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【高校サッカー選手権】昨日の決勝は「しびれる試合」だった!→「しびれる経験」「しびれる言葉」これがいまの日本の若者には必要だ!

ジェイミー・ジョセフ監督のスコットランド戦の前の言葉
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みなさん、こんにちは。

さて、昨日の高校サッカー選手権の決勝、絶対王者青森山田vs日本のブラジル静岡学園の試合は実にしびれる試合だった。

昨日、




をメモしたときはまだ森保の特徴を表す適当な言葉に気づかなかったが、昨日の試合をみていてこれに気づいたわけだ。

それが、

しびれる試合

というものだった。

かつて私がここ阿南市にある阿南高等技術専門学校(阿南高専)の外部コーチとして、まったくサッカー経験のない若い技術者の部長といっしょにサッカー部を指導した2005年頃、滋賀県の野洲高校が高校日本一に輝いた。いまや世界の乾として有名になった乾選手が高校の選手として活躍していたからだ。

その時の山本佳司監督

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が一世風靡したが、その象徴が

「セクシーサッカーで革命を!」

だった。

私が指導した阿南高専の選手たちもみなこの決勝戦を見ていて、最後の得点シーンをみて、

「しびれた!俺も一生で一度でいいから、あんなセクシープレーで点を決めて〜〜!」

と言っていて、みんなでプレーを真似して再現しようとしたのである。


若者には、こういうプレーが大事だ。


面白いことに、あれから15年。当時にはまだ不可能だったが、いまではそういう映像をYouYubeで見ることができる。これだ。




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おそらく、昨日の試合もそういう伝説になっただろう。


世紀の大逆転劇。







いまのJユース出身の選手たちは、この大観衆の前で平常心ではプレーできないだろう。萎縮してしまうだろう。


どうしてか?


というと、ユースの選手たちの試合は、Jユースの施設のサブグランドのような小粒で観客席のないグランドでしか試合を行えないからである。

高校サッカーのような国の公式行事のようなものではないから、一流のグランドで大声援の中でプレーするというチャンスが全く存在しないのである。


だから、U20やU23の日本代表にいきなり選ばれたとしても、なかなか活躍できない。

こういうチームが海外で意外に良い成績を残せるのは、ユースの試合はやはり海外でも小粒なサブグランドで試合が行なわれるからである。ほとんど観衆がいないのである。


Jユース出身者が日本国内の代表戦に弱いのも、おそらくこういう事情があるものと思われる。


一方、高校サッカー出身者は、特に優勝経験者や準優勝経験者は、かつてのゴン中山のように、「大試合ほど強い」という選手が多い。


サッカーは最終的には何万人もの目の前でプレーしなければならない。

フィギュアスケートの羽生結弦選手もそうだ。大観衆の前で4回転を飛ばなければならない。


こういうような競技や球技の場合、早くしてそれに慣れなければならない。


大観衆の目の前では、イップスになるような選手では困るわけだ。


すでに、久保建英選手や堂安律選手にもこのイップスの兆候が見える。大試合になるとシュートが枠に行かないのである。

ちょっと前まで一世風靡した京都サンガ出身の天才久保裕也選手もまったく活躍しなくなった。

一方、再三再四の怪我でもう引退やむなしかと思われていた、俊足の宮市亮選手は復活してそれなりに活躍をしている。彼も高校サッカーのスターだった。


ようするに、昨日までうまく表現できなかった言葉とは、こういうことだ。


若い選手がその育成年代でどれだけしびれる試合を経験したか?

そしてそれを乗り越えてきたか?

どんだけ〜〜!

というわけだ。これである。

ハラハラ・ドキドキのしびれる試合を若いうちにどれだけ経験するか?


これがその選手の自信につながるのである。


翻って、森保のサッカー理論や戦術にはこのしびれる感がない。


リスク管理、攻撃の部分、ラージグループ、

などの言葉を見る限りでは、森保は監督というよりは、GMの方が向いているような気がする。


監督業というのは、戦術理論の一般論を選手に吹聴したり、そういうこともあるが、いざ試合となれば、問題はプレッシャーに押しつぶされそうになる若者たちをいかに鼓舞し、勇気づけ、その気にさせるか、こういうことが最も大事になってくるのである。

ここまでやってきた選手たちは、普通の人が知っているようなことは皆知っている。本番ではそんなことはどうでも良いのである。

これまで身体で身につけてきたことをいかにその試合で発揮するか?発揮できるか?

