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【余計なお世話】「災害で家を失ったら、地方の空き家に住もうじゃないか!」:まあ余計なお世話だろうが!?

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みなさん、こんにちは。

昨日の午前の私の注意予報喚起


も功を奏せず、千葉、茨城、福島あたりでは洪水で犠牲者が出てしまった。力足らずで申し訳ない気持ちだが、お亡くなりの方々のご冥福をお祈りしたい。合掌。


今回の関東の豪雨で家を失われた家族がたくさん出た(はずである)。

ところで、今回私が山梨に行って帰った神戸三宮の地下街で、年齢にして18歳前後の若い女の子のホームレスが座っていた。長い黒髪で横にレジ袋にいっぱい何かを詰めた少女に見えた。顔を体育館座りの両足の間に突っ込んで顔を見られないようにして座っていた。

理由は分からないが、超ボンビーとダマスゴミからは言われるに違いない。

方や、DIYで売り出した森泉は森ビルのご令嬢でカナダ人のユダヤ人のイルミナティーの娘である。だから、本当に日本国籍かどうかも疑わしい。

そんな森ビルの森家は、都内の大不動産業一家であり、日本フリーメーソンのトップの一人らしい。

だから、2011年の3月11日より一ヶ月前に、当時まだまったく無名だった世見のオバちゃんにフリーメーソンの会合で使われた東日本のない日本地図を見せたわけだ。だから、東日本大震災の事前予測ができた。

そんなご令嬢が日本人のボンビーガールを小馬鹿にした番組のトリとしてDIYをやって実家のカーペンターのマネごとをする。ひどすぎる。

おっとちょっと脇にそれてしまったが、結論から言うと、

四国には無数に空き家がある。空き家ができつつある。

だから、震災、水害等で家を失った人々は、ぜひ四国の空き家、それも鉄筋コンクリートの空き家、そういうところへ移住してもらいたいものである。

1970年代の高度成長期にできた鉄筋コンクリートのフラットトップの家
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今私が住む妻の実家の我が家もそんな家だが、そういう家の住人はいままさに高齢化から寿命年齢を過ぎつつあり、どんどんこの世からいなくなっている真っ最中なのだ。

したがって、住む人がいなくなればそのまま空き家になる。今の今まで人が住んでいたわけだから、人が住まなければ家は劣化する。

逆に、地方自治体は人口減少の防止のためにも、災害で家を失った人たちを入居させるべきだと思う。そういう援助を行うべきだ。

実際、我が家の周りもどんどん世代交代は起こり、空き家だらけになってきている。

いずれ我が家も我々が死ねばそうなる日が来るに違いない。

というのは、若い世代はみな関西や関東へ大卒後就職で住むからである。だから、三世代の一家は漁業とか農業とか地元に家業がない限り、仮にそれがあったとしても、高校大学と進学すれば自然に都会で住むようにならざるを得ない。その結果、大都市集中が止まらず、地方は人口が減る。

大都市へ行けば、教育にお金がかかるから、結婚しても子が少なくならざるを得ない。あるいは、そもそも結婚しないで「まだ結婚できない男や女」をエンジョイする結果に終わる。

というわけで、ぜひ千葉の皆さん、安心してください。

仮に家を失っても、その土地をそっくりそのまま現地の不動産屋や銀行へ売れば、ここ徳島や阿南や四国の地には、そのわずかのお金でも一軒家が買えたり、借りたりできるだけの土地や住まいがあるのだ。

食い物は釣りすれば釣れるし、家庭菜園すれば野菜が育つ。

やろうと思えば、究極の自給自足もできる。

ところで、千葉の房総半島がなぜ房総半島と呼ばれるようになったか?

だいぶ前にブログ1にメモしたように、実は古代において、ここ徳島の人たちが千葉へ移住したからである。最初は千葉には縄文系の倭人はそれほどいなかった。




にはこんな記述がある。
「ふさの国」の由来

この豊かな県土
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を示す古代の説話が、約1200年前、平安時代の初期にまとめられた『古語拾遺(こごしゅうい)』という文献にのせられています。この文献は、宮廷のお祭りを担当した忌(齋)部(いんべ)氏の来歴を記したもので、忌部氏の先祖・天富命(あめのとみのみこと)が房総半島に移住し、麻を植えたところ良く育ったので、麻の別名・「ふさ」の名を取って、その地を「ふさの国」と名付けたとされています。「ふさの国」を上下に分けた上総・下総の国名は、奈良県明日香(あすか)村石神(いしがみ)遺跡や橿原市藤原宮(ふじわらきゅう)跡で出土した木簡(もっかん)(文書など記した木札)に記されており、 1,300年以上前の7世紀後半には成立していたと考えられ、房総が「ふさの国」と呼ばれたのは、それ以前であったと考えられます。これらの木簡に記されたフサの字は「総」ではなく、手偏(てへん)に「求」と書く文字です。この文字は、『大漢和辞典』によると「盛る」という意味がある一方、房となって実った果実を意味し、その意味から「ふさ」と読まれたのでしょう。何れにしろ「ふさの国」は、豊かで実り多い土地を示す国名だったと思われ、それは、現在の農業県・千葉を支える豊かな県土へと受け継がれているのです。

なお、安房の国については、養老2年(718)に上総国から分かれ、その後、一時、上総国に合併されますが、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(757)に再び独立、上総・下総・安房国が成立しました。名前の由来は、『古語拾遺』では四国の阿波国の忌部が移住したことによるとされています。こちらは、四国と房総の黒潮を通じた交流を物語る地名と言えるでしょう。

忌部氏は天皇陛下の家臣の一家系である。徳島の三木家の祖が忌部氏であり、三木首相はその三木家の分家の末裔である。三木家の当主はいまも大嘗祭のために天皇家に麻を献上する。

その忌部氏が一部千葉に移住し、そこに阿波の国の文化を伝承した。だから、地名も阿波にあるものがかならず千葉にもあるのである。

その代表的なのが、勝浦である。



ゆえに、千葉の人たちがここ徳島に戻ることは、ある意味で「帰還する」というようなものだろうと思う。同じ忌部氏である。



まあ、1970年代の鉄筋コンクリートの家は、もうセメントの耐久年数の40年を過ぎているし、当時には耐震工法も発達していなかったから、地震にはどうかという面はあるが、台風の暴風雨には強い。雨には劣化すると、天井から雨漏りがするということはある。

だから、外装や内装を修復すれば、十分だろう。


何事も考え方次第である。


徳島県内で唯一黒字の地方都市。唯一の人口増の地方都市。

それが阿南市である。


やはり日亜化学の威力が大きい。




弥栄!





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by kikidoblog3 | 2019-10-26 12:10 | HAARP・台風・ハリケーン

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