ファインマン・ダイヤグラムの海

みなさん、こんにちは。
さて、このところ、私のYouTube番組
の録画をしてきたが、その際に同時に解説論文も作っていたのである。
である。
量子力学は、ハイゼンベルクによって発見されたのが1925年で、1926年〜1927年までにほぼその骨格が完成した。
そして1928年頃にボルンの確率解釈も完成し、1930年には、ハイゼンベルク、シュレーディンガー、ディラック、パウリらがそれぞれの独自の量子力学の教科書を書いた。
だから、今年が量子力学の誕生から90年目と言っても良いかもしれない。
1925年をその生誕年とすれば、2025年は量子力学生誕100周年と言えるのかもしれない。
ところで、最近知ったのだが、一橋大学の生誕150周年が2025年になるという。
だから、一橋大学誕生は量子力学誕生より半世紀先んじていたことになる。
一方、我が国の朝永振一郎博士といっしょにノーベル物理学賞を受賞された、アメリカ人のリチャード・ファインマン博士は、最近2018年が生誕100周年だったようだ。
私の知る限り、さすがに我が国ではそういうイベントは行われなかったようだ。私が知らなかっただけかもしれないが。
ご存知のように、我が国におけるファインマンの人気は非常に高い。
たまた偶然、昨日、このファインマンの生誕100周年記念講演会なるものをYouTubeで発見したのである。
今回は、一応これをメモしておこう。以下のものである。
この中には、リチャード・ファインマン博士の妹のジョアンさん、娘のミッシェルさんの講演もあった。
(1)ハイライトFeynman 100 Celebration Highlights - May 11, 2018
(2)カルテクの組織委員の講演
Feynman 100 Celebration Welcome - President Rosenbaum - 5/11/2018
(3)妹ジョアンさんの講演
Being Feynman's Curious Sister - Joan Feynman - 5/11/2018
(4)ダイソン博士の講演
The Shuttle Accident & Other Man-made Disasters - Freeman Dyson - 5/11/2018
この2年後にダイソン博士はご逝去された。
(5)サスキント博士の講演
Dick’s Tricks - Leonard Susskind - 5/11/2018
(6)ビル・ゲイツ氏のインタビュー
Bill Gates Remembers Richard Feynman - Bill Gates - 5/11/2018
ここにもビル・ゲイツ登場!
(8)プレスキルとソーンのインタビュー
Feynman at Caltech - John Preskill and Kip Thorne - 5/11/2018
この対談の最後の方に、ファインマンの研究室の黒板にこんな文字が書かれていたという。
左上:What I cannot create 右上:Why const ✕ sort
I do not understand なぜ 定数 ✕ 種類
僕が創造できないものは、
まだ僕は理解していないのだ。
左下:Know how to solve every 右下:to learn:
problem that has been solved Bethe Ansatz method ベーテ仮説の方法
解決済のどんな問題でもその解き方を知れ。 Kondo 近藤効果
2-D Hall 2次元ホール効果
accel. Temp. 温度加速
Nonlinear classical Hydro 非線形古典流体
(A) f = u(r,a)
(あ)かつて、私はこの黒板の話をユタ大時代に恩師のサザーランド教授からこの写真がある本を見せてもらいながら聞いたことがある。
そのとき、ビル・サザーランド博士は、1次元量子可積分系の理論を作っており、この理論の肝がベーテ仮説の方法なのであった。
その頃、死の直前のファインマンからサザーランドに直接電話があり、「この方法を学びたいから話をしてほしい」と聞かれたというのである。
しかしファインマンがその後すぐご逝去となり、結局この話はそれっきりとなった。
これはその20年後にカロゲロ−サザーランド模型と呼ばれるようになった。
そして昨年ついにハイネマン賞を受賞した。
(い)Kondoとは近藤効果のことで、我が国の昔の電総研(電子技術総合研究所)の職員だった、近藤淳博士
が発見した物理現象のことである。
この効果の発見で近藤先生は毎年ノーベル物理学賞の呼び声高かったが、ご生存のうちにそれが来ることはついになかった。
(う)2Dホール効果は、整数量子ホール効果と分数量子ホール効果のことだろう。
前者の整数量子ホール効果は、我が国の学習院大学の川路先生が世界初で発見し、すぐに東大物性研の安藤恒也博士が理論化に成功した。
しかし、その後ドイツのIBMのフォン・クリッティングが実験的に厳密に証明したのだが、フォン・クリッティングだけがノーベル賞をもらった。
