みなさん、こんにちは。
ところで、先日、高校サッカー選手権の徳島市立のベスト8をメモしたが、
女子の高校サッカーでもここ徳島の公立高校の鳴門渦潮高校がベスト8に入った。
今年の徳島の高校サッカーは男女揃って、全国ベスト8に入ったのである。
徳島市立は市立高校、鳴門渦潮は県立高校である。
両方ともに、いわゆる「公立高校」である。
甲子園や全国大会で日本全国で唯一私立高校が一度も県代表になったことがない県。
それが徳島県である。
野球では、私立の生光学園が県決勝や、四国の4位まで進んだことがあった。
が、サッカーではそこまで勝ち進んだことはない。
人口80万人を切った田舎の公立高校が、最新設備を完備した首都圏や近畿圏の私立高校と指しで勝負して勝つというのは並大抵のことでできるものではない。
だから、率直に、純粋に今回の徳島県の高校サッカーの男女ベスト8は胸を張っていいと思う。
おめでとう、鳴門渦潮高校!
私は男子の高校総体県予選の決勝や選手権の決勝を少し早めに行って、女子の決勝も永らく見てきた。
だから、鳴門渦潮高校が非常に良いサッカーをしていることは知っている。
県下の優れた選手が集まる。
しかし、すでに中学や高校入学時で、日本代表になった
道上彩花選手
のように、宮城県の常盤木学園のような他県の強豪校へ進学した選手や、
増谷理花選手
のように、JFAアカデミー福島に行ってしまう女子もいたわけだ。
このことからも解るように、徳島の女子選手に限っては、非常に能力が高く、アジリティーが高い。
実際、我が息子たちが公立中学校のサッカー部時代に、同学年の女子サッカー部、特に、鳴門ポラリスと戦ったとき、大人のサッカーをしていたのは、なんと女子の方だった。
つまり、女子の方が後ろからきちんとビルドアップしながら前線に繋ぎ、見事な連携プレーで得点を決める。こんなサッカーをしていたのである。
ちなみに、道上選手は公立中学校の那賀川中学の男子サッカー部に所属していた。彼女はセンターバックだったが、我が息子たちの阿南中学との試合で、一人で中央突破し、豪快なミドルシュートを食らわしたのを覚えている。県大会へ進むにはこの道上選手の那賀川中にいかに勝つかが大問題だった。
一方、男子サッカーの方は、ただ前線に大きく蹴って、女子より足が速い、背が高い、そういう「子供横綱」サッカーをしていただけだった。
男子は危なくなると焦るが、どういうわけか女子はあまり焦らない。
この傾向は男子日本代表となでしこジャパンにまでつながるから面白い。
男子はピンチになると焦って機械的にクリアするだけに終わる。
が、女子はピンチになっても仲間が必ずサポートに入って連携でパスを通せるのである。澤のいた佐々木ジャパン然り。いまの高倉ジャパンしかり。
どうしてなのか?
いまだにこれの理由がわからない。
日本の女性のメンタルを男子も身につけることができれば、相当に男子も強くなることは確かだろう。
きっと日本女性の方が男子より頭が柔軟なんだろうと思う。おちゃめな性格が良いのだろう。
男子の頭は侍のように硬い。
ひょっとして日本代表が全員オネエーになった方がもっと強くなるのではないか?
ジョーダンは吉本。
さて、あまり徳島県のサッカーを知らない人は知らないだろうが、この徳島市立の河野博幸監督
は、共に29年前に徳島市立が高校総体で初優勝したときのチームメンバーである。
2年ほど前まで佐藤監督は受験校の徳島北高の男子サッカー部の監督だった。そして、徳島北を初めて高校総体と選手権の県代表に導いたのだった。
その頃、鳴門渦潮の監督をしていたのが、
吉成浩司監督
であった。
私は、我が家の息子達がいた高校が、特に長男がいた富岡西高が、徳島高校リーグ(Tリーグ)のT3からT1に3年で昇格していった間に、T2時代に当時この吉成監督が小松島高のサッカー部の監督をしていた時代によく試合をしたので、この監督の指導風景をよく覚えている。叱咤激励の強烈な昔の指導法に徹していた。不甲斐ない試合をすればしっかり叱咤する。
しかしながら、現代っ子になった選手たちはなかなかそれが馴染めなかったのか、あまり成績が振るわなかった。よい指導をしていたと思っていたうちに、父兄からクレームが付いたのか、いつしか女子サッカーの鳴門渦潮の監督になったのだった。
この吉成監督もまた29年前の徳島市立のメンバーだった。
つまり、いまの徳島県の高校サッカーの文字通りのリーダー的監督は全員が29年前に高校総体で優勝したときの代表メンバーであるのだ。
その時の監督が、永らく県サッカー協会の重鎮であった逢坂利夫監督だった。
吉成監督も河野監督も佐藤監督共に市立から高知大学へ進学した。
そして、国立の高知大学のサッカー部を全国レベルに引き上げた。
国立大学で全国レベルのサッカー部を持つのは、あのゴン中山や井原や今のサッカー協会会長田嶋がいた筑波大サッカー部と高知大サッカー部だけである。
ちなみに、その高知大サッカー部の監督が、伝説の
野地照樹監督だった。
筑波大サッカー部OB。読売クラブの選手だった。
河野監督が徳島商業時代に全国で活躍したのが、元日本代表の塩谷司選手である。
そして、野地監督が高知大で育てたのが、實藤選手である。
實藤時代、高知大は全国で準優勝している。
要するに、徳島の高校のリーダー的監督は全員プロレベルの監督であり、高知大もそうだ。
しかも、たったの4試合で全国大会に出られる。女子ならたったの3試合である。たったの4勝、たったの3勝で全国へ行き、しかもベスト8まで進む。
なんと効率の良いサッカー環境なのか?
それがここ徳島の高校サッカーなのだ。つまり、良い指導者がいるということである。ちなみに、日本代表の岡田監督は野地監督の弟子である。
私といっしょで(俺よりはずっと幸運だが)、彼らの時代はわずかにプロ化の前だった。ちょうど引退期がJリーグのできる時期と重なったのである。だから、プロ選手としては大きく花開けなかったが、監督として十分に花開いたのである。
徳島サッカーに乾杯!
おめでとうございます!
Salute to Mr. Yoshinari, Mr. Kohno, Mr. Sato!!!
弥栄!
おまけ:
ちなみに、俺が阿南高専サッカー部の外部コーチをした2005年。阿南高専は全国高専大会(群馬大会)でベスト8に入った。
もっともそのときの1年半ほぼ週末の試合もすべて面倒見た私の謝金がたったの5万円だった。完全に赤字。しかも、外部コーチだった私が群馬大会にいく航空機代も旅費も降りず、実質上の監督不在の大会だったのである。私の代わりにただ職員だけという英語教官が甘い汁を吸った。
もし私が本大会を指揮したら、ベスト8どころか、もっと上に行けただろう。