みなさん、こんにちは。
まあ、政権の話は俺にとってどうでもいいが、これはちょっと忘れないうちにメモしておきたい。
偶然、YouTubeの付録に出てきたこれである。
出口治明が説く「これからの時代を生き抜く力」
この出口さん、あのライフネット生命の創始者らしい。
まあ、こうして実業家として日本社会で実績を積んだ結果、立命館アジアパシフィック大学の総長さんになったというわけだ。
そして、ユニークな大学経営を評価されて、新進気鋭の堀義人氏のビジネススクールのGlobisに講演者として登場した。
それが、最初のYouTube番組である。
さて、これに何が私にとって興味深いかというと、
この世の中というのは、
種を蒔く人と収穫を得る人が別人だ
という事実を知るべきだと思うからだ。
種を蒔く人は人知れず土地を耕しそこへ種を蒔く。しかし、その収穫はあとから来た全く別の人のものになる。
これがこの世界の法則なのだ。
が、これを知る人は極めて少ない。国内だけのことでもそうだ。
その証拠として、ちょうど良いからここにメモすることにしたのである。
まず、この立命館アジアパシフィック大学というのは、いつどこで誰の手で誕生したか?
当然、この出口治明さんは知る由もない。当時彼は一介のビジネスマンにすぎなかった。
建学の精神は『自由と清新』。基本理念に「自由・平和・ヒューマニズム」、「国際相互理解」、「アジア太平洋の未来創造」を掲げる。
タグラインの「Shape Your World」は、約80を超える国・地域からAPUに集まる学生が「自身・世界を創造する姿」のイメージを明示するものとして2008年に制定された[1]。
- 1995年 学校法人立命館が新大学設置準備委員会を発足。
- 1996年 立命館アジア太平洋大学設置期成同盟会設立総会開催。アジア太平洋研究センター発足。新大学設置委員会発足。大学名称が「立命館アジア太平洋大学」に決定する。アドバイザリー・コミッティ100名に到達。アジア太平洋地域の6カ国11大学・研究機関と大学間協定合同締結式を開催。立命館アジア太平洋研究センター(RCAPS: Ritsumeikan Center for Asia Pacific Studies、「アール・キャップス」と読む)を設立。
- 1997年 「アジア太平洋学研究会」発足。立命館アジア太平洋大学設置基本協定調印式が行われる。立命館アジア太平洋大学設置事業造成工事起工式を挙行。
- 1998年 文部省へ設置認可申請書を提出。韓国・ソウルに事務所を開設。インドネシア事務所開所式。アドバイザリー・コミッティが200名に到達。立命館アジア太平洋大学建築工事起工式を挙行。
- 1999年 シンボルマークが決定する。「APUからの提案」を発表。立命館アジア太平洋大学建築工事上棟式を挙行。立命館アジア太平洋大学が文部大臣の設置認可を受ける。
- 2000年 立命館アジア太平洋大学初代学長に坂本和一立命館副総長が就任。立命館アジア太平洋大学・竣工式を挙行。立命館アジア太平洋大学開学、日本を含む28カ国・地域から719名が第一期生として入学。アジア太平洋学部(APS)・アジア太平洋マネジメント学部(APM)を設置。APU開学式典開催。APU Festival開催。
実は、この1995年に私は最初の本を出し、日本の大学人へ衝撃を与えたのだった。
それがこの本。
この一見マイナーな本は、まあ自分でいうのもなんだが、この日本社会を変えた本だったのである。特に大学の研究者に大きな影響を与えたのである。
この本の内容に衝撃を受けた大学人が数しれず、当時関西で低迷し始め暗黒に乗り上げた立命館大にも影響を与えた。
当時は、同志社、京産大、など他の大学の勢いに劣勢になった立命館は、大きな変革を余儀なくされた。
そこで、新しい路線の大学運営と新しい大学を作ることになったわけだ。
それが、上の立命館アジア太平洋大学であった。
この本では、大学が世界の若者の受け皿になる。日本社会への窓になるべきだという思想が述べられたのである。むろん、俺がそう書いた。
そして、この大きな動きが出てきた時、当時毎日新聞社の教育分野の敏腕記者だった中村龍兵さんが、私の本の観点から当時の立命館大の学長さんへインタビューしたのである。そうやってできた本がこれだった。
このインタビューを一冊の本で出版し、その最後で、私のその本を引用したというわけだ。だから、このあまり知られていない本の最後に、誰も知らないはずの私の名前が出ているのである。
この中村龍兵さんは、当時理研を任期満了で退職し、ここ阿南に引っ越していた私に手紙を書いてきて、会いたいというので、私は大阪難波で会うことになったのである。
何を言いたいか?
というと、この立命館アジア太平洋大学こそ、もっとも私の本の哲学に即した大学だったのである。
そういう大学から出口治明氏に学長要請が来て、いまや有名な学長さんになったというわけだ。
つまり、私が人知れず撒いた種を収穫している形である。井口が蒔いた種を出口が収穫する。
アフガンを緑地化した中村哲博士はすごかったが、ああいう人が本当に木を植える人である。
木を植える前には水が必要。水路を引かねばならない。
俺の場合は、木を植えるというよりは、種を蒔く。アイデアの種である。だから、中村哲先生ほどではない。
まあ、世の中というのはそうやってできているのである。
これを忘れるな!
まあ、俺個人の覚書だから他の人にはどうでもいいけどナ。
Globisに通うような人々は、おそらく実入りのない種を蒔く役回りより、いかに実入りの良い収穫を上げるかの方に興味があるのだろう。
もしそれを得たければ、俺はこういうだろう。
すべてはコネだ。
その会社や組織の一番上の人とコネを作れ!友だちになれ。
だから、ダボス会議やあすか会議やGlobisは、一番上の人を招いて講演させるわけだ。
研究なら、研究室のリーダーと仲良くなる。喧嘩したらまず終了。俺、みたいになる。
まあ、ひとそれぞれ役回りがあるんですナ。
いずれにせよ、この私の本には、地方創生、東京一極集中の打破、すべての方策があるからいまも一読の価値はあると思う。