2~5/13で出てきた「最小作用の原理」を量子力学に拡張できたという話が、「保江方程式」
の研究の話である。オリジナル論文がこれ。
さて、この3/13で出てきた、保江先生が、量子力学の確率量子化の方法(=ネルソンー保江の方法)を用いることで、
量子力学に残された「最終問題=観測の問題」
を解決したじゃん、という1990年の論文の話が出てくる。それがこれ。
この中の共著者の、保江先生の日本人の最初で最後の物理学のお弟子、治部真理さん
は、いまは文科省のお役人になっている。最近私が一番会って話をしてみたいと思っている人である。
ぜひ、どのようにして英文学の文系から理論物理のそれも最難関の確率論や場の量子論の世界に入っていけたのか?
これをお尋ねしたいのである。なかなか現実問題として、こういうことを行った人はいないからだ。
英文学専攻のお姉さんが、わずか5年で世界最先端の理論物理学者におなりになったのだ!
そして、上の3/13では、保江先生は自分が書いた最後の論文がその1990年の論文だったとおっしゃるが、実際には、2004年ほどまで、量子脳理論の論文や本をお書きである。だから、実際にはその辺がどうなのか?これも聞いてみたい。
実は、その量子脳理論、この治部先生と保江先生の理論は、知る人ぞ知る、有名な理論なのである。本で引用数1000を超えるというのはノーベル賞クラスである。
それが、量子脳理論の金字塔となっているこの本だ。
この本の編者は3人、カール・プリブラム博士、治部真理博士、保江邦夫博士である。もしこれでノーベル賞を貰えるとすれば、この三人ということになるが、プリブラム博士はご逝去。治部真理先生と保江邦夫先生のみご健在。
さらに、こっちの本も非常に価値が高い。
この編者は保江邦夫先生と治部真理先生の2人のみ。
実は、保江ー治部の量子脳理論の先駆者には、カナダのアルバータ大の正教授だった梅沢博臣博士と、後に治部真理さんの場の量子論の手ほどきを行った高橋康博士がいた。
さらにそのお弟子スチュアート博士がいる。カナダの他にもイタリアにもリカルディ博士がいる。
だから、理論の初期には、プリブラム、梅沢、高橋、保江、治部の5人の理論という感じだったが、彼らが存命なら保江治部は4人目以降になってノーベル賞選考レースから外れるが、最初の3人がみなご逝去されてしまった。
したがって、他には2人しかいないから、保江治部には非常に大きなチャンスがあるといえる。この意味でも、保江先生は運が良い。
私も最近はこの量子脳理論の考え方や理論の枠組みをそもそも「水の状態」を表すのに利用できないかと真面目に考えているのである。
ちなみに、
「水がどうして0℃から100℃まで液体の水なのか?」
この問題は物性理論における最後の難問題なのである。
物性理論の最終予想、数学におけるフェルマーの定理やリーマン予想に匹敵するのである。いまだ誰も解いたものがいないのだ。
水が生命の決めてであることは誰もが知ることだが、その水がよくわからない。ゆえに生命もよくわからないのだ。
宇宙で言えば、この「水」に対応するものが「エーテル」(=「真空」)である。
水もエーテルも非常に観測しにくい。見えにくい。そのため、我々人類の物理理論が時々大きな誤りを犯すのである。
水は電子レンジでチンして「温める」ことができるように、そこに確かに存在し、マイクロ波を吸収する。
同様に、エーテルは超高周波超高電圧に反応するのだが、この装置はニコラ・テスラ以来だれも作れない。
たいていが装置が爆発炎上か、実験者が感電死で終わってきた。
ゆえに、いまだにアインシュタインの「静的真空理論」で終わっている。テスラの「動的真空理論」にまで至っていないのである。アインシュタインの一般相対性理論はかなり準静的な理論である。せいぜいさざ波が立つだけ。
重力制御、フリーネルギー開放は、真空をダイナミックに操作しないと始まらないのだ。
ところで、この量子脳理論の日本語版も出ている。それが以下の2冊。
ついでにメモすると、もう一つある。専門家向けのこれ。
みな、文章が読みやすい。さすがに陰陽師の子孫の保江邦夫博士。文才が違う。これも持って生まれた才能だろう。陰陽師恐るべし。
まあ、家でうんざりしている人は、こういうものを眺めてみてみるのも一興だろう。
天変地異や疫病でいつ死ぬかわからんわけだ。
最後に、もう一つおまけをメモしておこうか。
では、そこまで頑張った治部真理先生がなぜ今文科省のお役人になられたのか?
