みなさん、こんにちは。
笑いは百薬の長。笑う門には福来る。あまりの恐怖で笑う他はない。笑いは本物に限る。偽笑いは吉本におまかせ。
以下は大人の辛ジョークである。決して信じないでくださいヨ。本気にしないことが肝心。

昨日
をメモしてしばらくしたら、どういうわけか、昼頃に突如、アクセスカウンターが吹っ飛ぶほど、一気に秒速700ヒットとかすごい数になる時があった。通常毎秒50前後だから、一桁増えたわけである。
しかしながら、かといって、記事の閲覧数が増えたわけではなかった。
どうしてだろうか?謎である。
たまにこういう現象が生じる。
さて、いつもジョークを思いついて、そのジョークネタを書き出そうとすると、「はて?なんだったけ?」とか、書き出しを書いていると、別の方向へ行ってしまい、元ネタをど忘れするとか、どうもそんなことが多い。
昨夜のテレビ番組では、その一番の原因が睡眠不足。その次が運動不足。
さもありなん。
最適な睡眠時間は7時間、それ以上もそれ以下もよろしくないとテレビドクターがおっしゃった。
運動不足は、本質は運動にあるわけではない。
実は運動すれば血中酸素が上昇し、血の巡りが良くなる。
この結果が問題なのである。運動は一つの原因にすぎない。
だから、血中酸素を増やし、血の巡りを良くすることが決めてなのである。
昨夜、食事中に私がそのテレビを見ながら、奥さんに昨日、一昨日の夕飯覚えているか?と聞いたところ、答えられなかった。
ところが、その後入浴中に体が温まり血の巡りが良くなったころ、突然そのすべてを思い出したのだった。
その場にいたときのように、何をどういう順序で食べたか、すべて映像を見るように思い出したというのである。
しかし、残念なことに俺はそうはならなかった。入浴中も入浴後も入浴前と同じように、はて一昨日何食ったっけ?はてな?であった。
やはり俺の場合は、運動しなきゃいけないようだ。このところ年末の足の裏の血豆のせいでジョギングできていなかった。
さて、ジョークネタを忘れないうちにメモしておこう。
(あ)AI美空ひばり
最近、AIで美空ひばりの歌を再現というものが賛否あるという。
まあ、俺にすれば、反応が遅すぎということになるが、昨年メモしたブログ2最後のメモ、これである。
多くのひばりファンは涙を流して喜んだが、シンガーソングライターの山下達郎は違った。
インタビュアー「美空ひばりのAIをどう思いますか?」
山下達郎「一言でいうと、冒涜(ぼうとく)です。」
実にわかりやすい返答だったという。
そこで、この答えのない問題を使ってダマスゴミが時間稼ぎして儲ける。野党の時間稼ぎ戦術、伝統の牛歩戦術と同じである。
まあ、AIができれば、そのAIが美空ひばりであろうがだれであろうが、その歌手の癖を学び、真似して、つまり、模倣して、美空ひばりに成りすます。そういうことができるだろう。
非常に広い情報空間の中で、美空ひばりの領域を見つけて、その範囲で動けば、美空ひばりの世界が構築できるわけだ。
AIの過去データを模倣させて、その領域まで近づける。
そうなると、山下達郎が内心で恐れていたことが起こる。
AIができて一番最初に仕事がなくなる人は?
というのは、当初コンビニバイト生だと思われたが、そうではなかった。
実は、一番最初に仕事が取られる人が歌手だった。特にすぐ人真似されそうな歌手だった。
つまり、シンガーソングライター。
すでにAIで作曲もできる。
そうなれば、シンガーソングライターも歌手も作曲家ももう必要ない。
AIを繰り出すオタクの完全支配する世界になるわけだ。
いいぞ、これからはオタクの世の中だ。
リベンジ・オブ・オタク!
暗い部屋の中でただひたすらパソコンを見つめ、ニヤッとしながらAIに美空ひばりを真似させている。
そんなオタクこそ、世界中の仕事を支配できるのだ!
