人気ブログランキング | 話題のタグを見る

【ジャパニーズ・ハート】盲目の天才ピアニストから奇跡のピアニストへ。日本の盲目の天才ピアニスト辻井伸行さんの偉業!

【ジャパニーズ・ハート】盲目の天才ピアニストから奇跡のピアニストへ。日本の盲目の天才ピアニスト辻井伸行さんの偉業!_a0386130_11344234.jpeg






みなさん、こんにちは。

あまり家から出られないときは、YouTubeが一番良いツールになる。そこで、私もこのところ、特に昨日は我が国が生んだ正真正銘の天才ピアニスト辻井伸行さん、通称ノブ君のYouTubeを見ていた。

私の記憶では、ずっと昔まだ幼少の頃のノブ君をテレビの番組で見たことがあった。

生まれつき目が見えないハンデ。これを愛情豊かなお母さんがつきっきりで面倒を見て、ピアニストになる夢を持っている。確かそんな内容だった。

あれから、20数年。

クライバーンコンクールで日本人初優勝、そして、世界ツアー。世界中で引っ張りだこの有名ピアニストになった。

いまやユネスコでも演奏。


ロシアのアシュケナージ・ユダヤ人の天才ピアニスト、アイスランド在住のアシュケナージ氏と何度も共演。

20世紀を代表するピアニストたちから絶賛され、嘱望されているのである。

今回のこのノブ君のYouTubeをいくつかメモしておこう。



ところで、確か私が学生の頃、つまり昭和の時代に我が国で活躍した女性ピアニストがいた。中村紘子さんである。

【ジャパニーズ・ハート】盲目の天才ピアニストから奇跡のピアニストへ。日本の盲目の天才ピアニスト辻井伸行さんの偉業!_a0386130_09514955.jpeg

彼女の哲子のお部屋だったか、本だったか忘れたが、世界一流のピアニストになるにはいくつか条件があるというような話があった。いちばん大事なのは、「ユダヤ人であること」だというものがあったと思う。

要するに、世界最高のピアニストになるためには、最低条件として、ユダヤ人でないと無理だ。ユダヤ人に生まれ落ちないと不可能だ。いくら日本人が頑張ったところでユダヤ人にはかなわない、という話だったと思う。

確かに、ほとんどのピアニストはユダヤ人である。アシュケナージもそうだ。だから、一理ある。


それから、何十年か経ち、辻井伸行さんがそれは間違いだったことを証明したのである。

平成、令和になり、我が国の辻井さんがそういう迷信を打ち砕いた。

ピアニストや芸術は、そういうものを超えたところにあるものだということを証明してくれているのである。



(あ)まず子供の頃の話






(い)2011年 トルコ



(う)2013年 イングランド BBC




(え)2013年 ベトナム




(お)2014年 リバプール



(か)2015年 ボストン




(き)2015年



(く)2016年




(け)2016年 ニューヨーク




(こ)2018年 ウィーン



(さ)2018年 ボストン



(し)2019年 アイスランド






(す)2019年




(せ)2019年 ユネスコ




(そ)2020年 



(た)




他多数。



私がこの辻井さんを見ていて、いつも思うのは、教育法や育児法のことである。


(ア)まず、3歳児未満の早期教育の可能性。

やはり、まだ生まれて間もない頃にピアノを与えたこと。これが功を奏した。

たぶん、生まれつきの盲目児を生んだご両親はかなりのショックを受けたに違いないが、そこでくじけず前向きにこの将来のためになにかをしなければというときに、ピアノを与えたのである。

音楽に興味を惹かせるために、母親がいつも楽しく歌を歌たっていた。

そして、ノブ君がピアノを引くようになると、その一点突破でピアノの正式な教育を与えた。


上にメモしたように、むかし、なぜ世界最高のピアニストになるためにはユダヤ人でなければだめだと言われたか?

