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【俺の夢の話】「バルバロッサの呪い」→久しぶりに非常に奇妙な夢を見た!

ゆめ

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みなさん、こんにちは。


ちょうど昨年の今頃「こんな夢を見た」というようなことをメモしていたが、




今年になって初めて似たような感じの夢を今朝見たのである。ほとんど覚えていないのだけれども、その覚えている部分はこんな感じの夢だった。


とにかく寒い真冬の雪が積もるような雪の降る真夜中に、京都大学の基礎物理学研究所の建物のその入口の目の前の銀杏並木の落ち葉の積もる道端で、私がうつ伏せになって眠り、身体に雪が積もる中でブルブル震えながら眠って夢を見ている。しかし、「ここはどこだ」と一旦目が覚めて、「基研の前か」と確認して、「自分の講演に行かなければ『バルバロッサの。。。』の講演をしなければ。。。」と言いつつ、そのまま死に絶えた

と思った瞬間に自分がこの寝室で布団から飛び出した状態で寝ていて、天井から落ちてくる寒気でブルブル震えていたんだと安心し、横にある布団の中に潜り込んで「寒い。。」ブルブルと震えながらまた眠りに入る。

すると、今度はまた震えながらまた、今度は名古屋大学の建物の前で震えながら銀杏並木の道端に倒れて眠っている。また、寒さで死にかけ、死にゆくさなかに目を覚まして「ここはどこだ?」と見ると、「昔行ったことのある名古屋大学の道端で寝ているのか」と思ってまた死に絶えた

と思った瞬間にこの自宅の布団の中にいる自分を確認して、今度は半分目が冷め、半分眠っている状態で、この夢を忘れないようにしなければと思いながら眠っているという、そんな感じであった。

そこで、俺は何の講演をしに行こうとしていたのか?と思えば思うほどその講演タイトルが思い出せなくなり、たぶん「バルバロッサの呪い」だったかな、「バルシャンティの。。。」だったかなと、あるいは「サラシャンティ」だったかな、という感じで、だんだんそのタイトルが思い出せなくなった。

そして今はまったくイメージしか思い出せないというわけだ。今朝はこんな感じの変な夢を見たのだった。


実は我が家は築50年ほどの鉄筋コンクリートの昔ながらの高度成長期時代に建てられた古い家だから、すでに平たい屋根の窓の雨除けのために外に突出した部分の下裏の部分が劣化して一部崩落して穴の空いた部分があり、そこから外気が中に入って家の中の部屋の天井裏と直結している。

というのも、夏にはよくどこからともなく蚊が侵入してくることがあるし、その昔には突然家の中にコウモリが入ってきたことがあったからだ。

だから、真冬になると、天井裏内の空気が外気に冷やされてそれで冷やされた天井でさらに部屋の内部の空気が冷やされ、一部が部屋内の寒気団となり下降する。それを知らずに眠っていると、部屋の中で対流を起こし、部屋のある場所にその寒気が落ちる。

たまたま私がそれを知らずに布団の中で温まって熱くなり布団を踏み抜いだまま布団の外で寝ていると、その寒気が明け方に突如を私を襲う。その寒気でブルブル震えるのである。まるで、真冬の道路で寝ているような状態になるわけだ。

最近はあまりなかったのだが、それが今朝起こったわけだ。

昨晩は日曜の夕食が奥さんの手料理の久しぶりのすき焼きだったために、牛肉をたくさん食べて、その後に風呂に入り、それから寝たから、夜中に身体がポカポカして熱くなり、いつの間にか布団を踏み抜いで、寝間着のまま寝ていたわけだ。そこへ明け方の部屋の中の寒気がちょうど私の上に落っこちてきたというわけだ。

そして、ブルブル震えている時、その基研の入り口の目の前で「バルバロッサの呪いの講演をしなきゃいけないんだ」と言いながら銀杏並木の道端に倒れて死にゆくという夢を見たのだった。


ところで、この「ブルブル震える」というのは、寒暖の差が非常にある浴室で、暑いお風呂に入っているのに「ブルブル震える」という、いわゆる「ヒートショック」のことである。

お風呂に入る場合、「外は寒いのに湯が熱い」という場合によく起こる。私もホテルの大浴場で一度死にかけるほどひどいヒートショックにかかったことがある。背中がしんしんと寒く、それでかけ湯をして入ったのだが、風呂の湯が熱くてすぐに入れず、座りながら湯の暑さに体がなれるまで足だけ入れて濡れた裸で座っていたら、大きな窓で外気に冷やされた寒気が濡れた身体を襲い、ブルブルと震える状態で足だけ熱い湯に入れるということになった。

