みなさん、こんにちは。
まあ、俺にはどうでもいいことなのだが、一応これも昔本を書いた都合上メモしておこう。ちなみに、昔書いた本とはこれ。
これは昔のBBS時代の記事を基にしたもので、その時代までの理解や状況によるものである。
これでは、大学院と学部の割合は、1対10の学生比が良いと考えて主張している。つまり、いまのほぼ1対1〜1対3程度の大学院生の数を維持しようとすれば、我が国の研究能力は「悪化が良貨を駆逐する」形で崩壊するだろうという予測であった。
しかし、現実は当時の文科省大臣となった東大エリートの有馬朗人さんの「大学院重点化」構想、「ポスドク拡充」計画で、大幅に大学院生および博士取得者が増えた結果、職にあぶれた博士取得者は借金だけ抱えて露頭に迷い、まったく研究成果を出すことがなくなったわけだ。
その例外が私であって、かつてアエラの中で特集された。
若き頭脳が埋もれている
このオリジナルのカラーがこれ。
さて、そんな時代から20年余。ほぼ私の主張の方が、私の予測が正しかったことが分かっただろう。それがこれだ。
世界大学ランキング2020
要するに我が国の大学の世界ランクはどんどん下がり、そのうち、日本サッカーより下がり、さらに日本ラグビーより下がり、さらに日本ボブスレーより下がり、もはやランク外になったという歴史である。
いずれにせよ、この原因を研究することは非常に興味深い。一国の研究機関のレベルが短い期間にこれほど凋落するというからには、それ相当の理由が隠されているはずだからである。
私が特に興味深いと思うことは、1995年あたりを境に大きく変動しているということである。この時期には次の4つの事件があった。
(1)日本のバブル崩壊 1994
(3)サッカーJリーグ創立1993
(4)totoの開設 1998
科学研究においては言うまでもなく科学技術基本法の設立が最も大きな出来事である。これにより、年5兆円の国家予算が科学研究に投資され、それまでこれに使われていた公共事業のための地方交付税が削減され、日本社会は一気に大都市集中、地方崩壊が始まった。
地方は公共事業のための地方交付税がふんだんにあった。だからいわゆるコンクリートの「箱物行政」「道路やダムや水路などの公共事業」が成立したわけだ。
ところが、これが大学や研究所にまわされた結果、大学や研究所という大都市の地方内に、コンクリートの「箱物行政」「道路やダムや水路などの公共事業」が成立したわけだ。これが、大学の箱物行政でビルがどんどん建てられ、駐車場が完備され、バブル崩壊以前には国内で最も老朽化の激しかった日本の大学が刷新できたのである。
そして、2005年に大学法人化が始まり、それまではバブル時代までに老朽化した大学施設をことごとく立て直していたが、今度はこの法人化で大学の独自経営化路線にシフトし、大学人自ら自分の給料を決めることができるようになったのである。この結果、助教授が准教授、助手が助教となり、常勤と非常勤の区別が明確化され、給料に大きな差がつくようになった。
こうして、10年ほど経つと、つまり、空白の10年が過ぎたら、いわゆる、A層とB層、勝ち組と負け組というふうに、国民は格差社会の時代に突入していたというわけだ。
これが小泉竹中時代に完成したのであった。「自民党をぶっ壊す」「骨太の時代」という売国奴路線。CSISの傀儡政権。
ここでケケ中のパソナ、それを煽った「非正規ですが、なにか?」の篠原涼子の「ハケンの女」の時代になったのである。
ついでにいえば、いま菅義偉政権になり、今度は米トランプ政権から追撃を受けて失速しつつある米CSISから英ロスチャイルドにシフトし、デービッド・アトキンソンを通じた路線へ移行中というわけだ。米政権はその権力が太平洋側西海岸から大西洋側東海岸へシフトしていると見ることもできるだろう。
だから、だれもが常識的に考えれば、人や金のふんだんにあるはずの大学は、その研究能力は上がりこそすれ下がることはありえない。だから、科学基本法の下で、年5兆円の予算とともに、それまでの科研費だけの時代で老朽化著しかった大学の時代と比べたら、信じられないほどの大学ランキングが上がらなければいけないのである。
実はこういう大きな、大まかの流れを理解しないと、なぜ我が国の研究成果が減り、論文数が減ってきているのか理解できないのである。
論文数が減った場合、まず普通の考え方はこうだろう。
(1)世界の趨勢、潮流となる科学の新発見や新発展について行っていないからだ。だから、論文数が相対的に減った。
たとえば、AI研究やディジタル革命や5Gの通信革命についていっていないからだ。
これが、普通の人の価値観で見る世界である。むろん、そういう面もある。
しかし、私個人の見方は全く異なるのだ。
(2)世界は新時代に突入したが、我が国はその時代変化について行っていないからだ。だから、論文が書けない。
たとえば、これ。ごく最近の話題だ。このニュースの日本人研究者の反応を見るとこの意味がわかるだろう。
高温・高圧のため生命が存在する可能性は低いとされる金星で、大気から「リン化水素」が見つかったと英カーディフ大や京都産業大などのチームが明らかにした。地球上にはこの成分を作る微生物もおり、「生命由来の可能性も捨てきれない」としている。論文が英科学誌に掲載された。
チームは、南米チリの電波望遠鏡などで金星を観測。大気分子10億個あたり20個程度の割合でリン化水素が含まれていることを確認した。大気中の化学反応や火山活動でも作られるが、こうした現象による推定量より多く、チームは「リン化水素を作る微生物がいれば、検出された量を説明できる」としている。