彼女は博士号取得後(たぶん、ノートルダム清心女子大ではなく、岡山大学医学部)、筑波大の職を得たという。そして、場の量子論の大家、高橋康博士と共著の本を出した。実はこの高橋博士、「ワード高橋恒等式」という場の量子論では有名な理論を残している。世界の高橋先生だ。
女子大出て岡山で博士になった治部真理先生。
東大を出たが東大に戻りたいが永久に東大に戻ることができずに筑波大で腐っている東大出が連なる筑波大学物理だ。
この連中からすれば、治部先生は、東大出でもないし、ノートルダム女子大出身、それも論文博士、「この女だれだ?」ということになる。
しかも、東大の連中が一緒に共著の論文に名前をつけたくても永久にできそうにない、世界最高の脳学者のカールプリブラム博士。
東大出の脳科学者の茂木健一郎など末席にも座れない、そんな偉大なアメリカの脳科学者、レジェンド、プリブラム。
そんな偉大な人といくつも論文を出し、しかも世界最高の頭脳が集まる脳科学の国際学会を2つも3つも主催してしまった。
「なに〜〜、それ〜〜???きっとお色気作戦でも使ったのか?きっとそうに違いない」
「そうでもしなきゃ、矢継ぎ早にこんなにすごい研究をいくつも短い時間で出せるはずがない」
これは俺個人の想像だ。きっとこんな感じで扱われたはずである。
実はこの筑波大。私もちょっと縁があってよく知っている。
もともと湯川秀樹の次にノーベル物理学賞を受賞された朝永振一郎博士を記念して、東京教育大から格上げされる形で筑波大になった。
その時、新しく物理学科を作るに当たり、国際色を出そうとして当時欧米で活躍している学者を集めたという。
ところが、実際に集まったのは、海外ではものにならずに意気消沈して日本へ帰りたくてしょうがない、あまり業績の芳しくなかった日本人の若手研究者ばかりが集まった。
業績の有る日本人は敢然とアメリカや欧州でちゃんと生き伸びていた。南部陽一郎先生や、梅沢先生や高橋先生がどういう例だ。
今流にいえば、海外での「負け組」が筑波大の草創期の教授職を占拠し組織してしまったのだ。この伝統は今に残るだろう。
あの学研ムーの編集長はこの筑波大の物理出身。あんな感じになってしまうのだ。
つまり、世界をある程度知っていてそこで落語者になったものほど逆に日本にいて世界に名のしれた人ほど癪に障る。
ゆえに、推して知るべし。
周りから、妬み嫉み、やっかみの嫌がらせのオンパレード。
実際、物理の学科は4つの壁面がある13階建てのビルだった。
その4つの各面から毎年飛び降り自殺者が出るといういわくつきのビルだった。
ある知人は、ある時夜中に窓の外を見ながら窓に向かった机で研究していると、外に誰かと一瞬目があったというのだ。
飛び降り自殺の学生と目があったのである。
そういうのが心底嫌になり、海外に悲痛の逃亡生活。確かフランスかスイスに留学したのでは?
そして帰国後、もう二度と大学の物理学科は嫌だということになり、持ち前の英語力を使って国家公務員におなりになられた。
ところで、これもあまり世間では知られていない。
が、こういう治部先生のような英文学出身の大卒や大学院の日本人女性や男性が、あの文科省の下村マフィアの「英語教師は外人じゃなきゃだめ」っていうやつのせいで、まったく学校への就職ができなくなってしまったのである。
昔は、小中高の英語教師に美人日本女性がいたんだが、いまは悪役顔の外人教師ばかりになった。それも高校でも小学校レベルの会話程度。
ちなみに、アメリカ人であろうが何人であろうが、英語は話せても英文法はろくに知っているやつはいないのである。
米人にTOEFLを解かせると国民の6〜7割が500点にも届かないのである。
だから、論文では、日本人が文法を教えてやるというようなこともしばしばなのである。
とまあ、こんな感じで、治部先生は自分の理系能力を物理学ではもう二度と発揮しなくなってしまったのである。
こうなるとノーベル賞の可能性は保江先生のみ。
まさに、文科省の教育プランがことごとく日本人を駄目にするものだったというわけだ。ゆとり世代もだめだったが、発音世代もだめなのである。
うまくなるのは、外人とセックスする時の「ベッド英語」「ナイト英語」だけっていうことになりかねない。もうなっているか。
「オー、イエー、オー、イエー、アイムカミング」とかさ。
では、ご幸運を祈る。