みなさん、こんにちは。
さて、先程以下のもの
をブログにメモしたが、長くなったので途中で切り上げたが、実は本当はメモしたかったことはこっちの部分である。これをここでメモしておこう。
私個人は、N高講師の三浦瑠璃さんのことや、その前の、あっそうさんのものをメモしたが、別に私個人が、この角川春樹の作ったN高、というものを礼賛しているわけではない。物事には一長一短がある。
人間嫌い、引きこもり、登校拒否、あるいは、昼間は仕事が忙しくて昼間の学校へ行きにくい、。。。などの問題をもった人にはN高は引っ張りだこだろう。そういう人にはシステムとしてはオススメできる。
しかしながら、やはりこのN高のやり方、あるいは、普通の高校もそうだが、講義あるいは授業というものは、基本的に岡潔のいうところの「第一の心」、すなわち、西洋人の脳科学で言うなら「前頭葉」を鍛えるものである。
だから、これだけでは、「共感脳」である「頭頂葉」、そしてそこに宿る「第二の心」を育むことは難しいだろう。
まあ、一言でいうと、
N高の教育は、岡潔が最もだめだと言ったことを行なっている高校ということになる。
個人主義、アメリカイズム、。。。
日本食や和食にあった遺伝子DNAを持つ人間が、乳牛製品や洋食や生野菜を食せば大体において短命化する。
そんなふうに、日本人がアメリカの文化を若い時期に取り入れたら、それで滅ぶのである。
実際、投資家の村上ファンドで逮捕された村上世彰が出ている授業もある。
しかしながら、この村上と私を見比べたら、明らかに大金持ちで何不自由なく生活しているはずの村上ファンドの方が老けが早い。彼は私より2歳年下である。
蒙古の元が中国文明を取り入れたから元が滅び、女真族の清が中国文明を取り入れたから清が滅んだように、大和民族の日本文明がアメリカ文明を取り入れたら日本は滅ぶのである。
少なくとも短命化する。
岡潔先生は半世紀以上前にすでにそういう講演会を幾度となく行なっていた。
しかし、N高の講師たちを見れば分かるように、東京大学出身の美人国際政治学者の三浦瑠麗さんはご主人が東京大学出身の米国ハーフであり、村上ファンドの村上はシンガポールに住んでいる。
つまり、普通の日本人ではない。グローカルな日本人である。
岡潔は徹底してこういう教育をやっちゃいかんと言っていたわけですナ。
しかし、いまやますます逆だ。従来型、戦前型、日本オリジナル型の人間の感性を育てる形の教育は廃れている。
特に、岡潔は、若い人ほど第二の心、頭頂葉を鍛えるように、懐かしさを感じるような本当の教育をしなければならないと言っていたのである。
はたしてそれはどんなことか?
というと、N高の教育、あるいは、三浦瑠麗さんが東大に入る前に行なっただろう湘南高校の教育。こういうものは、すべて思考重視の前頭葉や、記憶重視の海馬のある側頭葉中心の教育だ。こういうものではない。
もっと、頭頂葉を鍛え、人として目覚める素地を生むような教育が大事だと言った。
そのヒントが、私が作った「嬰児に学ぶ」の質疑応答の部分で岡潔先生が答えた話にある。
これによれば、N高や普通のエリート高の教育は、岡潔の言葉では、
石地蔵
を生み出しているだけ、ということになる。つまり、頭の凝り固まった堅物を作っている。
そして、大学教育は化石化したというわけだ。
この逆じゃないと日本人は滅ぶ、まあ、そのまま滅んでいくのもそれもそれで良いのかもな、というふうに考えていたようだ。
まあ、岡潔は、村上ファンドの村上のような人間になるな、なっちゃいかんよ、といったんだナ。
人として生まれたなら、物事に真心を傾けて、その真心を尽くして打ち込めるようなものを見つけて突き詰めよと。
前頭葉で考える損得、優劣、データ、そういうものを全く通さない世界のことを身に着けよと言ったわけだ。
はたしてN高やエリート高の教育にはそういうものはあるだろうか?
私が個人的に思うに、岡潔先生の考えに一番近いのは、これだっただろう。
『日日是好日』予告 2018 年10 月13 日(土)公開
講義を聞いたら分かるとか、データ分析すれば、分かる。問題を解けばできる、覚えれば答えられる。2時間のブレストしたら身につく。こういう欧米人的な前頭葉文化ではないもの。
何ヶ月、何年、。。。毎日毎日同じことを繰り返すうちに、身につくような、分かるのに時間がかかる。
こういうものに打ち込むこと。
この意味では、若い時期は、サッカーや野球のようなスポーツ、なにかの部活。そういうものに集中し、何も考えず、ただうまくなることだけを願って日々努力する。こういう方がずっと頭頂葉の教育には良いのである。そう思うのである。
若い頃に読書しすぎてもいけない。むしろ、本など読まないほうが良い。
勉強は大事だがしすぎてはいけない。
何か生活のリズム、生活習慣、生活の伝統、。。。なにかそういうものから時間を経て身につくような何かを得ることの方が、おそらく岡潔先生が言いたかったこと、そういう教育に近いと思うのである。
N高の政治部とか、こういうのはなくて良いんじゃないかナ。
ただ座って人の話聞いていることより、まずは若いんだから、野山を駆け巡ったほうが良い。むしろ、お遍路さんでもした方が遥かに良いと思うわけだ。
昔の成功者の話を聞くより、自己体験を重ねるべきだと俺は思う。
サッカーのリフティングは、すこしでも邪念が入るとボールを落とす。考えたらできない。
サッカーでいう集中とは無心になることである。これを身につけるためにリフティングを練習していると言っても良い。
むしろ、あまり変な情報を仕入れずに、純粋に技とか、技能とか、作法とか、なにか言葉でだけでは理解できないことを体験学習すべきだろうと思う。