それで、「寒い寒い、まずい」と思っていきなり熱い湯に入ったら、湯が熱いにもかかわらず、首までつかったその湯の中で、他の温泉客を見ながら、ただひとり湯の中で15分ほどブルブル顔を真っ青にしながら(たぶん)一人震えていたのを覚えている。

これが典型的なヒートショックである(と思う)。


後で知ったことだが、どうやらこの時、たいていの人は「心臓が不整脈を起こしている」らしい。そして、急性心不全でお亡くなりになられるのである。だから、私もヒートショックでブルブル震えるときは、いくらふだんは強力で健康的な心臓であったとしても、不整脈を起こす可能性があるから非常に注意していたわけだ。

ところが、今朝はそんな状態になってしまったのだった。


我が家は平日は奥さんが早い出勤のために、私が5時50分に起きて、6時半まで準備をするから、昨夜は0時半に寝たから、よく眠ったと言っても最長で5時間〜4時間である。

私は寝付きはよくないから、だいたい眠りに入るまで30分から1時間はかかる。そしてだいたい4時には一度トイレに起きるから、普通の日はだいたい熟睡が3時間程度か4時間というところだろう。

だから、ほとんど夢をみない。あるいは、夢を覚えていない。

したがって、睡眠中に夢を覚えているのは、何度か、たぶん2,3度の夢を見るのを繰り返せる長い睡眠ができる週末だけなのである。



さて、いったいその「バルバロッサの。。。」「バルバロッサの呪い」というのは何なのか、私にはまったく思い当たることがない。たぶん、眠っている時の私の脳が勝手に作り上げた意味不明の言葉に過ぎないだろうと思う。

だいたい『バルバロッサ」という言葉だったのか、「バルシャンティ」だったか、「サラバロッサ」か「サラシャンティ」かどうかも定かではない。


しかしながら、思い当たるのは、昨日は昨晩までずっと保江邦夫先生のYouTube番組の新しいものを見て、その中で思い当たったことをインターネットで調べていたということだけである。

何を見ていたか?

というと、これである。


(あ)保江邦夫 先生 『お笑い真理塾 2017年』 第3回<1/8> 〜あの世とこの世を繋ぐ最先端物理学論を笑いながら学ぶ連続漫談講義〜



保江邦夫 先生 『お笑い真理塾 2017年』 第3回<2/8> 〜あの世とこの世を繋ぐ最先端物理学論を笑いながら学ぶ連続漫談講義〜



(い)保江邦夫 先生 『お笑い真理塾 2017年』 第4回<1/9> 〜あの世とこの世を繋ぐ最先端物理学論を笑いながら学ぶ連続漫談講義〜




(う)保江邦夫 先生 『お笑い真理塾 2017年』 第1回<1/8> 〜あの世とこの世を繋ぐ最先端物理学論を笑いながら学ぶ連続漫談講義〜




とまあ、こんなやつを見ていたのである。


とくに最後のシリーズ。これまで最近のものは見ていたが、2017年という昔の話が最近になってアップされていたので、これを見てみることにしたわけだ。物理の話ということだったので。


そこで、見ていると、まず最初に京都大学の国際会議の話が出てきた。しかも基礎物理学研究所の開催。つまり、基研の国際会議。さらに聞いていると、保江先生が

「自分は人によく恵まれていると言われるんだが、僕より恵まれている人間が京都大学に一人いる」

と話だし、その人のエピソードを語りだす。

まあ、簡単にまとめると、こんなエピソードである。

その京大教授は東大出身の教授で、東大出身者は京大でいじめられる。教授と言ってもいまは任期つきで、その教授にも10年の任期がついていた。ところがその教授は一家ともどもシックハウス症候群にかかり彼も入院した。
その間まったく研究できないから、京大の中でどんどんいじめられて窓際族になっていった。それで、京大のできの悪い教授たち用の京都市内の大企業向けの講演の担当教授にならされた。だから、その講演会では似たような各分野の窓際族の教授たちが集められて、お互いの傷をなめあって慰めあっていた。
ところが、その中の霊長類研究所から派遣されていた一教授がその後京大総長になってしまった。
すると、仲が良かったその東大出身の教授に「お前は任期があったよな。だったら俺の総長特権でお前の任期を消して正教授にしてやる」といって、2億円の研究費をつけてくれた。
自分よりずっと幸運な教授とはこういう人のことなんですよ。
と、保江先生が話始めたのだ。

それで、

これってひょっとしたら村瀬先生のことじゃないか?

