この謎のミュージシャン、Heaveneseの語りが面白い。
ところで、最近、我が家系の親父の世代の生き残りも少なくなってしまったが、私のわずかに残る叔母から興味深いことを聞いたのだった。
私の父の母方の家系が、鰻屋だったのだが、いまでも山梨最古の有名な若荒井の飯野の家系だった。
その飯野家の長男は鰻屋を継がず、米問屋へ養子になったとか。むろん、大正時代か昭和の初期である。私の祖母はその長男と非常に仲が良かったらしい。
ところが、そのご長男は、なんと琵琶奏者だったというのである。それも当時甲府で有名な琵琶奏者だった。
戦後すぐに病気で早世してしまったために、琵琶奏者の話は我が家系のだれも知らなかった。
というのも、我が家の宝石加工業の井口家は、祖母が嫁いで以来、鰻屋とは絶縁関係になってしまったからだ。だから、だれも知らなかった。
ところが、その祖母がその伯母が幼少の頃よく、米問屋に入った飯野家の長男のところは遊びに行って、そこで琵琶奏者の語りを聞かされたというのである。
ごく最近、この話を知ることになった。
実はこの伯母とは、山梨英和学院を30数年努めた、古屋千恵子の叔母さんだった。
その叔母さんが、最近これまでの人生をまとめた「自分史」というものを自費出版したのである。それを私に1冊送ってくれたのである。
その自分史のお礼を言った際に、書いているうちに昔の忘れていたことが蘇ってきて、いろいろ思い出したというのである。
その中に、そういえば、幼少の頃、鰻屋へ行ったり、鰻屋の長男が有名な琵琶奏者だったという話をしてくれたというわけだ。
叔母に言わせると、井口家では誰も知らない、誰にも話したことがなかったと言ったのである。
ちなみに、山梨英和学院とは、NHKの「アンと花子」のモデルになった東洋英和学院と姉妹校であるキリスト教の私学である。カナダのキリスト教徒が我が国へキリスト教の普及のために作った学校である。
一方、保江邦夫先生をスカウトした渡辺和子シスターのノートルダム清心女子大学は、フランスのノートルダム寺院系のカソリックの大学である。
まさに、我が家の叔母さんは、山梨県甲府の「アンと花子」のようなものだった。
とまあ、その「自分史」からそういう事わかったのである。
思い出せば、私が井口家最初の初孫として生まれ、幼稚園に通っていた頃、いつも父の実家である若松町の家につれて行かれた時、私はこの叔母からピアノの前に座らせれて、ピアノのレッスンを受けた。そして、ちゃぶ台に五線譜のノートを置かれ、そこにト音記号やヘ音記号を書けと言われたり、ABCの歌を歌わされたのだが、その理由がやっとわかったのだった。
つまり、当時まだ山梨英和学院の中高を卒業し、まだそこには大学がなかったから、山梨大学へ通っているころ、私はその叔母の音楽教育の最初の実験台になったのである。
私は手先があまり器用ではなかったから、途中でピアノは頓挫したが、幼稚園の高学年になったときは、その幼稚園のオルガン教室に半年ほど通わされたのである。生徒はすべて女の子。男の子は私だけ。その恥ずかしさと屈辱感で、両手に入る直前で止めたのである。
しかしながら、ずっとあとになって思えば、この頃の音楽教育のおかげで、私が音痴にならなかったことや、ほんのわずかながら、絶対音感のぜの字程度の音感が身についていたのである。いまでもどういうわけか、歌詞を覚えることは苦手だが、メロディーを覚えることは非常にかんたんにできるのである。
この意味では、叔母さんに感謝しなければいけないだろう。
その山梨英和がキリスト教の学校だったために、叔母だけはクリスチャンだった。なんとなくそういう印象があったのだが、これも今回始めて知ったのである。ずっと私は我が家の曹洞宗だろうぐらいにしか思っていなかったのである。ところが、実はクリスチャンだったのである。
というわけで、なんだかんだと言っても、我が国にはクリスチャンは結構多い。
杉田元宜博士夫妻はともにクリスチャンだった。
おそらく、この一見するとビジュアル系ハードロックに見えるHeaveneseもまたクリスチャンなのだろう。
歌にアーメンが入る。
琵琶奏者というのは、琵琶の演奏が主というより、むしろ、琵琶を語りや歌の効果音のように使う。
この意味では、Heaveneseはハードロックの音楽を、キリスト教の説話や説教を歌に変えて、キリスト教の伝道師を行っているとも言える。
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