死ぬ前にもう一度雪を見たい
みなさん、こんにちは。
最近も毎日ではないが毎日のように武田鉄矢さんの今朝の三枚おろしは聞いている。聞きながらブログにメモしている事が多いが、たまにすっかりブログの方に集中してすっかり三枚おろしの時間を忘れてしまう。そんなことも増えてきた。
しかしながら、そういうときは、一週間のうち1回か2回も聞けばその週のテーマが分かるから、あとでだれかのYouTube番組で聞き返すことができる。
そんなものにこんなやつがある。
【武田鉄矢】『動いて考えろ アフォーダンス理論』2020.08
まあ、英語圏の外人さんには、このアフォーダンスというのは聞こえが良いのかもしれないが、日本人にはちょっと困る。
言うまでもなく、誰がどう聞いても
アホダンス
に聞こえるからだ。
一種の阿波おどりか、昔の日本のトルコの泡踊りか、という按配で、アフォダンスはまずい命名だ。
そういえば、その昔、ユタ州ソルトレイクのコンビニの道路隔てた対面側のアパートのベースメントに住んでいた頃、結構謎の事件が起こったことがある。
その一つにこんなことがあった。
たまたま雪の降る午前中に大学へ通う前に何かを買って行こうと、そのコンビニへ行った時、前の方から、俺より良い革のジャケットを来た若者が近づいてきた。アメリカは1人で道を歩いていると、すぐに誰かがどこからともなく現れて寄ってくるから、要注意。そこは肉食系狩猟民族が占領した国である。
革ジャン野郎が私の目の前に来た時、そいつがいきなりこういった。
You afford me?
俺はこのアホというのがよく分からなかった。それでキョトンとしていると、奴はこういった。
You afford me some money?
それで、俺は英語の意味は明確にわからなかったが、そいつが金をくれと言っているということは理解した。
どうみても俺より裕福そうだから、しかも俺とほぼ同程度かそれよりちょっと背が高い。だから、財布を出したら、奪って逃げるかもしれない。そうなると、そいつをとっ捕まえてバトルしなければならなくなる。
君子危うきに近寄らずだ。
そこで、俺は正直にこういった。
俺は日本から来たユタ大の物理学部の大学院生だ。俺は大学の奨学金で生活している。だから、君に金やれるほど裕福じゃなんだ。すまんが、他をあたってくれ。
すると、そうかといって、握手して帰ってくれた。帰り際に頑張れというような雰囲気だった。
これ以来、このアフォードという言葉は頭から離れなくなった。
Give me moneyでは品がない。ずっと貧しい最下層の物乞いの言い方だ。だから、You affod meといえば、ちょっと自分はたまたまいまお金に困っているだけというようなニュアンスになるらしい。
我々日本人はこういうアメリカ人の社会意識や歴史と結びついている英語表現というものを教えない。理解できない。
日本のような敬語表現は乏しいが、言い回しを変えることで、それに対応することを行っているのである。
ついでにもう一つの意味不明の事件があった。
俺のアパートの部屋はドアの入ってすぐ横にあった。
ある夏の一時期、毎晩小柄で白人(つまり、ユタでは典型的な金髪碧眼の)少女なのか成人なのかわからないような女性が、ネグリジェ姿でやってきて、眠りかけた俺の部屋の窓をとんとんと叩くのだった。
つまり、鍵を持っていないからドアを開けて入れてくれということだった。
それで、しょうがなく起きてドアを開けてやったのだが、そのスケスケのネグリジェのままさっと他のどこかの部屋へ行く。
すると、翌日にもまた窓をトントンと叩く。また、ネグリジェ姿である。うっすら中が見える。
こんなことが何度かあったが、そのうち来なくなった。
はたしてこの女は何者だったのか?いまだによくわからない。
たぶん、売春婦でどこかの部屋からお呼びだったのだろうと推測していたが、いまだ謎だ。
まあ、とにかくアメリカでは日本では考えられないことが起こる。そういう国である。
というわけで、私にはアフォードの名詞形であるアフォーダンス理論というのを聞いたとき、よく理解できなかったのである。
はあ?金を恵んでくれ理論?意味不明なやっちゃなという感じである。
まあ、文脈から推測すれば、子供に付与してやること、子供が親にYou afford meと問いかけているような行動という意味だろうか。
まあ、結構興味深い話だから、聞いてみるとよいだろう。
この話と関係はあるが、なぎささんと結婚した、まさに俺ら親父の妄想や親父の理想、親父の夢のような話で中高年から視聴率をとった、多部未華子さん。
この彼女の「あやしい彼女」のこの歌。
これは、フォーククルセイダーズの歌だが、どうもこの価値観が俺には理解できない。
たぶん、私もほぼ同時期に生まれ育ったから、同じような社会環境、それも当時の中でもかなり貧しい社会階層の家庭が出発点だったと思う。
なにせ、まずしくて栄養状態が悪くて母乳が出ず、母乳やミルクのかわりに重湯で育ったのである。
その頃のことを死んだ母親がかつて思い出したときは、悲しかったから、その頃の母親の気持ちとしては「悲しくてやりきれなかった」に違いない。そういう時はあったと思う。
しかし、そういう母親に育てられた方の俺はちっとも悲しくなかった。まったくそういうことを感じたことがなかった。