と直感したわけだ。

拙ブログ2でもそのことはメモしていた。これだ。




そこでどんどん聞いていると、徐々にどんなことだったかつかめたわけだ。同時に、ちょっとその村瀬先生の研究会は何だったのか?と調べたのである。

実は私も村瀬さんとは昔交流があって、いろいろお世話になったことがあった。

2007年に開催された「湯川秀樹博士生誕100年記念国際会議「生命とは何か?」」で、私は当時の自分の思想と仲間と行っていたスケールフリーネットワークをカウフマン模型に応用した研究をポスターセッションに2つ投稿していたのである。

その後も、2010年に「水の研究」で村瀬先生から話をしてといわれて話したことがあったわけだ。これである。



というわけで、村瀬先生とは13年も前から接点があった。

だから、2017年に保江先生が村瀬さんの国際会議で話をしたということに興味を惹かれたのである。


そこで、その国際会議はなんだ?と昨夜調べてみたわけだ。これだった。


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要するに、保江先生は村瀬先生に呼ばれて、この会議に出て、この会議の座長や講演をひっきりなしにやっていたら、声がかれていつも定期的に行っている神戸のゼミで声が出なくなっておしまいになられた。

それが(う)の最初の講演会だった。



そこで、果たしてその村瀬先生の京大総長からの2億円のプレゼント予算の研究とは何だったのか?


と調べたところ、どうやらこれだった。


未来創成学国際研究ユニットは、平成25~26年度に採択された統合創造学創成プロジェクト(研究代表者:村瀬雅俊)の研究活動に基づき、基礎物理学研究所が主体部局となり、京都大学の研究所・センター・研究科など12部局(平成29年現在15部局)が参画して、平成27年7月28日に発足しました。異分野を統合することの知的冒険によって、生命・物質・こころの世界、あるいは人間社会・教育・経済を貫く普遍法則や創発原理を探求し、未来を方向づけるパラダイム転換を目指しています。統合複雑系科学国際研究ユニット・宇宙総合学研究ユニットとも連携しながら、多くの外国人教員を迎え、国際規模での研究ネットワークの構築を進め、独創的研究を推進していきます。



というわけで、京大の教授の任期はたぶん65歳だから、あと2〜3年後には村瀬教授は退官になるはずである。つまり、2023年には退職。

平成27年は2015年。平成25年は2013年だから、ちょうどその2013年から彼の定年までの2023年までの10年分の研究費として、総額2億円の研究予算をもらい、この「未来創生学」をテーマに生き延びろ。

どうやら霊長類研究から京大総長になった山際さんのコネだったということを、実はその保江邦夫先生のうかつなちょっとした話が暴露してしまったわけだ。


これって2億円のインサイダー取引だよな!

って外部の敵者に言われたら、グーの音も出ないのである。


そうでなくとも、いまは教授職にとどまるのが難しい。たいていの准教授には10年の任期がつく。地方大学は1億円の研究予算すらつけてもらうことが難しい。それがたとえ、京大や東大の出身研究者でもである。


それが、総長特権で2億円。

それも、何でもありの文系かも理系かも医系か芸術かもわからない研究テーマで、やっていることというと、ひっきりなしに部外者や外人を会議に呼んで、外人におしゃべりしてもらって、その後は、暇つぶしの京都案内、京都旅行や京都料理食って帰ってそれで終わりの研究。

はあ〜〜???なんですか、これ?

ってなるだろ、これじゃ。


はっきり言って、

明確な目標のないテーマの研究では何も生まれない!

というのが、私個人のこれまでの研究経験である。


やはり成果を生み出すには、目標が明確であればあるほど良いのだ。それがあいまいだと何も生まれない。

それが、ほぼ森羅万象何でも良いというのであれば、最初から何も生む必要がない、何でも良いから、今自分がやっている研究を続けていれば良い。たまにお互いにおしゃべりして知的雰囲気に遊んで、たまに共著でも書いてくれたら良い。

というようなことに「終わる」のである。


まさにいま流行りに「上級国民」の生活にほかならない。

ならば、なぜ日本よりバブル全盛期で、かつての我が国のバブル全盛期のような経済の大好況状況である欧米の、しかも日本より最低賃金が2,3倍もある、その国民の最上位に君臨し、ふんだんに研究費を海外の大企業からもらっているはずの、外人研究者まで我が国の国家予算でいま呼ぶ必要があるのかいな?

ということになるわけだ。


答えておくれ?山際総長さん

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村瀬先生???

