みなさん、こんにちは。
さて、日和もよろしく非常に気分の良い状況の日々が続く。そんなわけで、また岡潔先生のことをメモしておこう。またすぐに朗読も行う予定である。
まず昨今の日本学術会議の問題はかなり動いているが、そもそも
どうして理系や文系の単なる一分野のプロの専門家である学者が、哲学者や思索者や教育者のようにみなされるようになったのだろうか?
誰も最近ではこれに疑問を持たない。
いまやノーベル賞の受賞者はいくらノーベル田中さんやノーベル梶田さんであったとしても、前者は企業のサラリーマンにすぎず、後者は研究所の所長にすぎない。まったく教育に関与しなければ、宗教に詳しいわけでもなければ、ましてや宗教に帰依した経験があったわけでもない。
つまり、理系の学者に社会や政治や金融や教育の問題を聞いたところで、なんの足しにもならない。そんなことは今では誰でも知っていることだろう。
にもかかわらず、なんで学術会議なんて銘打って、日本最高の叡智、あるいは、日本最高の賢人、かのように偽装して振る舞えるのか?
考えてみれば実に不思議だろう。
大半のメンバーは、一介の学者、大半は共産党系の思想ないしは党員である。
こんな連中が日本学術会議の賢人のように振る舞いながら、言うことは反政府で反日の共産主義思想だけだとしたら、これは極めて危険である。
実は、もともとそうだったわけではない。
私は戦後生まれだから戦前のことは知らないが、戦前の学術会議はもっと現実的なものだっただろう。それぞれの分野の専門家がそれぞれに集って、それぞれの分野の将来性を語る、反省する、分析する、検討する。こんな感じのものだっただろう。
戦後の日本学術会議がマッカーサーのGHQの肝いりで誕生したにせよ、この伝統は終戦後もやはり残っていただろう。
それがある時期から、学術会議が賢人会議のような様相を持つようになった。
これに我が国では、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹と朝永振一郎が参加した。
おそらく、数学者で哲学者のラッセルと20世紀最大の物理学者アインシュタインの混成が、賢人のイメージを生み出した。それに湯川と朝永が参加した。
翻って、湯川と朝永はどうして賢人のイメージがあるのだろうか?
と問えば、この2人は共に京都大学出身で、ともに岡潔先生の数学の講義を聞いていた。
二人がもっとも影響を受けた先生がこの岡潔だったと後にそれぞれの伝記に書いている。
その岡潔は、ラッセルはおろか、ラッセルより遥かに賢人的だったアンリ・ポアンカレ、さらには西洋文明の起こりのギリシャの哲人までさかのぼり、西洋文明を研究している。むろん、数学者の頭脳を駆使して。
そして方や、東洋文明についても仏教から日本の神道にいたり、その時代に手に入った範囲内で研究している。特に興味深いのは、日本の仏教の総本山である高野山で修行している(たしかそうだった)。そこで空海の書物にまで研究が及んでいる。
そうして、自分自身の多変数函数論の研究がほぼ完成した暁に、学士院賞を受賞し、社会的に知名度が出た頃から、日本社会の問題を本にしたり、講演会でしゃべるようになった。
それが1960年代後半である。
時同じくして、世界はベトナム戦争に端を発して大学紛争の時代に入った。この時期に東大安田講堂の屋上から地上の機動隊に向かって火炎瓶を投げていたのが、ここ徳島出身の仙谷由人であった。仙谷は、東工大で似たようなことを行なっていた菅直人の『盟友』であった。
この1969年の東京大学安田講堂事件を知らない限り、岡潔の凄さは理解できないのである。
大学紛争真っ盛りのその真っ最中に敢然と日本全国で、学園紛争を行う大学やそれを支持する日本人に対して、
大学紛争は公序良俗違反で憲法違反だ。
共産主義はバイキンだ!
これでは日本人は滅ぶぞ!
と正々堂々と主張していたのである。
これぞ、鉄人、話す内容はこれまた哲人。まさに賢人。
この岡潔の賢人ぶりが、我が国のパグウォッシュ会議参加者の湯川朝永に重なり、そして湯川朝永が学術会議に入ることにより、日本学術会議はラッセル=アインシュタイン宣言やパグウォッシュ会議につながる、核兵器反対の学術の賢人会議であるかのようなイメージがついたというわけだ。
それが、日本の核物理学者の大半が共産党員だった、国立大学の教職員がほぼ100%共産党員だった、という時代背景になり、それが日本学術会議に波及して、結果的に核兵器廃絶思想から、原子力発電反対運動、そして、反自民党、反政府というように変わり、日本学術会議自体が共産党員の牙城となってしまったというわけである。
しかしながら、岡潔は日本学術会議に対してもそんなものを遥かに超越した視点で講演していたわけだ。
しかし、当時の日本人はその部分はほとんど理解しなかった。岡潔もまた日本政府に対して色々意見しているというような意味で、共産党色の強かった日本学術会議と似たように思われていたに違いない。
つまり、賢人というよりは、変人とみなされたのであろう。まさにニコラ・テスラのようなものだ。
いまだからこそただしく理解できるが、岡潔は自分の日本精神、日本人の心の観点から、大学紛争する大学生に対しても、共産主義思想に毒された日本の学術会議や学者共に対しても、そして双方と対立した日本政府に対しても、すべてに対して岡潔先生は、
そんなんじゃだめだ
と言ったというわけだ。
西洋科学は前頭葉だけの話、いまの大学紛争する学生を作り上げたのは戦後の教育、アメリカ文明の教育だから、そうなるのは当然だ。だから、江戸時代までの日本人の心を生む頭頂葉の教育に戻さなければならない。
朝永はともかく、湯川は岡潔に本当に思想的に影響を受けていたと思われる。それが晩年に傾倒した老荘思想である。
しかしながら、当の岡潔は遥かに先へ進んでいた。
中国の賢人にも限界がある。せいぜい10〜12識にとどまる。まだ目覚めていない、と。
13〜14識は日本の道元禅師と松尾芭蕉である。
だから、日本人が道元や芭蕉のような心を持てるような目覚めた人間になるための教育を行うべきだ。
とまあ、そんなふうの主張を、その学園紛争の真っ只中で、それも講演会にはヘルメットを被った革マル派の学生も押し寄せてくるような時代背景の中で行なった。
まさに、あっぱれだ。
いまのように、YouTubeで適当に講演もどきをして金を得るとか、自分の理解者や信者やファンの前だけで講演会するというようなものではない。
だれもが参加できる市民公会堂のようなところで、大学紛争は公序良俗に反する、心の美しくない行為だと主張してわけだ。
これを見ても岡潔先生がいかなる人物だったわかるだろう。
そういう主張の集大成がおそらくこれである。
1968〜1969年の講演会や論文の本。
1968年、1969年というのは、単にいまから51年前とか52年前とかそういうものではない。当時は大学が燃えていたのである。
そして、大学を破壊し燃やした学生たちが、野党の党首になっているのである。民主党で政権まで取った。
結局、東北を破壊し、福島第一原発を燃やしてしまった。そして日本社会を破壊した。若い頃の破壊者は年取ってもやはり破壊者だった。
実に示唆的である。
いかに岡潔が正しかったかの証明だろう。
いまや時代は岡潔に追いついた。
岡潔の風が吹いている。