みなさん、こんにちは。
まあ、この話はまたそのうちYouTubeにアップするかも知らないが、先にここにメモしておこう。
最近、アベノ10マンでアマゾンで古本を買うことにしたのだが、その中の一つがこれだった。
伏見康治著作集3 数学と物理学(1986年12月)
出版年度と日時をみると、ちょうど私がアメリカのユタ大学に留学した年の年末だった。つまり、私が留学中に日本国内で出版された本だった。
だから、つい最近までこの伏見康治先生の著作集の記憶がなかった。
私は大半の本は買って持っていたから、その中にこれがなかったからどうしてかと思っていたら、留学中だったというわけだ。
音楽でもそうで、留学中に日本でデビューした歌手やタレントについてはまったく記憶がない。
そういえば、私がユタ大に留学してちょうどその頃エイズがいまの武漢肺炎のように全米で流行りはじめ、それが全世界へと広がった。
それで、その年だったか、あるいは1年後だったか、こんな噂が広がったのだ。
高倉健が死んだ。エイズで死んだらしい!
私はこれを当時ユタ大准教授だった甲元眞人先生から聞いたのだった。
信頼できる筋からの話なんだけどさ
との但し書きがついての情報伝達だったから、私も信じた。
ところが、しばらくして日本にもこの情報が伝わり始めた頃、高倉健さんが出てきて、
俺は死んでいません。変な噂を流すのやめてください
と姿を見せたのである。
有名人がちょっと姿を見せないといつの間にか死んだことにされる。
今も昔も変わらない。
とまあ、話が飛んだが、そんな時代のころ、伏見先生の著作集が出版されたというわけだった。俺は高倉健のAIDS死の噂は知ったが、伏見先生の本のことは聞かなかった。
というわけで、数日前にこの本を注文すると、すぐに届いた。
そして、中を見ると、やはり伏見康治先生は日本を代表した大先生だ。当時の生の歴史や裏話が載っていた。
この本の解説は、渡辺慧。伏見先生の盟友である。
高校大学と同級生だった関係のようだ。
京都大学が、盟友湯川秀樹と朝永振一郎とノーべル物理学賞コンビであれば、東京大学は、盟友渡辺慧と伏見康治のコンビだった。
前者が量子力学から量子電気力学・素粒子論だったとすれば、後者は量子力学から場の量子論・量子統計力学・物性論だった。面白いのは、この傾向は京大と東大に今も続いているということだ。
量子電気力学や素粒子論は、物理の成り立ちからしてメジャーな分野だったことから、当初から脚光を浴びて、ラッキーにもノーベル賞に輝いたが、量子統計力学や物性論はまだ発展途上だったことが災いし、いくら本質的で良い理論を作っても実験検証されるまでに時間がかかり、ついに存命中にノーベル賞に輝かなかった。
戦前、朝永振一郎はドイツのハイゼンベルクの許へ留学したが、一方の渡辺慧はフランスのルイ・ド・ブロイのところへ留学した。
渡辺慧先生がド・ブロイのところで博士論文を書いたことは知っていたが、それが日仏交流のための留学制度の第一号だったとは知らなかった。どうやら、渡辺慧先生は、うまくそれに乗れたようだ。
さて、この本の中の論説になんと杉田元宜先生のことが出ていたのである。
「私のエントロピーの考え方の発達」(「エントロピー読本II」1985年4月号)
の中の一節
「熱力学の中の相反定理」
である。
この記事の冒頭にこうあった。
「エントロピーに関して私の昔の記憶、つまり、半世紀前の記憶で、ぜひこの席で申し上げておきたいのは、杉田元宜先生のことです。私がまだ学生だったころだったと思いますが、杉田先生が物理学会の常会で、第二のエントロピーという話をされました。それは抽象的なゲダンケン・エクスペリメントの話ではなく、非常に具体的な物理現象の話なんです。」
1985年の50年以上前だから、1935年頃かそれより前のことである。
ノルウェーのラルス・オンサーガーは1932年頃にオンサーガー理論を出していたから、その直後か、その頃のことである。
そしてこの節の後半でこう述べた。
「そういう意味で、熱力学には相反定理というものが含まれている。そこで、ケルビンの熱電気に関する理論ができてくるわけですが、杉田先生は、この熱電気の現象はどうして非可逆現象でないのか、針金の中に電気を流すのは、果たして熱力学的なプロセスだろうかと疑いを持たれた。もしケルビンの熱力学の理論が正しいとすれば、実際それは実験的事実で裏書きされているわけですが、それは何か別の根拠によるのではないか。つまり元来、熱力学を適用してはいけない非可逆的、非平衡的な問題に対して、熱力学を無理に適用した結果なのではないか。そういう非可逆現象に対しても成り立つような別の論法が必要なのではないかという、第二のエントロピー説を杉田先生からうかがったことが非常に印象に残っています。 この杉田先生の発想は、その後理論物理学の発展に一つの先端的な意味を持っていたと、私は今になって思います。その後、熱力学的でなく、もっと直接的なレシプロシティーの関係は、特にノルウェー出身のケミスト、オンサーガーが進めたわけです。」
