答えは、G7の国々。特に英国、豪州、米国と南ア。日本は14位。
上のデータは2015年のものだが、最新のものもおそらくそれほど変化していないだろう。
ちなみに、大国ロシアがないのは、ロシア人はうつ病になる前にアル中になるからだという説もある。ロシアの自殺率は非常に高い。
要するに、経済的には非常に豊かで物質的に恵まれている国ほどうつ病患者が多い、多く出るのだ。逆に、経済的に貧しく物質的に貧しい国ほどうつ病患者が少ない。
果たしてこれは何を意味するのか?
これを説明するには、いくつかあるだろう。
(あ)豊かな国では人はうつ病になるくらい長生きできる。一方、貧しい国では人はうつ病になる前に死ぬ。
(い)豊かな国では、貧富の差があり貧困層は富裕層をみて、うつ病になる。一方、貧しい国では、貧富の差がなく皆貧しいため相互扶助の共同生活になるため、うつ病にならない。
(う)豊かな国では富裕層ほど楽な生活ができ、貧困層ほど富裕層を養うための過酷な労働生活になり、うつ病になる。一方、貧しい国では、富裕層がなく、それを養う必要がないためのんびりした労働生活になり、うつ病にならない。
(え)豊かな国では、少子高齢化で若者がボケ老人を支える必要があるため、若者が人としての本来の結婚生活が構築できず、うつ病になる。一方、貧しい国では、高齢者がいないので、若者はすぐ結婚し子作りに励み、うつ病にならない。
(お)豊かな国では、医療も高度に発達していて子供にワクチンを大量に摂取するため、その副作用や後遺症でうつ病になる。一方、貧しい国では、医療がないため、ワクチン接種せず、本来の健康を維持できるために、うつ病にならない。
(か)豊かな国では、精神医学者や心理学者がいるため、すぐに患者をうつ病と定義し、薬を処方する。一方、貧しい国では、そもそもうつ病を定義する医師がいない。
(き)豊かな国では、NWOの大事な手先国であるため強烈な引き締めが行われ、あるいはNWOの敵国と認知されているので、蹂躙された国民がうつ病になる。一方、貧しい国では、NWOにとってどうでもよい国なので、スルーされた国民はうつ病にならない。
(く)豊かな国では、人々の生活が室内の生活中心になるため、うつ病になる。一方、貧しい国では、人々の生活は野外生活になるため、うつ病にならない。
(け)すべてはDNAの問題。豊かな国では、さまざまの人種民族ルーツが交配し中にはうつ病になりやすい遺伝子を持つものがいる。一方、貧しい国では、ほとんど同族しかおらず、うつ病になりやすい遺伝子をもたないため、うつ病にならない。
(こ)すべては人の腸内細菌のせい。豊かな国では、化学製品に侵された食材を食べて腸内細菌が偏るため、うつ病になる。一方、貧しい国は限られた伝統食材だけを食べるから本来の腸内細菌を維持するため、うつ病にならない。
とまあ、さまざまの要因が考えられるだろう。
この一つの説明に以下のものがあるようだ。
私の著作『トライブ』で引用した研究の 1つは、うつ病の患者数のレベルの異文化間での調査だった。うつ病の割合が最も高いのは、北米の都市に住む人たちだった。そして、その人々は世界で最も高い収入を得ているグループだった。
そして、世界の中で、うつ病のレベルが最も低いのは、ナイジェリアの田舎に暮らす人々だった。その地は世界で最貧の地域だ。
これは私たちのアメリカ社会を見てもわかる。アーミッシュ(米国の文明を拒否し、自給自足生活をする人たち)は車を運転しないが、アーミッシュたちのうつ病と自殺のレベルは、アメリカの中で非常に低い。
車には大きなメリットがあるが、よりまとまりのある共同体社会を作りたいのであれば、車をなくしていくことを考えてほしい。
確かに、このアメリカ社会から車がなくなるというようなことはあり得ないだろうが、しかし、私たちが本当にこの特定の問題の解決策について正直な会話をしたいと思うなら、車は、人々の社会的結束を抑圧する大きな問題点だと私は言わせてもらう。
もう 1つの問題は、スマートフォン、あるいはソーシャルメディアだ。
スマートフォンは人々にとって心理的に壊滅的な影響を与えている。そもそも、「ソーシャルメディア(社会的メディア)」というような言い方自体があまりにも間違っている。ソーシャルメディアは、社会的なのではなく、本当に「反社会的」であり、それを「社会的」と呼ぶのはまったくの嘘だ。
このようなものを設計したシリコンバレーの人々、そして、ソーシャルメディア・ツール、およびそれらをサポートするすべてのソフトウェアとハードウェアを開発した人々は、詐欺的でさえある。