一方、分数量子ホール効果は、アメリカのR. B. ラフリン博士がノーベル賞をもらった。
1985年に京都で安藤先生が主催の2次元半導体の国際学会が開催され、フォン・クリッティングやラフリンやハルペリンや世界中の研究者が集まった。この頃は、もうすぐにも川路先生と安藤恒也先生がノーベル賞をもらうだろうと世界中で期待していたのだった。
この時、私は企業から参加させてもらったのだが、大半の有名博士のサインを日本酒の酒の枡の表面に書き込んでもらった。
フォン・クリッティングやラフリンやハルペリンなど、後にノーべル賞を受賞した人達の名前が刻まれた。
しかし、経年劣化し、いまや全く文字が見えない。
私の記憶では、確かその時、あるオランダの大企業フィリップスの研究者だったムーイ(Mooij)という若い博士と気があって、いっしょに酒を飲んで話していた。
すると、学会のサプライズとしてそこへ2人の若いきれいな、小粒な、着物姿の舞妓さんが現れた。
私とその彼も舞妓さんたちがお酌に回ってきた時に舞妓さんたちと話したのだった。
後にも先にも舞妓さんとお話できたのは人生これが最初で最後だった。
舞妓さんが他へ行った頃、私はそのオランダ人に「日本女性は好きですか?」と聞いたところ、彼は「すばらしい」と答えたのだった。
だから、妙にこのオランダ人のことは記憶に残っていたのである。
この出来事は、ずっと長らく忘れていたのだが、その後、だいぶ最近になって、確かつい2,3年前になって、このMooijなる博士はどうしたのかと調べたことがあった。
なんとその彼はその後日本へ留学に来て、そのまま日本にいついてしまったのだった。日本人女性と結婚していた。東北大の教授になった。
俺が余計なひとこと言わなければ、そんなことにはならなかったのかなと、いまでは後悔しきりである。
(え)温度の加速とは何のことかわからないが、おそらく、当時始まっていた極超低温の原子トラップとか、そういう実験の理論のことではなかろうか?これについてはわからない。
(お)非線形古典流体は、これはナビエ・ストークス方程式の理論のことで、乱流理論を意味すると思う。
この問題はいまだ難問であって、数学のポアンカレ予想やリーマン予想とか、こういった問題と同じ懸賞金のついた問題である。
ファインマンはこういった理論も独自に学びたかったようだ。
(8)ジークグラーフの講演
The Art of Physics - Robbert Dijkgraaf - 5/11/2018
私が式と見ると、色がついて見えた。なぜかはわからない。話しているように、ジャンケとエンデの本から、べッセル関数の漠然とした形が、明るいだいだい色のJたち、すこし紫かかったnたちと濃い茶色のxたちが飛び回っているように見えるのだ。私は学生たちにはいったいどんな地獄に見えるのだろう。
ファインマンが共感覚を持っていたというのは実に興味深い。
(9)レビンの講演
Black Hole Blues - Janna Levin - 5/11/2018

ディジタルアトラスがあるとは、知らなかった。
(10)ミッシェルさんの講演
Growing Up Feynman - Michelle Feynman - 5/11/2018
娘さんは、リチャード・ファインマンそっくりで驚くばかりだ。
この人は、
の著者だった。
(11)ファインマンの幻影、スーパープロジェクション
Feynman Super-Projection - 5/11/2018
我が国の美空ひばりの幻影の方がはるかに似ている感じがするな。
それにしても、ほとんどがユダヤ人学者のようである。フリーマン・ダイソン博士はイギリス人である。
量子力学の歴史を眺めると、ファインマン・ダイヤグラムが誕生するまでに様々な人達の研究があったことがわかる。
やはり、1930年までのウィーナーとハイゼンベルクとシュレーディンガーとディラックの貢献の上にファインマンの貢献があったことは明白である。
結局、ハイゼンベルクが発見した行列力学の離散的な変換規則をディラックが連続的な変換規則へ拡張して、シュレーディンガーの波動力学と等価であることを発見し、この観点で変換規則を見直した結果、これに【ヒント】を得て、ファインマンの経路積分が誕生したわけである。
そして、その時、ハイゼンベルクやディラックへ最大の数学の貢献を行った、「影の人物、メンター」こそ、ノーバート・ウィーナーだった。
ノーバート・ウィーナーの発明である、
概周期理論、確率過程論、ウィーナー積分、連続スペクトルへ拡張した一般フーリエ解析論、確率推定論
などなどがあって始めて、ハイゼンベルクの行列や不確定性関係、ディラックのデルタ関数や変換理論、コペンハーゲン精神である、ボルンの統計解釈などが生まれたのである。
一方、ウィーナー自身は、コペンハーゲン精神の量子力学がとはかなり一線を画した独自の量子力学をイメージしていた。
それは、量子とは、古典粒子が確率過程した結果現れる幻想である、というような見方である。
ウィーナーの生涯を貫いた思想は、
万物は不確かだ!