というわけで、杉田元宜先生は、実際には、オンサーガーが有名な不可逆過程の熱力学を構築する大分前には、正しい考え方をしておられたというわけである。
伏見康治先生の証言によれば、杉田先生が不可逆過程の理論を構築し始めたのは、オンサーガーが同じ理論を構築するより先だったということになるのである。
たぶん、この論文の頃だろう。
Uber die Thermodynamik der nicht reversiblen Erscheignungen I und II*.Über die Thermodynamik der nicht reversiblen Erscheinungen, II ter Teil, Über die Thermoelektrizität
まあ、公表はほぼ同時だったということだろう。
方やオンサーガーは単独のでノーベル賞、杉田は無視された。というより、ほとんど日本以外では知られていなかった。
杉田元宜の不可逆過程の熱力学は、1942年に出た「熱力学新講」にも一章が設けられているから、戦前海軍機関学校時代に教えた熱力学の中で、すでにこういった問題意識が出ていたのだろう。ちなみに、杉田先生が海軍機関学校の講師になられたのは1929年頃である。
当時まだ一介の学生だった伏見康治先生には、その価値がその当時は測りかねた。
そんなわけで、統計物理学や熱力学では、杉田先生が唯一人孤高の立場で研究せざるを得なかったわけだ。
さて、もう一つは、伏見康治先生の同級生で盟友の渡辺慧先生の研究。特に学位論文。
最近東大で天才と目されている人に沙川貴大という若い理論物理学者がいるらしい。
量子力学から熱力学第二法則を導出に成功
ということらしい。
が、私が最近までずっと心配しているのがまさにこういうことだ。
つまり、自分たちの無知が原因で、とくに歴史に対する無知のせいで、昔すでにわかっていることをもう一度何十年も経ってから同じことをやってしまう。しかもそれが新しいことだと間違って理解していしまうということなのだ。
実は、渡辺慧先生が、ルイ・ド・ブロイのものと行った博士論文のテーマが、まさにそれだったのだ!
つまり、物理現象にはどうして時間の矢があるのか?この時間の矢は量子力学から生み出されるのか?あるいは熱力学から生み出されるのか?
この問題にまだ20代前半の学生の時代に見事な証明を与えて、ド・ブロイに衝撃を与えた天才がこの渡辺慧先生だった。
その世紀の大博士論文は第二次世界大戦勃発の混乱の中、出版されずにだいぶ後にフランスからちょっと出版されただけに終わった。だから、だれも知らずにいたものである。
Le Deuxieme Theoreme de la Thermodynamique et la Mecanique Ondulatoire 1935熱力学と波動力学の第二の定理
このフランス語の論文は日本人もほとんど誰も読んだことがない代物だ。ましてや英語圏の人間は知る由もない。
この論文の中に、極めてエレガントに「量子力学では物理現象を観測した瞬間にエントロピーが増大することになる」ということが証明されたのである。
むろん、フォン・ノイマンの理論とパウリのH定理を使ってである。
実はこの論文、日本の東京工業大学にあった。私はそこのコピーをいただいた。
そして、この論文のエッセンスが、「時」という本の中に再録されたエッセイにあるのである。
というようなわけで、研究というものは、研究を始める前に用意周到なリサーチを行ってから始めるべきなのだが、どうも我が国の研究者や最近の研究者はそういうところが曖昧になってきている。
これは、会社や工業特許などなら良くわかるはずである。
自分が発明したものが、新規性があるかどうかは、先行特許取得をデータベースから虱潰しに調べなければならない。似たような特許があれば自分の特許は意味がない。
これと全く同じで、自分たちの研究テーマが新規性があるかどうかをこれまでの世界中の文献を虱潰しに調べてから、論文を作らなければいけないわけだ。
ところが、学者の場合、あまりこういうことを行わない。まあ、研究の場合は企業活動の場合と違い、損害賠償とかそういうことが少ないからだろうと思われるが、他人がすでに行ったことに対する調べが甘いのである。
もう85年も前に渡辺慧先生がやったことが、今の流行の問題になる。
どんだけ〜!
どんだけ、理論物理学者はアホなんだ!
とまあ、そういうオチがついたところで、一応メモを終了しておこう。
いやはや、時間と労力と金と人材の無駄が多すぎる。
まあ、時空間の刹那において一世風靡すればいいという考え方もあるらしいから、それはそれで良いのかもしれないが。
きっと渡辺慧先生や伏見康治先生は、自分たちの遠い後輩たちがいかに無知で不勉強かを苦々しく思っているかもしれませんヨ。
なだたる東大の天才教授たちがこれでは?
いやはや、世も末ですナ。