なんか、ハリウッドのB級C級青春学園ドラマの映画のような筋書きができそうだ。
(い)AIドライバー
よくテレビの自動車のCMで、
もうすぐAIのドライバーが「自動運転」する時代が来ます、
というようなものがある。
こんな美辞銘文。釣り文句。
こういうものに日本人は弱い。
しかし、「できます」と「できました」は違うのである。
「できます」は見込みや予想であって、「できた」という実証ではないからだ。
かつて1980年代中頃、つくば博が開催されている頃、私は研究学園都市筑波の電子技術総合研究所(いまの産業技術総合研究所の前進。略して電総研と呼ばれた)で企業派遣の内地留学生としてアモルファスシリコン薄膜製造の実験を行っていた。いまのソーラーパネルの素子の大本の研究を初めて行った研究所である。
その頃、その電総研のお偉方は、「電総研にはあらゆる実験装置があるから何でも実験できる」と自信満々だったのである。
だから、職員に「これはできますか?できるなら、やりましょう」というと、かならず「できますよ」という答えが返って来たわけだ。
ところが、一向にできなかった。できるようにしようとする気配がなかった。
そうこうするうちに、アメリカの科学者が先にやってしまった。こういうことが度々起きたのである。
「できる」というのは一種の思い込みであって、「自分ならできると思う」という意味に過ぎない。つまり、可能性の問題で、可能性の一つに「できる」という状態があるにすぎないということである。
しかし、「できた」というのは、物理で言う「対称性の破れ」であって、「何がしかのものでそれが構造を持った」という状態を意味するわけだ。
その状態をいかに生み出すかにはそれ相応の困難が山積みし、それらを一つずつ解決していった結果、やっとそのなにがしかが「できた」のである。
ビル・ゲイツやスティーブン・ジョブズ、特にジョブズが言ったように、一つの製品、完成度が高いものほど、それに到達するには無数のハードルを超えていかなければできないのである。
だから、「できた」の前には安易に「できる」と言ってはならないのだ。
数学者は「できる」はコンジェクチャー、予想であり、「できた」が厳密証明に対応する。
数学世界は、証明されて初めて「できた」になるわけだ。
日本人にはこの区別が曖昧な人が非常に多い。
つまり、いま予想として「AI自動運転車ができます」ということと「AI自動運転車ができた」ということには、地球から銀河系の端まで行くくらい差があるわけだ。
いまできるAI自動運転は、新幹線や電車の自動運転を自動車で行うというレベルに過ぎない。
翻って、AIの自動運転よりもっと簡単そうなものは、このパソコンで私がキーボードを叩く時に、そのミスタイプの癖を学んで、自動的に正確な私が打とうとしている文章だけを打ち込んでくれるAIキーボードや日本語変換である。
いまつかっているグーグル日本語変換や、アップルのことえりでは不十分である。
ミスタイプを直すだけでかなりの時間的ロスをしていると思う。
俺の意見では、AI自動車より、こっちの方が先だろう。
AI日本語変換やAIキーボードである。
なんなら、イグチさんならこういうことを書きたいに違いないと、かってに俺に代わって文章を書いてくれるAIブロガーがほしい。
AIユーチューバーも実によろしい。
俺の代わりに俺になりすまして、YouTubeでどんどんおしゃべりしてNWOから金を巻き上げる。
はたして、そういう時代が来ると、ネット世界はどれが本物でどれが偽物かわからなくなる。
今の現実世界で、どれが本物の日本人でどれが偽物の日本人かわからなくなった日本と同じ現象が生まれるだけだ。
西洋でも、どれが本物のユダヤ人かどれが偽物のユダヤ人かも区別し難い。
しかし現実は小説より奇なり! というより、現実はネットより奇なり!
最近の徐々に流行してきている素粒子論学者や哲学者の意見では、
この宇宙もネットの中の世界、あるいは、パソコンのモニターの中の世界のようなもので、我々は「誰かの」アバターかもしれないというのである。
スピ系の人が「私たちは生かされているのです」という意味は、実は「私たちは神様、あっちの世界の人のアバターなのです」
そんな意味に捉えられるらしい。
パソコンの中のゲームの世界で自立して動く登場人物は、自分は一個の独立した人間だと思っている。
しかし、実は外からそいつを見ているものがいて、そのゲームの個人を外から育んでいるのである。
実は我々のこの世界もこうなっているのではないか?
と宇宙パソコンモニターの外の存在に気づき始めた人がいるというのである。
保江先生もその一人かもしれないが、もっと前にそういうことを「唯心論的物理学」という本で初めて主張した、保江先生の御学友だった中込照明博士もそういう一人と言えるだろう。
その世界には時間は存在しないのである。
あるものは「プログラム」だけ。
どこからか、プログラムのサブルーチン、サブサブルーチン、。。。として、何かのプログラムが入ってくる。
すると、それが発動して、そのアバター人物に何かが始まる。
「プログラム」を「啓示」と言い換えることもできる。
「インスピレーション」」と呼ぶこともできる。
「お告げ」と言ってもよい。
とにかく、何かが頭に入る。心に浮かぶ。
すると、大定理を証明し、大発見し、大発明をし、大革命。。。を起こす。
はたして、そういう「啓示」や「お告げ」や「神の心」はいったいこの宇宙のどこにあるのだろうか?
ひょっとして、この宇宙の外。つまり、「あの世」にあるのか?
ときに、この宇宙の中の人である、我々が外の人の姿を見ることがある。
「神様がいまそこにあらせられた」「そこに神の御姿があった」
「そこで神様が光り輝いていた」
もし少年がパソコンゲームの自分のアバターのウォーリアーに自分の姿を見せたくなった場合どうするか?
きっと、そのウォーリアーを驚かせるように、そのアバターの目の前にちょっと自分の姿を組み込む。
ちょっとそこに光らせる。
のではなかろうか?
物質であるこの世界、実はこんな感じの世界ではないか?
と、いま欧米の自然哲学者の間で流行り始めた考え方なのである。
まあ、普通の素粒子論者の考え方をベースにいまのゲーマー世界とマッチさせて、つまり、アナロジーで考えるとそういうふうに考える事もありえる。
しかし、生物物理、生命論者の考え方をベースに考えると、ことはそう単純ではないだろうということになる。
この辺のことはまたいつか。覚えていればだが。
まあ、ジョークのたぐいだから、笑うことが肝心肝要である。
弥栄!
