この世界の片隅に

みなさん、こんにちは。
1945年の今頃はいったいどうだっただろうか?
おそらく、広島や長崎、そればかりか、甲府、東京、名古屋、大阪、兵庫、。。。日本の目貫道路のある都市部はすべて焼失した状態だっただろう。
前者のB29の原爆は、後者のB29の絨毯爆撃
の大空襲で都市部が焼き尽くされた後に、それまでわざわざ無傷で残された広島と長崎に落とされたのである。
東京1945
仙台1945
静岡1945
甲府1945

名古屋1945

むろん、広島や長崎がどうだったかはいまでは世界中が知っている。
長崎1945

広島1945
1945年には、日本全国がこういう状態になったのである。
いまや戦前の日本の姿がどういうものだったか?
だれも見ることはない。
そんな中、戦前の姿をリアルに描いたのが「この世界の片隅で」であるという。
このアニメ映画について、何人かがYouTube番組で熱く語っているので、それをここにもメモしておこう。
(あ)武田鉄矢の今朝の三枚おろし
【武田鉄矢】『この世界の片隅に』これは次元が違う凄いアニメだ! ~前編~
【武田鉄矢】『この世界の片隅に』~後編~ 悲しすぎてもう見れない…
(い)山田玲司のヤングサンデー
解説「この世界の片隅に」が起こした5つの革命
(う)岡田斗司夫さん
『この世界の片隅に』の凄さを3つのポイントで語ります
要するに、この「すずさん」という主人公は、すべての日本人の姿だった。
私がいつも興味深いと思うのは、焼き尽くされた後のことである。
我が国では、雨後の筍のように、広島、長崎、東京、甲府、。。。すべての場所で、
どこからともなく生き残った先生や子どもたちが集まり、瓦礫の中で青空教室を始めたのである。
広島の青空教室
沖縄の青空教室
東京の青空教室
これが戦後の出発点であった。
我が家の先祖、私の父の家族も、竹で建てたバラック小屋とドラム缶風呂から始まり、すぐに普通の生活を始めたのである。
さすがは職人の国である。
無くなったらまた作れば良い。
知恵と勇気、創意工夫でまた新しく作り直す。
こうして戦後75年。
これが今の我が国である。
翻って、西洋諸国の植民地だったアフリカの人たちは、いまだに草履、わらじすら作ることを覚えない。
ここに、西洋白人ユダヤ人による愚民化政策の植民地主義と、我が国の教育化文化人化政策の統治とは異なるということがわかるわけだ。
田坂広志が語る「すべては導かれている ー 逆境を越え、人生を拓く五つの覚悟 ー 」