひしめく中、それほど前評判のなかったイタリアが、あれよあれよという間にあっと驚く優勝を遂げたのだった。
1978年アルゼンチン大会では、ロベルト・ベッテガ、パオロ・ロッシの2トップが躍動し、1次リーグを3戦全勝で勝ち上がり、4位と好成績を残す。
2度目の自国開催となったUEFA欧州選手権1980では、パオロ・ロッシが国内リーグの八百長疑惑に巻き込まれ、2年間の出場停止処分を受けてしまい、得点源を失った影響でベルギーに総得点差で敗れ、グループリーグ2位に終わり、決勝進出を逃し、4位という結果で終わる。
2年後の1982年W杯スペイン大会。開幕直前に処分が解けたロッシをベアルツォット監督は代表に招集したことで、懐疑的な声が多く挙がり、批判を浴びた。当時は司令塔のジャンカルロ・アントニョーニ、ドリブラーのブルーノ・コンティ、キャプテンのGKディノ・ゾフらタレントは揃っていたものの、優勝候補に挙げる者は少なかった。案の定1次リーグは、ロッシが全くの不発で無得点に終わり、3戦とも引き分けと大苦戦。総得点差で辛くも突破した。だが2次リーグではアルゼンチン戦に勝利すると続くブラジル戦で、突如としてロッシが復活。ジーコら黄金のカルテットを擁し、史上最強といわれたブラジル相手にハットトリックの大活躍。結果3-2で優勝候補のブラジルを下し準決勝に進出した。準決勝のポーランド戦でもロッシが2得点を挙げ2-0で勝利。決勝は西ドイツと対戦。ここでもロッシは先制ゴールを挙げ、3-1で西ドイツに勝利。復活したエースの活躍で1938年以来44年振り3度目の優勝に輝いた。なおロッシは大会MVP、得点王の2冠を達成している。
史上2度目の連覇を目指し臨んだ1986年メキシコ大会では、決勝トーナメント1回戦でプラティニ率いるフランスに0-2で敗戦。ベスト16で大会を去ることとなり、連覇の夢は潰えた。
この1982年大会は、ロッシの大会と言われた。
不調の選手がどういうわけか、突如調子を取り戻し復活する。
この大会に優勝するために生まれてきたような男だったと言えるかもしれないナア。
まあ、たった1回でもそういうことがあれば、それはそれで大変素晴らしいものだろう。
まさに、伝説。
パウロ・ロッシ選手のご冥福を心からお祈りいたします。