
みなさん、こんにちは。
そういえば、「
労多くして易少し」というと、思い出すのが、私が東京理科大学理工の物理の学生だった頃。
1年生の力学の講義で、東大から天下った、当時学生の間で「有名な」相対性理論の大家という長沢先生という人がいたんだナ。
何が「有名」だったかというと、この先生の講義は
先生の板書を全部ノートに書き、試験はそれを丸暗記してその言葉通りに書かないと落ちるぞ!
という意味で有名だったのだ。
そこで、俺は実験を兼ねて、必死で国際的に古典と知ったメラーの一般相対性理論の教科書
を勉強し、国際水準で長沢先生の試験に明快に答えたというわけだ。
多くの学生が白紙や部分的にしか答えられなかった中、俺は全問を明快に証明を与えていった。
そして、成績発表がやってきた。
なんと俺だけが「不可」。他の奴らは全員「可」とか「良」とか。中には「優」のやつがいた。
というわけで、先輩から聞いた仲間の忠告通りの結果になったのだった。
これ以来、俺は「相対性理論」と聞くと、この場面を思い出す。
今で言えば、昨今のパヨク系の人の「大げさにいう風潮」から「トラウマ」になっただとか、「心理的問題を抱えた」とか、PTSDになったとかいいそうだが、昔は俺らはこういった。
「勉強になった。」
これをレッスンという。
若い頃のレッスンは自ら金を払っても行えというわけだ。
以来、一般相対性理論は一種の宗教のようなものだと見るようになったわけですナ。
あれから、40年。
この若気の至りは確信に至っているというわけだ。
それにしても、東理大は東大の先生の天下り先の老人ホームと化した歴史が長いが、今もそうなんだろうナア。
これはなんとかしてほしい。文科省!
もはや手遅れだろうが。