というと、いわゆる「ジューウィッシュ・マザー」(文字通りには、ユダヤ人母という意味だが、英語で教育ママを意味する)という言葉があるように、一流のピアニストになるには、ジューウィッシュ・マザーのような教育ママが必要だからである。

また、そのためにはお金がかかるから、父親もかなり裕福でなければならない。

父親が裕福な家庭を営み、母親が子の教育だけにすべてを犠牲にできる家庭。

これが、ジューウィッシュ・マザーの本来の意味である。


昨今の日本の母のように、母親がいつまでも自分のことだけ、自分のやりたいことや自分の恋愛などを考えているような母がいる家庭では、ノブ君のような子供は成長しない。

子供のためにすべてを犠牲にする。

こういう母親が絶対必用なのだ。

バイオリニストの五嶋みどりさんの母もそうだったし、スペインへ行ったサッカーの久保建英選手の母もそうだ。科学者のノーバート・ウィーナー博士もそうだった。

早熟の天才には、3歳以前からずっとそばで付き添って教育してくれる母と父が必要である。

天才児には、全部を犠牲にしてくれる母親とその揺るぎない愛が必要なのである。


(イ)褒める教育vs叱る教育

私は今で言えば「叱る教育」や「怒る教育」を受けて育った世代である。

どんな教育であれば、物心付く前に授かった教育は、自分が物心つくと自然と今度は自分がそういう教育を他人や子供に行うようになる。

教える方は、叱る=教育、怒る=教育と考えるわけだが、教えられる方は、叱られる=教育、怒られる=教育と教え込まれるわけだ。

だから、教える方のその叱るや怒るが厳しければ厳しいほど、教えられる方は嫌になる。やる気が失せる。自分に勝ち目がないとなれば、最後には逃走する。


それに対して、絶対に叱らない、絶対に怒らないという方法で褒めて褒めて育てられた人は、全幅の信頼を受けて育つから、のびのびと育つ。

そして、興味深いのは、こうして育った人は他人をも叱らない、怒らないのである。


同じピアニストの高嶋ちさ子さんが子供を叱る方法で育てているから、この辻井君の場合と比較すれば面白いだろう。

やはり、天才児を育てるには褒める教育法の方が分がありそうだ。


しかしながら、戦争とか、本当に厳しい世界という現実もあり、そういう世界で命を失うのも怖くないというようなタイプの人間がこの地球上ではまだ必要な場面もある。こういう世界では、叱る、怒るという教育で育ったものしか通用しないという面もある。

褒める教育を受けたものが、軍隊に入るか?通用するか? 叱る教育を受けたものが、軍隊に入るか?通用するか?

この辺は本当に研究が必要な面白いところだろうと思う。


しかしながら、芸術や科学などでは、褒める教育の方が分がありそうだ。



さて、それにしても、この辻井伸行さんの指の動きは非常に興味深い。映像では早すぎて見えないほどあれだけ早く動いていても、その動きの中で、先に指が動いて待っていて鍵盤を叩く前に場所を確認している余裕があるのである。こういう叩き方はたぶん盲目の人特有なのだろうと思うが、見たところを打つのではなく、指先で場所を確認しながら打つというそういう驚きの余裕が見て取れる。


多くの偉大なピアニストや指揮者が、辻井伸行さんの純粋さ、音の綺麗さ、透明感、ストレートさを褒める。偉大な作曲家が演奏したかったはずのその演奏を再現するかのような無欲の素朴で素直な演奏。そういう言い方をするようだ。

私には音楽のことはわからないが、聞いているとその音色の美しさで涙が流れる。

それは、西洋人にも、日本人にも万国共通である。


演奏前は、外人観客は、辻井伸行さんの西洋人から見ればかなり滑稽に見えるかもしれない、ユーモラスな動きで、本当にこいつが演奏するのか?というような顔をしているのだが、演奏が始まった瞬間に凍りつき、そして徐々に涙を流しはじめ、最後には絶賛の拍手の嵐になる。

面白いのは、西洋人は辻井伸行さんの演奏に「神の存在」を感じるのである。

彼ら、基本的にキリスト教ベースの文化伝統で育った人たちには、「神様が乗り移った」とか、「神の御加護」とか、そういう言い回しになってしまう。ユダヤ・キリスト教には、輪廻転生の概念はない。


しかしながら、我々日本には、もうちょっと違った見方がある。

それは、日本の仏教の伝統や、日本の神道の伝統的な考え方だが、

「人は数回生まれ代わり、最後に試練の試験を受け、それに合格すると、もっと高次元の世界へ転生していく」

という考え方がある。

数学者の岡潔もそういっていた。

そして、この最後の試験というのは、「障害者に生まれ落ちる」というものである。

だから、これを信じて信仰にしてきた日本の仏教徒は、身体障害者や精神障害者、すなわち、ディスエイブルのハンディキャップの人たちに対しても、神様のように拝むのである。

ひょっとしたら、目の前のその障害者こそ、自分よりもっと次元の高い御霊の人であり、そういう人が最後の試練としていま現世を不自由な姿に有らせられるのかもしれないからである。