金星表面は温度460度、90気圧にも達するが、高度50キロ・メートル付近は気温0~30度程度とされる。しかし、濃硫酸を含む雲に覆われており、地球の微生物なら生存が困難という。チームの佐川英夫・京都産業大教授(惑星科学)は「生命由来ではない可能性もあり、さらに観測が必要」と話す。
成田憲保・東京大教授(系外惑星)の話「これまで考えられていなかったメカニズムでリン化水素ができている可能性を示す成果で、金星の大気の理解を深める大発見だ」
この記事に最近の傾向の典型が出ていると私は考えるのだ。
つまり、これまでのいわゆる「従来の説」では、「金星表面は温度460度、90気圧にも達するが、高度50キロ・メートル付近は気温0~30度程度。濃硫酸を含む雲に覆われており、地球の微生物なら生存が困難」と考えられてきた。
ところが、英米の研究者たちは、「実はそうじゃなかったよ」と公表したわけだ。暗に「人が住んでいるかもしれない」と言ったわけだ。微生物が住めれば人も住める。
ところが、かつて米NASAがソ連や他国が勝手に金星探査をしないように、「金星は灼熱地獄で硫酸の雨」と真っ赤の嘘をつき、思いとどまらせたのである。当時はそういう時代背景だった。米ソ冷戦下だった。
同様に、火星にも同様の嘘をついた。「火星は寒くて空気がなく、砂塵嵐の吹く、真っ赤な空の惑星デューンだ」とまさに真っ赤の嘘をついた。しかし、最近のNASAの探査機は、「空は薄青空で、大気も地球並みの空気があり、十分に生活可能だ」ということを伝え始めた。だから、テスラ社のイーロン・マスクが火星移住計画なんてプロパガンダし始めたのである。
そもそも拙ブログ1は、こういうことを解明し指摘することから始めたのだった。
つまり、G7の国々では、すでに冷戦は終わり、隠蔽のための嘘科学は行わなくても良い時代になったのである。だから、火星の事実、金星の事実を公表し始めたのである。
ところが、我が国の研究者や科学者はまだそういう事情を全く理解していない。既存の何十年も前に出された、NASAによる当時の新事実を未だに既成概念として信じ切っているわけだ。つまり、「三つ子の魂百までも」というやつで、自分が科学者に憧れ始めた幼少期に刷り込まれた宇宙論や科学知識にいまだ騙されているのである。これでは、新時代にあった実験や理論を生み出せない。
英国の科学者が「金星に生命の痕跡がある」と言った時に、「真っ先にそんなはずがねー」と反論したのが今の日本人学者なのだ。
私が思うところの、日本の大学の凋落とはこういうことを意味する。
最近、すでにこれまではフリーエネルギー発電を発明した人間はことごとく暗殺されてきた。ブラウンガスしかり。ポール・ブラウン博士の光改善法しかり。
しかし、トランプ政権になって以後、アメリカが変わり始めたのである。それに引き続き、欧州も変わってきたのだ。だから、最初の「金星に生命の痕跡」論文が出るのである。米ソ冷戦時代なら、それは不可能だ。すぐ潰された。
そして、いまや原爆開発のために生まれた軍産複合体の雄、ロスアラモス研究所から、効率100%以上の300%まで出るという太陽光発電装置が発明され、その論文が出るようになったのである。それがこれだ。
論文を書くときには、オーバーユニティーと書けば、論文はボツにされかなねい。だから、あからさまには100%効率と書かれている。しかし、実際には300%以上出るのである。
こういう研究論文がロスアラモス研究所から出されているのだ。そこに所属するちゃんとした物性実験の研究者である。
これを見たら、何十年前の知識を刷り込まれて教授然としている我が国の東大や京大や大学の研究者たちはどう出るだろうか?
「真っ先にエネルギー保存則を破るからそんなはずがねー」と反論するに違いない。
反論の論文を出せばこれも論文の1つに数えられるから論文数は上がるだろうが、日本のダマスゴミに対して「そんなはずがねー」と御託並べるだけでは金にはなるかもしれないが論文数は増えない。
つまり、我が国の論文には、「〜〜といわれる」「〜とされる」「〜としられた」という文面が必ず入る研究なのである。これらが意味するのは、「既成理論」や「標準理論」のことである。
たとえば、「ハイゼンベルクの不確定性原理では⊿p⊿x〜hが成り立つとされる」というような考え方になるわけだ。こうなれば、もはやこれを疑うことはない。しかしながら、実際にはこのハイゼンベルクの不確定性原理はある条件下では破られることが証明されたのである。
要するに、我が国の研究者の思考が非常に保守的で既存の理論を養護する習慣に慣れてしまった結果、既成概念を覆す新しい事実がどんどん生まれている状況から完璧に取り残されている。これが、我が国の研究論文が減り、大学ランキングが大きく下がっている現実を意味する。
これが俺の解釈である。
もうすぐフリエネ発電機は世に出てくるし、反重力の円盤や反重力エンジンも出てくる。
この世界は、先に現物が発明され実用化し、その後で、その理論が解明されるのである。逆ではない。
蒸気機関は熱力学が生み出される何十年も前にイギリスでは実用化されていたのである。
電磁気学の理論が完成する前にすでに電池や通信が行われていたのである。
古くは、力学の理論ができるずっと前から振り子の時計は作成されていたのである。
計算理論ができる前には、手回し計算機が作られていた。
果たして我が国の大学人や企業人は、一昔前の既成概念を払拭できるのだろうか?
すでに最先端は次世代へ突入しているのだ!