みなさん、こんにちは。
さて、我が国の歌手で「本当にうまい歌手」というと、
昭和の歌手なら、女性なら美空ひばりさん
男性なら石原裕次郎さん
だっただろうか?
現存なら、はたしてだれだろうか?
演歌歌手なら、五木ひろしさん
そして、最近、そんなジャンルを超えて、歌手の中の歌手と歌手たちから称賛されているのが、
どうやら玉置浩二さんらしい。
若い独身の頃
結婚した頃
比較的最近、尾崎豊さんのI Love Youを歌う。
そして、女性歌手なら、薬師丸ひろ子さんだろうか。
天下の美声。天使の美声。
天下の歌い手さんと天使の美声さん、
この二人が結婚した。
もしも子供が生まれていたら?
どんだけ〜〜!
どれほどすごい歌手が生まれただろうか?
男児なら、玉置浩二さん似、女児なら、薬師丸ひろ子さん似
だったかもしれない。
しかし残念ながら、子供なしで離婚した。
世紀の一瞬だったのかもしれない。
世界の宝になったかもしれない。
とまあ、そんなふうに感じる今日このごろである。
私が1980年代後半にユタ大に留学した頃、物理学部の我々のオフィスのあるビルの最上階に学生実験準備室というのがあって、その中に大スピーカーのあるラジカセのコンポがあった。
それで、毎週末、我々日本人の留学生や交換留学生が集まって、そのコンポで、当時流行中の玉置浩二、薬師丸ひろ子、竹内まりや、。。。のカセットの曲を大音量で聞いたものだ。
カラオケバトルには、「うまい歌手」の卵がたくさん生まれているが、やはり偉大な歌手になるためには、「歌が正確」「歌がうまい」だけを超えた「個性」がないと難しいだろう。
自分だけの「強烈な個性」を持ち、なおかつ「うまい」。
私は尾崎豊の歌はあまり好きではなかったが、彼の歌は「非常にうまかった」と思う。
だから、もし彼が長生きしていたら、玉置浩二並みに成長したのかもしれない。
やはり、歌手は時代とともに生まれ落ちる
とういう感じのものだろうと思う。
作ろうとして作れるものではない。
おそらく、才能はそういうものだろう。
サッカーのメッシやクリスチャン・ロナウドを作ろうとして作れるものではない。
中田英寿を作ろうとして作ることは不可能だ。
中田が生まれたのは、Jリーグ構想が生まれた時代に重なる。そして、日本初のワールドカップ大会の大きなうねりと重なる。
そういう背景の流れがあってこそ、そこに生み落ちた中田世代が生まれたのだ。
歴史は「一過性」のもので、再現不可能である。
昨今は、下手に「パラレルワールド」だとか、「並行宇宙」だとか、欧米のお馬鹿さん(=偽ユダヤ人)物理学者の言説に惑わされている感があるが、この世界はそんなにやわのものではないというのが、私自身の見方である。
一過性=歴史的
だからこそ面白いのである。
才能は不公平だ。
しかし、花は花。木は木。ハチはハチ。
一隅を照らす。
置かれた場所で咲きなさい。
己の命をまっとうすればそれでよろしいのだ。
弥栄!