これは、最近西洋人の一部が悟りつつある「一なるものの法則」と等価である。


そういう目で見ると、我が国には昔から、琵琶法師とか、津軽三味線の達人とか、盲目なのに一芸に秀でた人が生まれてくるのである。

そういう人は総じて純粋である。極めて清らかな精神を持って生まれてくる。まさに「清心」である。

だから、清心女子大なのに清心でない女子大生とかありえない。そういう女子大は、名前を邪心女子大に変えたほうが良い。


さて、上の演奏の中に、いくつか共通する現象に、それほどレベルの高くないアマチュア的な若いオーケストラがある。ボストンの大学生のオーケストラとかベトナムの市民のオーケストラとかである。

そことリハーサルする時、辻井さんの演奏を知らないうちは、どうみてもチンタラしてまさにアマチュア演奏しているのだが、それが徐々に無心になり熱が入って、最後には魂が入り、そのうち自分たちにも神が降りてきたような状態になって、最初と最後ではまったく別のオーケストラが演奏しているかのように成長していくのである。

これはまさに奇跡のようなもので、実に興味深い。本当にみるみる内にうまくなるのである。

ベトナムのオーケストラの若者たちは、最後には感動して泣きながら演奏していた。


我が日本人だけ、人は神の一部だという思想を持っている。神様が人を支配するのではない。

神と人が別物だという西洋キリスト教の考え方に対して、日本人は神と人は合一できる存在なのだと考えてきた。


おそらく、そういう日本人の考え方を知らない西洋人や外国人にも、辻井伸行さんの演奏から、人は神になれる。人も神様の一部だという感覚を見出しているのかもしれない。

いずれにせよ、欧州のクラッシックファンが一様に涙しながら聞くというのは、並大抵のことではない。


まさに、救世主。


我が国のホープから、いまや世界のホープ、世界の宝になった感がある。

奇跡のピアニスト辻井伸行さんの今後を心から期待したい。





弥栄!


おまけ:
この辻井さんの受けた才能教育。これは本来なら世界のどこに生まれ落ちた子供にも行われるべきものである。日本でもそうで、才能はどの家庭に生まれ落ちるかわからない。幸い辻井さんは素晴らしいご両親のところへ生まれ落ちた。しかしながら、本来なら、そういうふうにうまく生まれ落ちるということはない。

だから、無理解の親のもとに生まれた賢い子供や才能ある子供は時として悲劇の匕ーローやヒロインになる。親からのドメスティックバイオレンスで亡くなった女の子に非常にしっかりした子や美しい子がいたり、残念なケースも多い。

したがって、本来は、そういう才能を国家で面倒見るやり方が望ましい。お金持ちに生まれなければ、自分の才能を開花できないのは寂しい。しかし現実はそうである。

おそらく、私の知る限り、国家が才能を面倒みる方式は、旧共産国の方が早かったと思う。昔のドイツ帝国、戦前の日本もそういうやり方を行った。本物の才能を東大で教育したので、いまのような受験エリートの東大ではなかった。

戦後は、おそらく、旧ソ連や北朝鮮はそういう才能教育を行っている。北朝鮮はいまもそれを続けているようだ。何がしかの天才児は幼稚園に入る前から国が国立の教育機関で面倒見るやり方である。

こういうやり方があると、多少は才能の消耗や未発見を救うことができるかもしれない。

才能を育てるには現実問題としてものすごい時間とお金がかかる。だから、才能が高くなればなるほどそれ相応にお金がかかるようになる。スポーツでも音楽でも芸術でも科学でもなんでもそうである。

この辺をお金の面で心配しなくて良いやり方を発見し、それを構築しなければ、世の中の埋もれた才能を発掘できずに終わってしまうのである。まあ、いまの我が国ではまずまちがいなくそういうことはできるようになることはないが、いつかはそういう国、そういう世界になるべきだろうと思う。

大本教の藤原さんの言い方を使えば、天津罪、国津罪のない国家である。天国とはどうやらそういう意味らしい。



【ジャパニーズ・ハート】盲目の天才ピアニストから奇跡のピアニストへ。日本の盲目の天才ピアニスト辻井伸行さんの偉業!_e0171614_11282166.gif


by kikidoblog3 | 2020-05-07 11:35 | アイラブとてつもない日本

井口和基の公式ブログ 3


by kikidoblog3
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28