どんな場所に産まれ落ちようが、自分が生まれたその世界を見ること、知ること、理解することで大忙しで、興味津々だった。
だから、まだ1歳になる前のやっとつかまり立ちができ始めた頃、ちゃぶ台の上の灰皿に置き去りにされた、まだ煙のついていた親父の吸った、吸い残ったタバコを見て、それを吸ったらどうなるかと、言葉も話せない段階で吸ってみたのである。
そうしたら、苦しすぎて涙が止まらないほど苦しい思いをして、4畳半の畳の上で這いつくばって転げ回った。そういう記憶が今も残る。
だから、タバコは一度も吸いたいと思ったことはないし、吸えばどうなるか分かったというわけだ。
いまなら、そういうことをした大人の責任ということで、大人が処罰されかねないが、反面教師という典型だろう。
何事も本人が経験して苦しんで分かることがある。
子供がそういうふうに何か身の回りのものに興味を持つ。それが良いことであれば、そのチャンスをあげよう。そうやって子供は自分の力や可能性を伸ばす。こういう考え方が、そのアフォーダンス理論の主張であろう。
要するに、何を言いたいかというと、大人は悲しんでいても、そういう中にあっても子供の方は必ずしもそうではない、ということである。
子供は生まれて初めて見るこの世界に興味津々なのだ。
それを「つまらんことやめろ」「危ないからよせ」「悲しくなる」。。。とか、親がいうから子供は自分の興味津々のことと親の言っていることを対応させてしまうのである。
そして、それがずっと続くと、Heaveneseの希さんのカウンセラーに来るような、家庭の母と娘の関係のような感じになるわけだ。
「学校へ行きたくない。家にいるのが辛い。」
こういうことをいうような子になるらしい。
しかしながら、ちょっと待ってもらいたい。
たぶん、私が生まれた場所や時期と比べたら、いまの子供のほうがはるかに豊かで恵まれていると思う。私は他人の家で生まれた。産婆さんだ。
まあ、今もそうだが、自分が知りたいことを知ることで大忙しである。
一言で言えば、悩んでいる暇がない。
近所の友達と何かをやると、その何かを突き詰めるので忙しかった。
遊びでも、からかいやいじめでも、それを突き詰めることが面白かったわけだ。
だれがどうやっていじめるのか?なぜいじめるのか?
なぜ弱い者いじめするのか?
いじめはいじめるほうが弱いからいじめられるだけで、いじめるやつをぶっ飛ばせば、自分の家来になる。
それだけのことだった。
だから、それを発見したら、いじめるやつらのボスを泣かせて、翌日からは俺の家来にしていた。
すべてがこんな感じで、自分の貧しさやら、何食ったとか、何着ているとか、そんなことよりずっと面白いことに溢れていて、それを知るほうが先だった。
おそらく、いまもこれをやっているのだと思う。
まあ、悩むということは、悩む時間がある。余裕があるということなんだナ。
アフリカの黒人奴隷に悩む時間はなかった。鞭打たれて仕事させられたわけだ。だから、逆にその子孫は鞭打たれなければ動かない人間になってしまった。
一方、ロシアの強制収容所で強制労働に送り込まれた日本の兵隊たちは、鞭打たれるまでもなく自ら率先して驚くべき作業をこなした。東欧の多くの傑作を誕生させていった。
これと同じことは、南方戦線に駆り出されて、その現地で玉砕する日本兵に最後の演劇をみせようとしてできた南方の演劇分隊の「南の島に雪が降る」の話の中にも出ていた。
どうせ米軍の爆撃で粉砕されることが分かっている劇場をわざわざ飲まず食わずの日本兵たちが建てたのである。それも日本国内のような劇場を建てたのである。
なぜか?
つまり、何もしないで腹をすかしてただ死を待つより、そしてその時にいろいろ悩むより、手を動かして何かを作っている方が
気が晴れる
からだったのである。
要するに、悩むよりは動け、悩むよりは作業、何かをすればそれに集中しているうちは悩まずにすむ。そういうことだったのである。
おそらく、ロシア兵に捕まった日本兵もそうだったのだろう。何かに集中していれば、将来への不安はその間は吹き飛ぶ。
これを現代に延長すれば、やはり、母親の離婚に悩み、将来を悲しんでいる暇があるのであれば、何かに没頭する。スポーツ、音楽、リフティング、読書、何でも良い。
これがアフォーダンス理論の本筋だろう。
言い換えれば、アフォーダンス理論と合わせて考えれば、
子供は悩むことで時間を浪費するのではなく、そんなことより、その時間に自分の力でできる何かの作業に没頭しろ。
将来はなるようにしかならないのだ。だったら、とにかくいますぐ自分でできることに集中する。
ということになるわけだ。そうすれば、その時間は悩みを忘れることができる。悩まずにすむ。
その「南の島に雪が降る」という映画は、1997年にリメークされたが、1961年の最初の方がずっと作者自身が参加している点でリアル感がある。リメーク版はYouTubeで見れるが、オリジナルはYouTubeにはない。YouTube以外の映像はここには貼り付けられないので、小名木善行さんのサイトをメモしておこう。以下のものである。
この映画の中の昭和の名俳優や出演者の大半は死んでしまったんだろうナア。
Heaveneseの希尚さんのカウンセリングもすばらしい。悩む青少年はぜひ彼のカンセリングを受けたら良い。
が、昔の日本人の本当の歴史を見ることも別の意味で役に立つ。
もっと本質的な根底を揺さぶられるだろう。
弥栄!