私は、人々から、このように尋ねられることがある。
「私たちは何をすればいいのでしょう」
その場合、私はこう答える。最寄りの川か湖に行き、スマートフォンをポケットから取りだし、地面に置いて何度か足で踏みつぶし、それから水に投げ捨てる。
このように勧めている。
これは私たちが「人間的社会」に再び参加するためにできることのひとつだ。
うつ病になりたくなければ、パソコンやスマホを海に捨て(実際にはこういうことはやってはいけないが)、裸になって海へ飛び込む(これも実際にはやってはいけないが)。
要するに、上のセバスチャン・ユンガー氏の主張は、うつ病になりたくなければ、現代的な生活は止めたが方が良いのではないか、というものである。むしろ、原始的な生活の方がうつ病になりにくい。
実際、動物ヒトモドキのAV男優でうつ病のやつって見たことがない。
冗談は吉本。
一方、私個人の見方は、最初の「うつ病は贅沢病だ」というものだ。
つまり、物事に悲観したり嘆く暇があるからうつ病になるのだ。「貧乏暇なし」の状態では、うつ病になっている暇がない。
とまあ、こういう見方だ。
実際、「うつ病」というものは医学上は存在しない。それは、ちゃんとした「医師」や「脳科学者」ではないカウンセラーや精神医学者や心理学者が、「うつ病」や「〜〜症候群」を定義するからそういう病名がつくだけのことである。
国は円を発行するから円建てができるのであって、最初に円があるわけではない。
銀行が借金を作るからローンができるのであって、最初にローンがあるわけではない。
会社が株を発行するから株券ができるのであって、最初から株があるわけではない。
これと似て、最初に「うつ病」があったわけではなく、心理学者がそれが「うつ病」だと定義したから「うつ病」が誕生したのである。
つまり、「うつ病」もまた一種の「信用創造」なのである。
だから、それが「うつ病」だと思うから「うつ病」になるのであって、そんなものは存在しないと思っている国には「うつ病」は存在しない。そういう概念がないからだ。
ごく最近まで外人は「肩がこらなかった」。それは外人には「肩がこる」という概念がなく、表現できなかったからだ。ところが、彼らが我が国へ来るようになり、日本人から「肩こり」や「肩がこる」という概念を知り、そして肩こりほぐしきやマッサージ機を知るようになってから、外人さんも「肩がこる」ようになったという話だ。
「うつ」というのは一つの心理状態である。これは存在する。だれでも、極度のストレスで一時的に「うつ」になる。これが「うつ状態」だ。したがってそのストレスがなくなれば徐々に緩和し元に戻る。
しかしながら、そのストレス源が連続的にあるいは周期的に加われば、ずっと「うつ状態」が続くだろう。心理学者はこれを見て「うつ病」と見る。そしておそらくすぐに危険な現代薬を処方する。こうして薬物依存症になり、本当のうつ患者になる。
もしそのストレス源がなくなれば、あるいは、それから離れたら、時間はかかるがいずれ「うつ状態」は緩和する。自然と忘れる。
人間の細胞は、基本的には刺激反応系である。刺激を受けると反応し、何かを作る。こういうのが我々の細胞の機能であり、役目である。
筋肉細胞は運動刺激を受けないと筋肉を増大しない。脳細胞は刺激を受けないと神経パルスを送らない。免疫細胞はウィルスや細菌の攻撃を受けなければ増殖しない。抗体を作らない。
何の刺激もないのに「うつ状態」に居続ける。それは、すでにその脳内にある種の仮想刺激源ができたからである。その人には昔に受けたストレスがずっと記憶されている。記憶されてそれが思い出す度に同じ刺激を受ける。そしてまた「うつ状態」になる。
こういう場合は、おそらく、脳に何らかの物理的、あるいは、生物学的な意味の「損傷」ができている。たとえば、出血による脳細胞損傷や腫瘍や梗塞の卵とかそういう「現物」ができている可能性がある。したがって、すでに脳医学の問題なのだ。
ひょっとしたら、外科的なものや物理的処方でそういうものを取り除けば完治するという可能性もある。
あるいは、スピリチュアル世界のように、それは「アストラル体の病気」だから、霊的にアストラル体を直せば、物理的に問題箇所が自然治癒するのだという手法もあるらしい。
うつ病は仮病の一種か、贅沢病に一票。
要するに、鬱になった時、うつ病になりそうだと思ったときは、外に出て体を動かした方がいい。つまり、何も考えない時間を作った方が良いということである。
まあ、一種のジョークだから、本気にしないでくださいよ。
弥栄!