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【断捨離2】もう未練がないはずなのになぜか物悲しく未練が残る


断捨離
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断捨離(だんしゃり)とは、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想であり、やましたひでこ(山下英子)の著書において発表された。「断捨離」「クラターコンサルタント」は山下英子の登録商標である。





みなさん、こんにちは。

そういえば、去年の今頃も私は同じようなことをしていたようだ。すっかりいつだったか忘れていた。そう断捨離だ。




去年も断捨離。そしてこの週末もまた3日間要して、断捨離2を行ったわけだ。

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去年にはまだ(使うかも知れないとおもって)捨てられずにいた、ユタ大時代から持ってきた数学の古典論文や戸田格子や、ソリトンの可積分系の数学理論や、私の専門分野だった物性理論の分野の量子ホール効果や高温超伝導などの論文、理研時代に集めた論文、こういったものをすべて断捨離した。

もう未練はない。

しかし、昔自分としてはその当時命がけで読んでいた(つもりになっていた)論文を捨てるというのは、ある意味命が縮んだ思いがするらしい。

ここ最近はまったく読んでいないで押入れの中に積ん読だったわけだから、いつ捨てても全く問題ないはずのものなのだが、いざ引っ張り出して整理し紐でくくり廃棄準備をし始めると、その都度、それぞれの論文を集めた時や読んだ時やその頃の思い出が蘇る。

私の頭ではいわゆる「走馬灯のように」ということはないが、その時の研究の場所とか状況とか、ユタ大の物理学部の隣にある数学部の図書室だったとか、その当時コピー代が非常にかかったとか、そういうふうなことが一瞬で蘇る。

実に不思議だ。

読んだからといって、何か新しい発見が生まれたわけでも、科学史に名の残るような研究を行ったわけでも、論文を書いたわけでも、その理論を自分のものにするほど理解できたわけでもない。この意味では実に効率の悪い人生を歩んだものだとしか思えない。だから、普通に他人がみれば、あまり関係ない論文にみえるはずだ。

しかしながら、そんな論文でもそれをその場で捨てようと思うと、なぜか名残惜しくなる。ひょっとしてまた読むかもしれない。また何か使えるかも知れないとか、そんな雑念がふと生まれてなかなか踏ん切りがつかないのである。

だから、今回これほど捨てたように見えても、まだまだこれと同じくらい残っているのである。つまり、少なくともあと2,3回は断捨離が必要だ。

断捨離とは、私にとって、過去を振り返る時間でもある。

あの時、俺は何をしようとしていたのか?

あの時、俺はどこに住んでいたのか?

あの時、俺はどれほど輝いていたか?

あの時、俺はどんなに意気揚々としていたか?血気盛んだったか?

そんなことが蘇る。

まあ、こんな気持は理論物理学者しか理解できないのかも知れない。

が、我々知識の世界で生きる人間にとり、論文は宝である。発想の命である。だから、論文は英語ではペーパーと呼ばれるには違いないが、紙の上に単に文字が印字されている紙の集まりではないのだ。

遠い昔、ギリシャ時代だったか、ギリシャの数学者アルキメデスがシラクサの海岸の砂浜で数学の証明を行っていた時、名もないローマ兵に見つかり、その証明を消さないように懇願したピタゴラスもローマ兵の槍の餌食になったとか、そんなふうな話があったと思う。

ローマ兵には砂の上の模様に過ぎなくても、数学者には世紀の証明だったりするわけだ。

そこまで偉い人の話ではなく私のレベルの学者にとっても、1枚5円のコピー紙の上の文字であったとしてもそれは計り知れない意味を持つわけだ。

とまあ、そんなわけで、断捨離のときはいつもなかなか踏ん切りがつかないのである。




弥栄!








断捨離の度に青春時代の思いにふける井口和基





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by kikidoblog3 | 2019-11-25 10:57 | 徳島・阿南

井口和基の公式ブログ 3


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