みなさん、こんにちは。
いよいよ都知事選も終盤。
桜井誠しかいない。小池や山本や宇都宮に投票するやつは自殺行為だろう。
東京都知事候補 [桜井誠] VR立川街頭演説「(令和2年7月2日)
はっきり言って、いまの状況で、来年に延期された東京オリンピックが開催できるはずがない。
この期に及んで、まだ来年開催を叫ぶやつはアホだ。馬鹿だ。
桜井誠の公約
○都知事の給料0(1年間)
○都民税、固定資産税0(2年間)
○新都銀開設
さすがに昔、自分の親が早世し、自分が親代わりとして都庁職員になり、弟を大学まで出した、勤労の徒である。
元NHK職員だった、立花隆がNHKをぶっ壊し、元都庁職員だった桜井誠が都庁をぶっ壊す。
我々日本人が、日本政府をぶっ壊す。
何故か?
なぜこういうことをしなければならないのか?
というと、これはまだ本当には問題として捉えられていないが、要するに、
戦後75年の戦後レジームの終焉
ということなのだ。
つまり、
GHQおよびダグラス・マッカーサー政権が強いたウォーギルドインフォーメーションプログラムの終了。
そして、
その米政権の目的のために、米政権から一時的に利用された在日帰化人や在日朝鮮人支配の終焉。
そして、古来の日本への復古。
つまり、
日本版ルネッサンス
日本型ルネッサンス
ということなのである。
俺はそう考える。
ところで、ルネッサンスとは、中世のキリスト教支配の暗黒時代に対して、古代ギリシャ・ローマの自由闊達な時代に戻れ、という運動のことだった。
ルネサンス
ルネサンス(仏: Renaissance[† 1][† 2])は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。
日本では長らく文芸復興と訳されており、ルネサンスの時代を「復興期」と呼ぶこともあったが[1]、文芸のみでなく広義に使われるため現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記されるが[2]、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。
(このウィキのライターは、昔我々がルネッサンスと教わった言葉をルネサンスに変えたいらしいナ。これもまた歴史の書き換えの1つである。こういうつまらんことにこだわるやつが多すぎ。ルネッサンスもルネサンスも同じこと。呼び名より、その意味が大事だ。物理でも、マックスウェルをマクスウェルとしろとか、つまらんことをいう人がいるが、発音すれば、現地人には大差なく聞こえる。)
さて、話を元へ戻すと、要するに、いま我々日本人が気づき始めていることは、憲法改正、あるいは、新憲法設立、それにより自衛隊を日本軍に格上げすること、こういう必要性の背後に何があるのか?
というと、それは、単に戦前への復古ということではなく、もっとずっと昔の古神道、古史古伝、あるいは、それよりずっと昔のアンドロメダ星雲にいた時代、あるいは、シリウスにいた時代、まだ地球人が存在する以前の魂の時代にまで遡り、日本人の精神、日本人の原点へ回帰するという意味である。
なにせ日本は世界最古の国家であると同時に、日本人は世界最古の人種である。そういう事実を認識し、それにふさわしい立場や地位や思想を再構成する。
こういう時代的流れの分水嶺にいまようやくたどり着いたということなのである。
これまでは、西洋ユダヤ人や西洋王族の奏でる伝統的手法であるショック・ドクトリンの手法の犠牲になり、敗戦ショックで何も考えられなかった時代にあって、米国が発案した自虐史観計画の餌食になった。
いまある電通はその時に誕生したのである。その名残がいまものこり、電通の部署の名前が「連絡部」というように残っているのである。
つまり、進駐軍のマッカーサーの横田幕府が在日支配の電通にその司令を紙に書いて「連絡」し、その紙に書かれた司令を日本のマスコミ・メディアへ「連絡する」。
これが電通に課せられた使命だった。
だからこの構造がいまもって働いている。
そして、いまや誰もが気づくように、在日朝鮮人や韓国人や中国人からの日本人に対するヘイトやヘイトスピーチはニュースに流れるが、日本人の声はニュースにならない。
ますます日本人は嫌な思いをする毎日が続くというわけだ。
結果としてメディア離れ、テレビ離れが起きた。
その象徴が岡村のウジテレビの
「嫌なら見るな!」
であった。
この戦後にアメリカにより構築された、日本人支配のための朝鮮人登用システム。
これをぶっ壊し、元の日本社会へ回帰すること。
これが、今起こりつつあり、これから起こり、我々が目にする歴史なのである。
桜井誠がやれなくても、必ずまた他の誰かがこれを目指す。
ちょうど江戸時代末期の徳川幕府のようなものである。
仮に吉田松陰先生が出なくとも、かならず第二第三の吉田松陰先生が出る。
仮に坂本龍馬が出なくとも、かならず第二第三の坂本龍馬が出る。
時代の節目とはそういうものである。
サッカーでもそうだった。
中田英寿が出なかったとしても、第二第三の中田英寿が生まれたはずなのである。
Jリーグ設立、日本サッカーのプロ化の大波が、山梨甲府出身の韮高の若き中田英寿を世界のナカータに昇華させたのである。
いま日本で起こっていること、これから日本で起こることは、こういうことである。
つまり、いままったく無名の存在、全く無名の若者の中から、次の日本を作り出す、そういう人物が登場するのである。
実際に、そういう兆候が出ている。
その一人が、日本第一党の桜井誠であり、Heaveneseのキリスト教の牧師マレさんである。
将棋では、藤井聡太さん。こういう若者が必ず日本の政治にも現れてくる。
そして、時代の大波がそういう若者を後押しするのだ。
思い出せ!
いま有名な西郷隆盛、坂本龍馬、福沢諭吉、勝海舟、山岡鉄舟、。。。
あの時代では、無名侍の一人にすぎなかった。
己の信念を貫き、その時代のうねりに乗ったからこそいまの歴史につながった。
無敵だと思われた徳川幕府。300年続いた権威。
それが大政奉還したのである。
在日朝鮮人による電通支配、NHK支配、戦後75年間続いた権威。
それもまたいつか大政奉還する時が来るのである。
そもそも、もうそれを後ろで支えたアメリカ政府は存在しない。
自国の防衛で忙しい。在日朝鮮人を支えた中国共産党も危うい。
これこそ、ヘンリー・キッシンジャーお得意の
パワーバランス
の概念である。
すでに世界中のパワーバランスが崩れ、変化しつつある。
杉田元宜先生の言葉で言えば、
今世界は過渡的現象に入った
のである。