というものであった。幼少期からの哲学であった。
だから、素粒子といえどもその例外ではない。
素粒子も不確かな存在に過ぎない。この世に確かなものは何一つとして存在しない。
そこで、確率論的な扱い方を研究したのである。
1925年の初頭、ウィーナーはゲッチンゲン大のデビッド・ヒルベルトとマックス・ボルンに招かれた。
そこで、1つの数学の講演を行った。一般フーリエ解析と連続スペクトルをもつ粒子運動についてである。ウィーナーはこの講演で、周波数と時間には双対的な関係があるということを証明してみせたという。つまり、δω・δt>一定。
若い2人の天才ハイゼンベルクもパウリもこれを聞いていたはずである。つまり、ハイゼンベルクはウィーナーのこの思想に非常に影響を受けたのである。
翌年1926年にすぐにボルンはアメリカへ渡り、ウィーナーと論文を書いた。量子力学のはミルトニアインや物理量は作用素として理解できるという論文である。しかしながら、彼らドイツ人や欧州の学派の量子論の論文に米人ウィーナーの名前が出ることはついになかった。
連続スペクトラムをもつ粒子運動とはなにか?
こういうものを明確に数学的に記述する目的で、ウィーナーのブラウン運動論が誕生したのである。これがウィーナー過程であった。
不連続な、離散的スペクトルを持つ粒子運動はなにか?
というと、これは束縛状態のスペクトルである。代表例が、水素原子の離散スペクトルである。
フーリエ解析は、両端のある有限系を基にして作られた理論だった。だから離散的なものにしか使えなかった。
そこで、これを連続スペクトルを持ち得るように、無限系のフーリエ理論の拡張版を作った。これがペイリー−ウィーナーの理論である。
ところで、このペイリーは20代後半でアメリカで開催された国際学会の際に、遠足で山岳スキーに出かけ、スキーの大事故で早世した。
それで、このペイリーがいなくなった結果、この理論の後継者がいなくなったのである。その理論のクレジットを主張する人間もいなくなった。
実はこの数学の本の中に、ディラックのデルタ関数の概念がそこら中で使われていたというわけだ。ディラックがこれについてやったことは、ペイリーとウィーナーが定義した関数に「デルタ(δ)関数」と名前をつけたことだった。
だから、ディラックのどの論文にも、教科書にも、その関数がどのような起源をもつのかについての記録も記載もないというわけだった。彼にとってイギリス人の数学界では既知の概念だったからである。
クロネッカーのデルタ(δ)を連続版に拡張したものだったからである。
むろん、こういった事情は物理学者の書いた量子力学の教科書には存在しない。
ウィーナーは、
束縛状態ではない運動で連続スペクトルになる運動とはどういうものか?
という問題を理解したかったのである。
常識的には、離散スペクトルは周期運動になる。だから、逆に、連続スペクトルとは非周期運動であるはずである。
自由粒子の運動が連続スペクトルになる。連続スペクトルとは非周期運動である。
1個の電子が自由に運動すれば、普通は古典力学では直線運動であるはずだ。
自由に運動するのに連続スペクトルとは、概念上自己矛盾しているのである。
この場合には、離散スペクトルだろうか、連続スペクトルだろうか?
そんなわけで、連続スペクトルをもつ量子運動とは、ランダムな自由運動に違いない。
ウィーナーは、ブラウン運動と量子力学を結びつけたかったのである。
不幸なことに、ウィーナーは全盛期の60代でストックホルムで心臓発作で突然死した。
そのころ、女性数学者のジーゲルとこの問題の論文を2,3公表したが、結局そのままとなった。
ちょうどその頃、それを真面目に考える数学者が現れた。それがエドワード・ネルソン博士だった。
ウィーナーは実現したかったブラウン運動的な量子力学をネルソンは、未来へ進む時間へのブラウン運動と過去へ進むブラウン運動を用いることで、見事にブラウン運動の観点から量子力学を、再構築することに成功したわけだ。
そして、我が国の保江邦夫や長澤がそれに続いた。これが確率量子化の方法である。第4の量子力学である。
ファインマン積分は、ある意味で、この積分版といえる。
流体力学的に見れば、粒子の運動を外から眺めるのがオイラーの観点だが、粒子の運動を粒子の上で眺めるのがラグランジュの観点である。
オイラーの観点がこれがファインマン積分の観点であり、ラグランジュの観点がネルソンの確率微分方程式の観点と言えるだろうか?
ともに同じ結果を与えるのである。
実に不思議である。
一般に積分は外からグローバルに領域全体を眺めるものであり、微分はその上からローカルに微視的に眺めるものである。
とまあ、後半はファインマン生誕100年(今年は102年目)を祝して、私自身の量子力学妄想をメモすることにした。