みなさん、こんにちは。
さて、今さっきまで雨が来る前にと、阿南図書館へ行って、県立図書館にある今はなき理論物理学者の本を二冊予約注文しに行って来た。
理論物理学者というよりは、元理論物理学者と言うべきだろう。
この人は比較的若いバリバリの大学教授の時代に国立大学教授をお辞めになり、作家になってしまったのである。それも地図作家。
私は富士通にいたとき、物理学におけるある定理、サクソン-ハトナーの定理というものに凝っていた時期がある。というのは、この定理が一般化できれば、あらゆるタンパク質において、つまり、どんな配列のタンパク質であろうが、タンパク質のその電子伝導の性質が常に半導体に留まることを証明できるということに気がついたからである。
理化学研究所にいた時代にもそれを続けた。
その頃、この定理を研究していた人がいたことを知り、その人に手紙を書いたのである。私の論文を送った。
すると、なんと
「もう物理はやっていませんので、この本を差しあげます。」
といって、その人の著書を送ってくれた。それがこの本である。
以来、これは私のバイブルのようになった。
堀淳一博士
この事があって以来、堀博士から年賀状をいただくようになった。それで、毎年ずっとこの30年ほど年賀状だけはやり取りするようになった。
ところが、だんだん体が弱ってきましたと書かれるようになって心配していたところ、いつしか年賀状が来なくなったのだった。高齢だからきっとご病気になられたのかもしれない。床に伏すにようになったのかもしれないと思っていた。
そこで、最近ネットでお元気どうか調べたら、2017年にすでにお亡くなりになられていたのである。享年91才。
この先生が研究された分野は、主に
(あ)ランジュバン方程式論
(い)非可逆熱力学
(う)非構造物質のスペクトル理論
(え)コヒーレント状態と情報理論
に分かれるだろうか。
最初の2冊は(あ)と(い)に対応し、上の英語の本は(う)に対応する。
このペルガモンの本を出すということはその分野の世界一という意味である。だから、末はノーベル賞だと目された極めて優秀な理論物理学者だった。
実際、P. W. アンダーソンがランダム系のアンダーソン局在の理論で1977年にノーベル賞をもらった。
堀先生が引退したのは1980年のことだから、ひょっとしたら、このことも引き金の一つだったのかもしれない。
ところで、いまウィキを見たら、この物性理論の巨匠、凝縮体物理の神、
フィリップ・アンダーソン(P. W. Anderson)博士は今年3月にご逝去のようである。
この人は、何度か我が国へ訪れた。その一番最初に1953年の国際理論物理学会議のとき、後に久保公式、久保の線形応答理論でボルツマンメダルを受賞することになった東大の久保亮五博士が「俺がアンダーソンを発見した」と言えば、プリンストン大のアンダーソンは「俺が久保を発見した」と言ったというエピソードが残る。
ちなみに、このアンダーソンの一番弟子がダンカン・ハルデーンである。
そして、堀先生は1980年に理論物理学の世界から足を洗ってしまった。YouTubeにその頃の映像が残っていた。
堀淳一先生、地図を語る
この頃にはすでにエッセイスト、地図作家であった。だから、一般人は堀先生が理論物理学者としてどれほどの才能があったかわからないだろう。
しかしながら、この話し方を聞けば、いかに聡明な人だったか分かると思う。
私が以前だれかから聞いた話では、日本物理学会の中の派閥争い、揚げ足取り、嫌がらせ、。。。こんな人間関係に嫌気が差したからだというのだった。
いまの日本学術会議の問題は、そもそも日本人の中にある嫌らしい部分に原因がある。日本人は見かけは日本人化しているが、遺伝的にはさまざまの多人種民族である。その中に大陸や半島の気質の人間もかなり混じっているのである。
また、私が聞いた話にはこんなのもある。
実は堀淳一先生がまだ理論物理学者だった時代、日本物理学会は年に二度春と秋に開催される。その際、鉄道の旅をして、日本全国を歩いたというのである。
いまではもう珍しくないだろうが、鉄道ファンというものの一番最初の走りだった。
その走行距離は日本全国を走破したという。つまり、日本地図に載っているすべての鉄道を自分の足で訪れたのである。
物理学会の1位がこの堀淳一先生で、2位が勝又耕一博士だった。二人は仲良しで、学会のあとにはいっしょに旅したんだとか。
私は理研時代とここ阿南に来た当初にこの勝又先生のお世話になったものである。当時はまだいまのように文献をネットで取ることができなかった。だから、勝又先生の秘書の女性を通じていろいろもらっていたのである。本当にありがたかった。
さて、話を堀先生のことへ戻すと、どうやら高齢になられてもずっと地図の製作や旅行はされていたようで、子どもたちと旅するプログラムを行なっていたようだ。
多くの人たちと関わりになり幸せな人生と営まれたようで何よりだ。
私のように孤高の理論物理学者で生きるより、保江邦夫先生のように美女や弟子に囲まれて楽しく生きるほうがどれほど幸せだろうか?
そういう意味では、地図作家として人に恵まれて生きた第二の人生も捨てたもんじゃなかったに違いない。
仮に権威ある大学教授として生きたとしても、日本学術会議の学者の1人になってお終いだったのではないか?
1人の地図作家として本当に自分が好きなことをした。
それが良い。岡潔のいう、自作自助である。
堀淳一先生のご冥福のお祈りいたします。アンダーソン博士のご冥福をお祈りいたします。