それには気持ちの問題が一番なのである。


つまり、私が何を言いたいかというと、


森保監督の監督をする時の顔つき、雰囲気、空気、これが

冷めている!=選手を突き放している

ということに尽きるのだ。


森保は、口先では丁寧な敬語を使って、綺麗事を言い、あたかも自分が若い選手の成長を期待しているというようなことを述べ立てるが、その本質の面では、冷たいのである。つまり、冷淡な監督だ。


それが顔つきに出ているわけだ。


だから、参加している選手たちがまったく熱くならない。冷めているのである。

サッカーは、ラグビーと同根のワンチームで戦うスポーツである。

ワンチーム

これが最重要だ。


たとえ、ベンチにいる選手でも、必死で相手の弱点を分析して、ピッチ上で戦っている選手たちに大声で知らせなければならない。

選ばれた選手たちは一蓮托生、一心同体にならなければいけないのである。


昨日の青森山田、静岡学園、そして選手権に出てきたどのチームも一心同体で戦っていた。

だから、負けた瞬間に全員でピッチに倒れ泣くのである。


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思えば、私が毎年高校サッカーを見に行くのも、この負けた選手のなく姿、泣き顔である。

これを見たくていくのである。

一生懸命に努力して負けた結果としての、

若者の泣き顔ほど清く美しいものはない!

と俺は個人的にそう思うからである。


青春をすべて捧げてきた集大成で負けた時の悔し涙。

俺はこれを見に行くのである。


むろん、私も同じ経験をしている。

「この大会で俺はサッカーを引退する」と決心して挑んだ大会準決勝で負けた時、俺も泣いた。

泣くというより、自然に涙がこみ上げてきた。止めることができなかった。およそ30分は第二試合の行なわれるグランドの横で座って泣いていた。

前が見えないほどの涙が出た。


これぞ青春ぞ、これが青春だ。これが青春なのである。


この一瞬を経験するために我々は生きているのだ。


とまあ、そう言っても過言ではないのである。


はたして、U20やU23のJユースの若者たちにこの気持は通じるのだろうか?


森保は長崎日大で県予選敗退だから、この大舞台での経験も大舞台での敗戦経験がなかったにちがいない。


煮え切らない試合、不甲斐ない試合、不完全燃焼の試合

こういったものをいくら積んでも何ら良い経験にはならない。学習にはならない。

フルのガチンコ勝負を積重さねて行かない限り、自分の血肉にはならない。


いまU23日本代表や日本代表の求められているのは、商売抜きのガチンコ勝負である。


それで怪我して選手生命を絶たれたなら、それはそれでしかたない。それも運命として受け入れる。

結果は神のみぞ知る。


この精神で戦えるかどうか?である。


ラグビー日本代表のジェイミー・ジョセフ監督は強豪アイルランドとの歴史的決戦の前でこういったという。


誰も勝てるとは思わない。

私たちが少しでも(強豪国に)接近できるとは
誰も思いません。

しかし、あなたがたは
日本がどれだけ一生懸命やってきたかは
わかりません。

どれだけ多くの犠牲を払ったかは
誰にもわかりません。

準備ができていることを知っているのは私たちだけ




ヘッドコーチの大事な仕事は、
選手が信じることのできる環境を
創造すること。
とにかく、こうやって、
岩が砕けるまで
拳を打ち続けるしかない



ところで、昨日たまたまBSで「しろくまと21年」生活した日本人男性飼育員の話を見た。

これでは、未熟児で生まれたしろくまの赤ん坊を21歳まで自分の子供のようにして育て上げた日本人男性の話であった。

幼児の頃は自宅のマンションに運んで自宅の温かい部屋の中で育てたところ、本当の母親のようになり、しろくまと男性の信頼関係が生まれた。

しかし、身体が大きくなってきて、とても自分の家では育てられなくなると、動物園に入れることになった。

そして、しろくまは水の中で泳げなければいけないから、子供のしろくまに泳ぎを教えようと、ミルクを餌に水槽に入る練習を重ねることになった。

子供のしろくまが水を恐れるから、与えるミルクを焦らして水の中に入らないと飲めないようにしたところ、とうとうしびれを切らした子供のしろくまがその飼育員の腕を強く噛んだのである。

