みなさん、こんにちは。
最近、昨今の武漢コロナニュースばかりで、多くの人は滅入っているだろうから、適当にお笑いのネタや気晴らしになるようにと、私の昔のこと、我が家のことなどをちょっとメモしているである。しかし後々また武漢コロナの話もメモするだろう。
今回は、個人的回想録のような個人メモだから、興味ないだろうからスルーでよろしく。
さて、昨日の【ジョーク一発】で私の昔のことをメモした。
上のものにもちょっとつけ加えたが、最後の部分で、ボクシングの世界チャンピオンになった村田諒太選手の顔にどこか馴染みを覚えたということをメモしていたが、我が家の昔のアルバムに幸いにも私が生まれて生後10ヶ月の頃の写真が残っていた。
母がなくなり、父も危なくなった頃に両親のアルバムから弟の了解を得て持ってきたものである。わずか4枚だけ残っていた。
たぶん生後すぐがこれ。
生後すぐ
たぶん、甲府市内の伊勢町のどこかの借家だったようだ。が、私には記憶がない。
生後10ヶ月の写真がこれ。
生後10ヶ月
近所のお兄さんに面倒を見てもらっていたらしい。
生後10ヶ月
この楕円形のちゃぶ台はどういうわけかよく覚えている。
というのは、たまたま私が眠りから覚めて起きてこのちゃぶ台につかまだり立ちしていたとき、ふと見ると、目の前にその上に灰皿に乗った、まだ煙の出ているタバコの吸いかけが1本残っていたのである。
赤ん坊は目に入ったものはすぐに口に入れるもの。
私は、父がいつも口に加えていたのを見ていたらしく、口に加えて思いっきり吸ってしまったのだ。
すると、私は死にそうなほど苦しく咳き込み、涙した。
まだ言葉がわからない、文字も漢字もこれがなにかも分からなかったのだが、
「なんだこれは〜〜???二度とこんなものを吸うか!!!」
と思ったのである。
以来、タバコに一度も興味を持ったことはない。
一度死にそうな恐怖を与えて防衛本能を刺激し防御する。つまり、悪の誘惑に対する免疫をつける。
これを私はここで学んだのだった。
だから、この時の死にそうな体験は三歳前の記憶だったが、明確に覚えているのである。
いずれまたメモするつもりではあるのだが、この「3歳前の教育」、これが天才教育の秘密なのである。
面白いことに、私は生後10ヶ月前のまだ立ちだす前から、近所のお兄さんたちからビニールのボールで遊ばれていたようだ。たぶん、からかわれていたのだろう。
当然、この時のことはまったく記憶にない。おぼろげに、近所のさまざまの年齢構成のたくさんの少年集団といっしょに遊んでいたというイメージだけが残っている。
だから、3歳位の頃に同じ3歳児で私が家来のようにしていっしょに遊んでいた子どもたちを連れて、一列の軍団を作り、徒歩で甲府の岡島まで探検に出たのだった。岡島は当時甲府最大のデパートだった。
我々は岡島のエレベーターを操り、上下動を繰り返して遊んでいた。
あえなく、我々近所の3歳児の探検隊は補導され、大人の保護下になり、我々はパトカーと思って大喜びしていたが、タクシーに乗せられて無事家に戻されたのだった。
男衆を引き連れてみんなで繰り出す。まさに球技、野球やサッカーである。
いまこうして思い出せば、私が個人競技より集団スポーツ、それも男どもを率いる野球やサッカーなどの球技で主将になって活躍する、というイメージは、この3歳前に植え付けられたのだと思う。
1975〜1976年、高校サッカーで名を馳せた頃

17歳
(あの3歳頃の顔とは似ても似つかないが、
第二次成長期に我が家の兄弟はみなぐっと自然に鼻が高くなり、
丸顔から面長になり、少年の顔、そして青年の顔へ
と成長したのである。)
先日の保江先生の話の最初に、彼が祖母に「陰陽師の教育」を植え付けられた話がある。
保江家には陰陽師の伝統の紙芝居(や巻物)があって、保江先生が3歳前に、毎日その祖母から紙芝居のようにして陰陽師の物語を見せられた。
これが、「3歳前の早期教育」なのである。
人の天才かどうかは、3歳前の記憶、3歳過ぎればいずれ意識下から消える記憶の時代のプログラムに決めてがあるのである。
保江先生は、自分で話したように、そのときにみた陰陽師のエグい映像を毎日毎日みたせいで、一生そういう映像を瞬時に思い出せるようになり、その後の「映像の瞬間記憶能力」が身についたと言っている。
これが、少年、青年になり、高校、大学、大学院へ進んだ時、先生や教授が黒板に書いた数式が瞬時に頭に映像として残るようになったというのである。
つまり、保江先生の天才性は3歳前の陰陽師教育によって作り出されたのだ!
そして、1979年頃、ついにその能力が最大の威力を発揮し、西ドイツのアウトバーンを200km/h以上で走っていた時に、突然脳裏にではなく、眉間の裏側にスクリーンがあるかのように、
1つの方程式が浮かび上がったのである。これが、後に保江方程式と名がつくことになる。
保江先生の本には、あるいは、HPのどこかに、ふさふさの天然パーマの保江先生の赤ちゃんの姿の写真がある。これである。
それと比べると、私の頭の毛は薄い。私は生まれつき、髪の毛が非常に細く、赤毛であった。その赤毛ぶりに親戚がみんな驚いたという。いまもかなり茶髪に近い。幸い私にはハゲ遺伝子はなかった。
だれもがこの時代の記憶は物心がつくと失われる。意識下から無意識下へ移動するのである。
そして、昨日メモしたように、
ボクシングの村田諒太選手
が出てきた時、どこかに見覚えのあるという印象があり、非常に好感をもったのである。懐かしい感じ。言葉では言い表せない感じというものだ。
むろん、私は村田選手の大ファンである。がんばれ、村田。
それで、一番古いアルバム写真を見直したら、やはりそうだった。
私が生後10ヶ月の頃の親父の顔に非常に似ていたのである。
鳥のインプリンティング=最初に見たものを親と思う
というようなもので、私はこういう顔に反応するのだろう。
私の脳細胞は、二枚目好男子の顔を見ると、父を感じるのである。

父33歳、俺3歳