ペリーが見た江戸城。1853年
みなさん、こんにちは。
話は変わるが、そういえば、最近東京の皇居を改築して江戸城を再建するという話が進んでいる。拙ブログでもだいぶ前にメモしたことがある。
2013年3月28日
この頃すでに天皇陛下は東京から京都へ移られ、皇居は江戸城公園になるというような計画が出ていたわけである。
そして、そのモニュメントとして江戸城の天守閣を再建するという話が持ち上がったようだ。
2014年のニュース
これは真っ赤な大嘘!騙されるな!
この計画では江戸城は天守閣が1つで、上のようなイメージで描かれている。
ところが、最近、江戸城をよく調べ直した所、天守閣のあるお城の横にもう一つのお城があったようだという研究があった。
たしかNHKのどこかの番組で見たような記憶がある。
つまり、江戸城は姫路城のもっと大きなものだったというのである。
これで、俺ははたと気がついた。
あのペリー提督が家来の一緒に連れて歩いたオランダ人画家ハイネに描かせた江戸の風景画、あれにこれとそっくりの城があったのだ。これである。
富士山の見えるその横に2つの天守閣の並んだお城が見える。
これこそ、江戸城の真の姿に違いないのだ!
まさに姫路城のように2つの天守閣が並んでいるのだ!
これが江戸城なのかどうかはどこにも書かれていないが、江戸時代にペリーが訪問して、最大の城を描かせたはずだから、間違いなく江戸城だろう。
一番大きな天守閣の横にもう一つの天守閣が見える。
今で言えば、東京都庁のようなツインタワー形式と言えるかもしれない。
当時の超高層ビル建築と見ることもできるだろう。
実際、いまも日本橋から皇居へ歩くという人がかなりいる。
このことからも、上の絵のように、日本橋から江戸城へ歩いていくことができたのだろう。
これにて一件落着。めでてーーな!