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【父の葬儀】父に導かれた桜の道程だった。無事父の葬儀より戻る。

みなさん、こんにちは。

昨夕、私は山梨の石和から妻と一緒にここ徳島の阿南の家に無事帰宅した。

我が家はこの3日間実に大変慌ただしい状況、かつ最大のピンチにあった。

というのは、私の父実がついに92歳と9ヶ月で逝去し、急遽葬式と火葬を上げることになったからである。

幸い、1日の差ですべてうまく最後を見届け、お骨拾いもでき、最後のお別れをし、帰ってくることができた。

先日メモしたように、




2014年に亡くなった私の母と2020年4月5日に亡くなった私の父が入院した病院は同じ病院であった。

上のメモのときは、病院名は出さないでいたが、その後、4月6日以降患者にも感染者が出たために新聞テレビでその病院名が公開されてしまった。

恵信甲府病院というが、最初は難病になった私の弟が入院していた。それを父母がいつも見舞いに行く形だった。

しかし寝る年波には勝てず、母が足腰が弱くなり、横になる時間が長い生活になると、最終的には認知症になり、その病院のお世話になる。

父が一人で自宅で過ごしていた。その頃は自分でバイクで毎朝新聞をコンビニに買いに行くほど元気だったが、2014年12月20日の母の死去の知らせを受けたときに同時に体調を崩して危篤になった。今度はその父も同じ病院に入院。無事命をとりとめたが、そこからずっと車椅子の生活になった。



それ以来、この2020年4月5日までずっと父と弟がその病院でお世話になってきたのである。そして、ついにその日の午前中に息を引き取った。その間ずっと入院中の弟が見守った。

というのも、その時すでに武漢コロナの感染者が4階担当のスタッフから出てしまったからだ。

実は、この恵信甲府病院の院長先生には母と父と弟の3人が長くお世話になってきたから、非常に感謝しているのである。比較的若手の実に良い医師で、今回の武漢コロナ騒動でこの病院はほとんどが末期の老人患者を扱うために、感染者が出ないように十二分の配慮を施してきたのである。

というのも、その病院と実家の近くに家を建てて住む私のもうひとりの三男の弟が、毎日定期的に病院を見舞いに行って、母や父の体を擦ったり、次男の買い物の代理したりして世話してきたのだが、その三男もこの3月3日以降病院内には面会謝絶措置のために入れない状態だったからである。

ところが、患者の親族が面会時にウィルスを持ち込まないように十分な配慮をしていたわけだが、まさかの医療スタッフのたった1人にそういう配慮がなかったばかりに、他のスタッフへ感染させたのである。そして、私と妻とが今回葬式のために帰っている間に1人2人と老人の患者に感染者が出たのである。

これにはその病院の院長さんは非常に落ち込んでしまったらしい。一人でも感染者が出たらこの病院は終わりだと思ってやってきたわけだから、そこから何人も感染者が出てきてしまったわけだ。その心情は計り知れないものだろう。



幸い、その夜アルバイトで感染したスタッフの担当は4階で、最初は我が家の弟と父が4階にいると思っていたが、父と弟は2階にいて、だれも感染はなく、4階を封鎖し、3階以下は別系統のスタッフが担当していたせいで、危うく武漢コロナ感染の難を逃れていた。


そんな時、父は臨終の際最後の力で撮影する次男に向かって「もういい」とシグナルを送り、徐々に呼吸が遅くなり、体温も低下し、ご臨終となった。静かな安らかな死であった。そして、老衰のため92歳と9ヶ月で逝去したのである。

我々がその父の死を知らされて、我々は電車も飛行機も使えないので、今回は急遽我が家の自動車で、ナビを頼りに石和の弟の家へ行くことにしたのである。だから、途中下車は休憩やトイレや外の売店で簡単なものを買うだけで、数回の途中下車で済み、無事弟の家まで直行できた。

その間に父の遺体は病院から運ばれ、葬儀屋により遺体を洗浄し、お通夜用の遺体安置の状態になっていた。遺体には触ったり接しなかったが、また臨終の状態を見てもまったく武漢コロナの感染はなかった。実に静かな安らかな死顔であった。


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父33歳、和基3歳 1960年



生前若い頃から、三國連太郎
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とロバート・ミッチャム
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を足して2で割ったような顔、つまり、俳優のような顔だと母が自慢していた超ハンサムの父だったので、その面影が死に顔にも残っていた。実に美しい死に顔だった。残念ながら、我々息子たちにはその顔は残っていない。というのも、母の顔が女優の市川悦子そっくりだっただからである。


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日曜日は仏滅で日が悪く葬儀はできないから、月曜を待って葬儀と火葬を密葬の形、家族葬で行った。


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もし1日父の臨終が遅かったら、父はたぶん武漢コロナ感染リスクの疑いで志村けんと同じように火葬まで直行し、骨壷の状態での受け渡しになっただろう。




今回の山梨への旅の道中、何がすごかったかというと、ちょうど桜前線を北上する形で車の道中ずっと四国の徳島から始まり、淡路島、本州の神戸、大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜、長野、山梨の桜を全部見ていけたことである。

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山梨に入るときの富士山も絶景だった。

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そして、帰りはこの正反対を再び桜を見ながら帰ることができた。これは父親の葬儀を祝福しているかのように見えた。

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葬儀に関わってくれた皆さんに心より感謝いたします。ありがとうございました。


というようなわけで、私と妻もいまは一応自宅で経過観察を行う最中にある。



おまけ:

私の父が山梨でどんなことを行ったかについてのメモがある。


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by kikidoblog3 | 2020-04-09 13:10 | ブログ主より

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