そのとき、その飼育員は本気で怒り、顔をビンタしたのである。

しろくまが悪いことをやったことをしろくまに覚えさせ、教えるためには、叩いてしつけるしかないのである。

しかしながら、その飼育員としろくまの関係はヒビが入らなかった。以前より、お互いの信頼関係や絆が強くなったのである。


このエピソードは昨今のスポーツ指導者と選手との関係を実によく物語る。

人も動物である。特に幼少期や子供の頃は動物そのものである。

だから、悪いことと良いことを区別できるようにきちんと教えないといけない。

そのためには、時には体罰や叱咤が必要なのである。


その飼育員はいった。

「一つ間違えば、相手との信頼関係が失われ、二度と信頼関係を作ることができなくなる。

しかし、信頼関係があればこそ、相手を殴ることもできる。

しろくまと自分には長い間の信頼関係があった。だから、悪いことをして叩いても信頼が失われなかった。」


母と子、父と子、先生と生徒、監督と選手、コーチと選手、。。。


こういう、いわゆる「親子関係」「師弟関係」の場合もまったく同様である。

相手がまだ子供で独立する前には、それまでに培ってきたしっかりした信頼関係の上でなら、場合によってはときに、暴力を使ってもよいのである。

この場合は、確かに殴る、蹴るの暴力行為に見えるかもしれないが、それはその信頼関係の上に親が子をしつけるための叱咤である。

だから、信頼関係が失われることはない。


しかし、そういう信頼関係が構築されていない場合には、しつけのための叱咤は逆効果になる。逆恨みや一生の恨みになる。


この辺が難しいのである。


いずれにせよ、指導者の暴力がまったく許されないかというとそうではないのである。時と場合によるのだ。

それが、「監督の松井秀喜選手へのビンタ」である。このビンタ一発で世界の松井の核ができたのだ。決してその監督と松井秀喜との間の信頼関係は失われなかった。


逆に、信頼関係のない場合のビンタの失敗例は、旧日本陸軍人士官の朝鮮人李承晩へのビンタである。

上海で自称両班の子孫だと吹聴して遊び回っていた李承晩を見かねた日本軍人が相手を諭そうとして、日本人のように「目を覚ませ。現実を見ろ」と平手のビンタをした。

すると、この日本軍人と李承晩の間には信頼関係が二度とできることはなく、一生このビンタを恨んだという。

戦後、李承晩が韓国の初代大統領となったとき、李承晩は「日本をいつか滅ぼす敵」と考え、すべての歴史を逆さまにして国民に教えたのである。


信頼関係のないものへのしつけの暴力は、さらにその暴力以上の恨みになる。

信頼関係のあるものへのしつけの暴力は、さらにその暴力以上の教育になる。


この信頼関係のあるなしの見極めが、叱咤激励の教育的指導的暴力が、指導となるか単なる暴力になるかの決めてになるのである。


信頼関係のないまま、その選手たちに冷めた対応をとれば、その選手たちは何も感じず、ただノルマをこなすだけである。


それが、森保のやり方である。


やはり、森保監督は即解任した方が良い。


田嶋会長が養護し、続投させるのであれば、五輪後さらにはW杯後に自分も一蓮托生で解任になるのではなかろうか。


まあ、数年やればいいと思っているのであれば、それでいいということになるが、それでは日本の男子サッカーはまた4年遅れることになる。

同じことの繰り返しで終わるのだ。


日本サッカー界もワンチームにならなければならない!


たった一言で、バラバラのチームもワンチームになれるのである。

悪く言えば、洗脳、あるいは扇動だが、よく言えば、その気にさせる、夢を見させるということになる。


こういうある意味、成熟した精神性を持つ監督が日本サッカーには必須であるようだ。




弥栄!





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by kikidoblog3 | 2020-01-14 10:17 | サッカー・日本代表

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