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さらに調べてみると、これはまずいなあ?こりゃ〜〜ちょっといかんかも、というのがあったわけである。


この研究ユニットのメンバーというのをみると、その中に共同研究者というのがある。

この何人かの主観研究者の直接の預かりになる共同研究者がたくさんいるわけだが、その中のこの研究ユニットの代表者である村瀬博士のメンバーがこれだった。


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この中に村瀬先生以外に二人「村瀬」の名字の方がいた。

かつて私が村瀬先生とあった頃、自分の奥さんが千葉にいて看護師だったということは聞いていたから、この愛知の豊田の看護大学の教授の村瀬さんは、おそらく村瀬先生の奥様だと思うわけだ。

そして、いままだ博士課程2年の村瀬君は、ひょっとしたら村瀬先生のご子息かもしれないわけだ。


もしそうなら、自分の研究ユニットの研究者に自分の家族が簡単に選ばれて入っている。

まあ、自分が自分の権限において自分が選ぶわけだから、だれも反対はない。


いや〜〜、これが昨今際立ってきた「上級特権」「上級国民」というやつか?


と俺も初めて昨日痛感したわけだ。

文科省の研究費は、大学の中の「上級大学」である旧帝大と、一般の公立大とで差がついたと言われているし、よくそういう話を聞いてきた。最近は特にひどくなったぞと。


昔の文部省時代はそれほど旧帝大も公立大や有名私立大も大差はなかった。教授も助教授も助手も大学院生も学部生もみんな徒歩で大学へ通っていた。

あれから、40年。


いまでは、大学教授の正教授はベンツやアウディやBMWで大学へ通う。むろん、保江先生も大型のシックな深緑のベンツで大学へ通っている。



ところで、どうして日本のバブル全盛時代に一番貧乏で大企業の重役になった同級生にバカにされた大学教授が、ここまでリッチなA層の「上級国民」になれたか?

知っているだろうか?


実はこれこそ俺のおかげだったのだ!
私のせいだったのだ!


とまあ、井口博士がまた御冗談の大口をたたいている、と思われたことだろう。こいつキチガイかってな。


実は、私が米国からの留学中の1990年の最後の夏休みにユタのアパートで、ある論文を書いてユタから文藝春秋へ送ったのだ。

この短い論文は文藝春秋から出版されることはなかったが、その後私が1990年の秋に帰国し、その頃都内の駒込に住み、職探しを始め、幸いに富士通の蒲田の計算科学研究部に入ったその翌年1991年に、日本物理学会の有志が出している雑誌にそれを出版したのである。それがこれだった。




これは非常に多くの当時の大学教授に一大衝撃を与えたのである。

その2年後、私が富士通の新築の幕張シスラボの内装のためのシックハウス症候群のアレルギーで富士通を去って、幸い当時の理研理事長のご理解に恵まれて理研に移った時、自費出版でそれを一冊の本にした。それがこれだった。


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これは限定500部しかないから、私がユタ大とハワイ大にも送ったものを含めても、500部以下が日本国内にあるだろう。

当時、暇があれば、研究の合間に日本の各大学の図書館や学長さん、大企業の社長さんたちに私個人で送付したものである。


そして、私が理研の2年目のころ、当時その翌年に文部省の文部大臣の椅子が確約されており、その翌年の1996年には省庁再編で、科学技術庁と文部省とが合併され、文部科学省になり、その文科省大臣になる、有馬朗人博士がその大臣になる直前の理研の理事長のとき、直に私が

「ぜひこれを読んで日本の大学を変えてください」

と言ってこの本を1冊手渡ししたのである。

有馬理事長は「ありがとう」といって本を振りなから理事長室へ帰ったのである。たしか1994年、平成6年ごろのことである。


それから、ポスドク1万人計画、大学院重点化、。。。と進み、大学の行政法人化が行なわれていった。

その時の財源を保証するものが、


であった。

これにより、1995年から5年に1度総額10兆円が我が国の科学技術分野へ投入されるようになったのである。つまり、日本社会が阪神淡路大震災で大変な衝撃を受けたその年からこの25年間で、毎年で2兆円。つまり、50兆円が大学関係に投資されたのである。

実際のデータはこんな感じ。だから、年2兆円よりもっと多い。


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その結果、大学が大学バブルで学部内の至るところで建設ラッシュに湧くようになったのである。そして、大学の学長が大学職員の給料決済の責任をとれるようになったのである。

逆に、一般社会、特に地方社会は、田中角栄時代にできた土地不動産バブル時代の地方交付税が、科学研究だけに全部回わされてカットされ、地方のインフラ整備や老朽化したダムや橋やトンネルや道路の補修ができず、コンクリートの耐用年数の築40年を超え、笹子トンネルの崩落事故のようなことが起こるきっかけになったのだった。


だから、有名大学では「鶴の一声」ならぬ「総長の一声」で、自分の好きな研究テーマに総長権限で予算をつけることが可能になったわけである。

というのも、最初の文科大臣の有馬大臣が理研の理事長のとき、理事長ファンドという1億円の予算を持っていて、自分の好きなように研究所内で使える特権を持っていて、その重要性を認識していたからである。要するに、紐付きでない(使い方の制限のない)研究費を理事長の一声で配ることができたからである。


聞いてる?京大最強の霊長類さんよ???


