日本の伝統捕鯨
みなさん、こんにちは。
さて、最近は私も6時間位熟睡できる週末は結構夢を見るようになったのだが、というより、見た夢を覚えているようになったというべきか、いろいろ夢を見ているようだ。
敏太郎さんのATLASラジオに出てきた夢占いの女性のような人は、毎日かなりの時間を熟睡しているに違いない。さもなくば、見た夢を覚えていられるとは到底思えない。
私のすぐ横で眠っている奥さんは、私以上に短い睡眠でも結構夢見るようだ。
いつもなら、私の夢をメモするのだが、最近は特にメモするほどの夢を見ていない。むしろ現実の延長のようなものが多い。
そんなわけで、今回は私の奥さんが見た、ちょっとなるほどそうかもなと思う、非常に象徴的な夢だったので、これをメモしておこう。
それはどうやらこんな夢だったという。クジラの夢である。
クジラの夢
クジラにはクジラの世界というものが存在する。
彼らにとり、海の上に住む人類は理解不能な謎の存在だった。
しかし彼らには海の上の何ものかは自分たちより力や知恵のある万能の存在に見えた。
自分たちクジラより自由にクジラの住めない場所に住む重要な存在だった。
クジラの外の世界の住人は、時としてクジラを研究として拉致してしまった。
クジラの世界では、それが何を意味しているのか全く分からない。
しかし時々仲間が謎の住人たちに持っていかれる。蒸発するのだ。
これはクジラの世界にとっても重大事件だ。
しかしどうすることもできない。
そこで、クジラの世界にもクジラのもつ宗教がある。
クジラにとり、海の上の世界の住人は彼らの神のような存在に見えた。
そこで、神の御姿が見えた時、クジラたちは、仲間の中から勇者を募り、神に挑戦した。
しかしいつも神の前でクジラの勇者は無力だった。
そこでいつしか、神がやってくる時、クジラの世界で皆を絶滅から守るために
勇敢なものに生贄になってもらおうということになった。
こうして、クジラは人がやってくると自らその周辺を泳ぎ、一頭が人間の漁師の手に落ちる。
つまり、クジラが人間に捕鯨される時、クジラは自らが生贄として皆を守っているのだ。
とまあ、ちょっと私が脚色したが、こんな内容の夢を見たというのである。
しかしながら、これをかつてのインディアンをクジラ、白人が人間とすれば、そのまま我々の地上の世界の話になる。
もし人間をクジラとみて、宇宙人を人間に例えれば、まさに宇宙人によるアブダクションはこのクジラの話と同じになる。
あるいは、神と人間の関係もまさにこれと同じだろう。
昔の人類は神に人間の生贄を捧げた。
実に面白い夢だった。
はたしてクジラにも宗教はあるのか?
おそらく、何がしかの考えはあるに違いない。
では、牛にはそういう宗教はあるのか?豚はどうか?鶏はどうか?
おそらく、生きとし生けるものには、何らかの反応、集団反応という意味で、一種の宗教のような集合意識が存在するのではないだろうか?
しかし、上位に位置するものにはその下位に位置するものの心や宗教心は理解出来ない。おそらく理解したくない。
世界の上位に位置するロックフェラーやロスチャイルドの存在は、その下位にある我々の宗教には無頓着であるはずである。
逆に、世界エリートの上位に君臨する何者かはさらに彼らエリートの宗教には無頓着であるだろう。
ということは、この世界を作った全能の神様はさらに我々のことには無頓着な存在なのだろうか?
たぶんそうではないだろう。
この宇宙を創造した神がいたとすれば、その存在は自分自身も作ったわけだし、自分の一部を食うわけでもない。
食うやつは食われるやつの宗教には無関心でいいが、食うやつも食われるやつも全部作ったやつはすべてに関心があるだろう。
すべての生物は食わないと生きていけない。
自分が食われる立場に入った時、その世界の住人はどうやって絶滅を免れるのだろうか?
きっとその夢のクジラのような戦略をとるのではないか?
かつての神風特攻隊のように。
弥栄!
