これらを見てまず分かるのは、一般には、戦後の米ソのミサイル開発やロケット開発やジェット機開発は、旧ナチスドイツのV2ロケットやジェット機の技術から生まれたと信じ込まされたが、実はそうではなかったということだ。
戦時中に日本軍は、ナチスから最終兵器のジェット機技術やロケット技術そしてこれまたあまり知られていないが、ナチスの空飛ぶ円盤技術もUボートにより日本に伝わっていたのである。
そのうちのジェットエンジンやロケットエンジンおよびそれらの制御技術も我が国に伝わったばかりか、ナチスの技術以上に独自の発展を行っていたという事実があった。
我が国の国内事情に合わせ、ゼロ戦同様に、ジェットエンジンやロケットエンジンにも「軽量化」などの高品質の数々の改良や発明が行われていたのである。むろん、戦後の教育を受けた我々日本人の誰もこういうことは知らなかった。知らされなかった。
こういった技術はナチスの科学技術ばかりか、日本軍の科学技術も旧ソ連には秘密にされたまま米国に伝わったのである。
つまり、戦後のアメリカのボーイングのジェットエンジンなどには、日本のジェットエンジンの技術も取り入れられていたのである。
まだアメリカにゼロ戦や紫電改の技術が知られていなかった時、日本軍が優勢だった。ところが、樺太に無傷で遭難したゼロ戦が米軍に拿捕されて米本土に持ち帰られて分析され、リバースエンジニアリングでアメリカ軍が開発した戦闘機が、ヘルキャット。日本名でいうグラマンであった。
ゼロ戦の軽量化エンジンを米戦闘機が積んだわけだから、それはゼロ戦がゼロ戦と戦うことになり、日本軍は劣勢を強いられる結果になったわけだ。
さて、これまたまったく知られていなかった事実があった。
それは、日本の軍事技術航空機技術を研究解析する部隊がアメリカではなく、オーストラリアにあったという事実である。
第2次世界大戦中にできたこの豪州の軍事技術解析研究所が、後に豪州の諜報活動の本拠地、スパイ組織へと大発展して行ったという事実である。
そして、おそらくこれが後の「エリア52」へと発展していったと考えられる。これが、空飛ぶ円盤の地球製の技術開発部である。
なぜ、米軍および連合軍の一部の豪州で、空飛ぶ円盤の研究を行う必要があったか?
というと、我が国では、最終兵器としてジェット・エンジン、ロケットエンジンの「桜花」の生産が行なわれたように、
ヒトラーのナチスの最終兵器が空飛ぶ円盤だったからだ。「ハウニブ」技術である。
UFOなど存在しない ナチスドイツが造った
NAZI UFO 1935-1945. The Real "Nazi Saucer?"
いずれにせよ、日本軍は最後には本土決戦に持ち込むべく、最終兵器の完成を実現するべく、本土決戦の日程を出来る限り遅らせるように、神風特攻隊で戦った。
Kamikaze Attack - Battle of Okinawa
そろそろ、我々日本人は、戦後のGHQによる自虐史観計画から離れて、本当の歴史を描き出さなければならない。
ますますそう思う今日このごろである。
弥栄!