というわけで、大学関係者は俺に足向けて寝ることができないはずなんだがなあ???


あるいは、俺に会ったら、

井口先生、

今夜は夜の街に繰り出してポールダンスでも見に行きましょうか?

とかさ、

何ならベンツ寄付しましょうか?

とか、

良い子紹介しましょうか?

とか、

祇園遊びはどうですか?

大学の職1つ提供しましょうか?

とか、

なんとかいろいろ俺に便宜計ってくれても良さそうなものなんですナ。本当はヨ。


冗談はよしもと。


その後、上の拙著は再び自費出版の形で当時誕生したばかりの新潟のオンデマンド出版社から再販した。それがこれだった。


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ところで、京都大学には


という上級研究者のためのプログラムがある。

この白眉プロジェクトは、若手(いくつが若手か知らないが)研究者に任期5年で自由に研究していいよというものである。だから論文発表するのも、しないのも、遊ぶのも何でも自由。とにかくその後の革命のために何でも研究してというかなり自由闊達なプロジェクトである。

それができ始めた頃、「これは自分にぴったりだ」と思って、私もその公募に二三度応募したのだが、その都度はがき一枚の拒絶で落とされたのだ。

そのときに推薦者の一人になっていただいたのが、この村瀬先生だった。推薦したのか、けなしたのかは知らないが、とにかく俺は落っこちた。


というわけで、我が家は私の父の代から私の息子の代まで京都大学とは無縁である。ことごとく落ちる。

名古屋に至っても全く同じだった。

名古屋もかつて1998年ごろ名大多元数学の青本和彦教授と共同研究を1年間したことがあり、数学者の I. M. ゲルファント教授から唯一引用された日本人の論文となったものを公表したのだが、そのゲルファント教授はその後京都賞だったかをおとりになられた。そして、2009年にお亡くなりになったが、その名古屋大学にも助手のポストに何度となく応募したが、その都度はがき一枚だった。


それから、50歳を超えた頃から、若手の職がないから、もう若手に譲ろうと一切海外も含めて応募しないことに決めたのである。だから、この10何年かはまったく応募したことがない。同時にすべての学会から撤退した。


論文も、くだらん1通の論文のダウンロードも良い論文のダウンロードもまったく同じ30ドルも取るような国際雑誌には一切投稿しないことに決めたのである。

研究は何らかの形で残しておけばよく、特に有名雑誌に出す必要などないのだと考えたからだ。

それが、2016年ごろ発見した杉田元宜先生のさまざまのご著書を読んでいくうちに、どうして英語論文を出さずに日本語ばかりで出すのかと調べていったら、まったく私と同じ境地に達していたのであったということを知ったのである。

日本語でも何でも良いから、何か書いておいたその内容そのものが重要で、言語は問題ではないとあった。

たしかに日本語だけだと発見されるのに時間がかかるからその人個人は損をするかもしれないが、大事なことは時間ではない。思想やアイデアだ。そこにそれが残されていれば、いずれ誰かが発見するだろうとあった。

その発見者がこの私だったわけだ。



とまあ、結構長い夢の話になってしまったが、どうしてそんな夢をみて死にそうになっていたかと言うと、どうやら私は保江邦夫先生や村瀬雅俊先生およびその家族のような、この特有な日本社会できわめてラッキーな人たち、そういう人がいる中で、どうして自分がそういう人と友だちになり、人には良い影響を与えることにはなるのだが、そういう人たちだけが豊かになるばかりで、俺自身が恵まれないのはどうしてだろうか?

連中のベンツや連中の財布の中の銭や大金は、俺の一冊の本の思想から生み出されたものだ。この俺の頭から生まれたのだ。


とまあ、俺の顕在意識が決してそう思ったわけではないが、俺の潜在意識がそれを見逃さずに、ずっと考え続け、どうやら最初の

「バルバロッサの呪いについての講演をしなければ、。。。」と思いつつ、京大基研や名大の入り口の目の前の銀杏並木の道端であえなくマッチ売りの少女のように死に絶えた。

そういう夢を見たのである。






いや〜〜、痛い。





弥栄!






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by kikidoblog3 | 2020-01-20 11:18 | 数・理・科学エッセイ

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