走馬灯
みなさん、こんにちは。
いまからちょうど30年ほど前、正確には32年前、私はいまの奥さんと出会った。
米ユタ州ソルトレークである。
私はユタ大の大学院生だった。
その頃、ソニーが世界を席巻しており、伝説のカセットテープ用のウォークマンを持ち歩いていた。
私が出会ったその女性は、すでに就職して社会人になっており、私よりリッチ、もうCDの時代に入っていた。
しかし、私と出会ってからの帰国後、そのCDからカセットテープに録音してたくさんの曲を送ってくれた。
それが当時我が国で一世風靡していた浜田省吾の曲の数々である。
私がえらく気にいった曲が以下の曲である。
どれも当時の俺の気持ちをいわば代弁しているような曲であったからだ。
丘の上の愛
もう一つの土曜日
愛という名のもとに
悲しみは雪のように
そして、30年前にハワイオアフで再会し、プロポーズ。そして、その後、またユタの最後のときを一緒に過ごした。
その頃はこんな気分だったな。
君に会うまでは
そうして、帰国後、結婚し、子供ができると、今度は子どもたちとハワイを旅した。
その時は、今度は滝沢栄一の曲に変わっていた。
恋するカレン
以来、何度か家族でハワイに行くたびに、これを聞きながらハワイのオアフ一周したものだ。
そのせいか、子どもたちは大滝詠一の曲を聞くとハワイを思い出すようだ。
今思えば、この戦後の日本で一番良い時代を過ごせたことに感謝する他ないのかもしれない。
ところで、こうした1980年代の昔の曲をYouTube聞くと、そのコメントの中に、身内がお亡くなりになったという人がかなりいることが解る。
昔の彼/彼女が好きな曲だった。亡き伴侶好きだった。
こんなコメントがしばしば見受けられるのだ。
いくら日本人が長寿になったとはいえ、それは統計上のトリックや明示大正生まれの歴史的マッチングの良さのようなもののせいで、実質的な寿命はやはり人生50年程度なのである。
そして、我が日本の春は、この曲とともに終焉していった。
駅
そして、戦後日本のバブルが崩壊し、在日政治家による日本政治乗っ取り、在日起業屋による日本企業の乗っ取りの「空白の平成時代」がやってくる。
そうなると、また桜の栄光復活を望む時代になった。
栄光の架け橋
しかしながら、人というのはやはり初心が一番大事だ。
初心に帰れ。初心忘るべからず。
初心あっての今がある。
初心のうた
そして人は最後には家路につく。
家路
浜田省吾さんに乾杯!
いい曲をありがとう!
アイラブジャパン。アイラブジャパニーズ。
日本人で良かった!白人に生まれなくてよかった。